20代最後の年、僕は異邦の地を歩いた (2)
パリの観光
今回挑戦するのはサンディエゴ巡礼「フランス人の道」だ。
これはその名の通り、フランスから始まる道だった。
パリからサン・ジャン・ピエ・ド・ポーまで電車で移動し、そこからサンディエゴ巡礼の旅が始まる。
とはいえせっかくのパリを観光せずにただ通過するのは勿体無い。
初日はパリに宿をとり、観光すると決めていた。
Le busでパリの街へ
こういう旅では無事バスに乗れるだけで達成感を味わえる。
おしゃれの街パリだが、郊外は意外にも汚い。
ディズニーランドの裏側を見せられている感覚だった。
誰かと一緒の旅行ではあまり表に出さないが、僕はあまり観光地を巡るだけの旅行は好きじゃない。
そういうスタイルの旅行は「観光地への移動」と「観光地の観光」の2つに分かれてしまうことが多いからだ。
移動は早く終わって欲しい空虚な時間になってしまい、観光地が期待に沿わないと不満を漏らすことになってしまう。
それを取っ払ってしまえば、移動は探索だし、観光地へ到着は発見だ。
旅行中に幸せを感じる期間が伸びるし、幸せを感じるハードルも下がるというわけだ。
ということでバスが凱旋門についてからは、地図すら見ずに適当に歩き回ることにした。
凱旋門からは、道がまっすぐ、あらゆる方角に伸びていた。
その幾何学的な光景に、どこに進むかもワクワクした。
パリは街自体が綺麗に設計されていて美しかった。
そしてフランス人は落ち着いてて、優雅だった。
同じヨーロッパながらも、イタリアのオラオラ感とはまた違う印象をなんども覚えた。
商店街はほぼカフェとファッション系。
全体的に左右対称のデザインになっていた。
日本と比べるとひたすらにでかくて、空白が多い印象を受けた。
カフェで食べたパンが美味しかった。
おしゃれの街で巡礼用の汚い格好で居たせいか、終始変な目で見られる。
しばらくすると道の先に場違いな観覧車が目に入った。
そちらに向かってい歩いてみる。
ヨーロッパにありがちな突然のアートになんども目を奪われる。
公園、だけどただひたすらでかくて開放的な印象を受けた。
パリは、とにかく「街全体がアート」という感じだった。
「ディズニーランドからビルが見える」みたいなことがなく、ディズニーランドの外もひたすらディズニーランドが続いている印象を受けた。
工事中のところは建物の絵で隠していた。
景観を損なわないように非常に徹底していて感心する。
「このピラミッド何だろう?」と中に入るとルーブル美術館でびっくり。
凱旋門からここまで、自然と誘導されていたようにも感じる。
ルーブル美術館では、授業できている団体もいっぱいいた。
実物見ながらみんな自分が自分がと意見を言っていたのが印象的だった。
美術館はとにかく広くて、建物自体もアートだった。
光の色がオブジェと合っていて、光の当て方にもこだわりを感じた。
とりあえず一周しようぐらいの気持ちで流していたが、思わず二度見してしまうアートも合った。
理由は何だろう?って考えたら、「細かいものがたくさん集まってデカくなったのが最強」という結論にたどり着いた。
まずデカさに目が止まって、さらによく見たら細かいものがたくさん集まっていると2度印象付けられるからだ。
またエジプトの絵画は基本的に棒立ちなのが記憶に残った。
アートの目的や精神性が明らかにヨーロッパと異なるんだろうと思う。
ヨーロッパは異教徒をキリスト教に染めるための道具としての神秘性、神々しさ、王の権力の象徴が目的なのだろう。
一方でエジプトは事実を記録したいだけなのか分からないが、非常にシンプルだった。
思わず写真をとった絵。躍動感がある絵が好きみたい。
ルーブル美術館を抜けると購買コーナーが待っていた。
この辺りはしっかり商売している。
携帯を見るともう電池が残りわずかだった。
全く充電できてなかったから仕方がない。
疲れが溜まっているのもあり、宿へと向かうことにした。
他にもまだ見ぬ観光地があったんだろうか。
慣れない旅に空港泊の疲れもあり、宿に着くなり眠りについた。