見出し画像

今日、南条あやより年上になってしまう

1.ネットアイドル

南条あやって知ってますか?「メンヘラ」という言葉がまだ無かった時代にメンタルヘルス系ネットアイドルとして活動していた女子高生ライターです。ちょうど今日にあたる1999年3月30日に都内のカラオケ店で服薬自殺をして亡くなりました。享年18歳です。

彼女のホームページはまだ現存していて、インターネットアーカイブを通じて見ることができます。

ですが文章量が莫大なので、まずは彼女の死後に日記を書籍化した「卒業式まで死にません」を読むことをお勧めします。(僕もまだHPのコンテンツを全部読み切れていません・・・)

画像1

2.僕と南条あや

僕は南条あやが亡くなった2年後に生まれました。10歳の頃、ホームページ文化なんてとっくに忘れられていた時代に初めてインターネットを使うようになってネットを通じて色々な経験をしました。

アメーバピグで知らない人と話して、まとめサイトを見てマスゴミとか日教組とか言ってみたり(嫌な小学生です)

その時はスカイプとかアメーバピグに夢中で”メンヘラ”なんて自分の人生とは縁の無いアングラな世界だと思っていたけど

中学生の頃に精神病を発症して一年ほど閉鎖病棟で過ごしました。閉鎖病棟といえばTwitterで#メンヘラさんと繋がりたい とか言っている奴らよりもメンヘラ度が高めで、もしメンヘラ度を比べるデュエル的なのがあったらそういう人達に余裕で勝てる自信があります。俺のターンドロー!!「閉鎖病棟入院」を召喚!この時点で相手はズタボロになりながら死んでるかと。なんというか"浅い”ですよね・・・

ていうのは冗談でそういう所にブチ込まれてもなお、僕はメンヘラなんて自分の人生とは縁の無い存在かと思ってました。というか尚更そういうのが嫌いになってました。

そこに入院していた19歳のAV女優の人から教えてもらったのが南条あやです。その人の手首はリスカ痕だらけで、見ただけでもそこから波乱万丈な人生が透けて見えました。でも哀れみや同情が大嫌いだった僕にはリストカットって不幸な自分をアピールするために行う行為にしか見えなくて。正直、南条あやの話を聞いても最初はちょっといけ好かないメンヘラだなって思ってた節があります。

正直全然読もうとは思ってなかったんですが、入院生活って基本的に暇なので外泊中に行ったブックオフで「卒業式まで死にません」を見つけ精神薬でボーッとした頭で頑張って一週間ほどかけて読みました。

メンヘラどうのこうの抜きにして

単純に面白いんですよ

僕の予想していたのはくら~~~い文体で自分の不幸な生い立ちを語りながらリスカットして”同情してよ”が全開のものだと思ったんですよ。

でも学校での話、薬の話、自傷の話、精神科の話を綴っているこの日記は意外と日常系のアニメを見るかのような軽い気持ちで読めました。その後に彼女が亡くなることは分かっていながらも弾んだように明るい文体と毒の効いた言い回しで何度もクスリと笑いました。

そこから南条あやという人間に興味を持つようになり、彼女を真似てFC2ブログに閉鎖病棟入院レポートを書いたのが僕自身がブログを始めるきっかけです。

彼女について調べる上で副次的にメンタルヘルスやリストカットについて詳しくなったんですが。僕は”メンヘラ”的人達に対して先入観と誤解を持っていたことを改めて知りました。散々、僕自身、同情だの哀れみが嫌いだと書きましたが自分の心の中を見通してみれば、当時の自分の境遇に同情してほしかったし、孤独感を理解して欲しい気持ちがありました。だからこそ南条あやみたいに閉鎖病棟入院レポートなんか書いていたんでしょうね。

そういう気持ちに向き合って分かったけど、世の中、皆メンヘラではないけれども。メンヘラ的気持ちは誰もが心の中で持っていて、その気持ちが肥大化して抑えつけられなくなったのが南条あやであり、メンヘラであり、閉鎖病棟に入院している人達なんです。閉鎖病棟に入院していた当初の僕は、そういう人達(ビョーキの人)とは違うし薬漬けにされるような人間ではないと思いながら常にイライラしてたけど、そのプライドが余計に自分を苦しめていたのかもしれません。

そのことに気づいて少し楽になりました。彼女の本を読んでから自分の弱さを笑って受け入れる術を手に入れました。

「卒業式まで死にません」の裏表紙に書いてあるフレーズですが

ここにいるのは、特別な女の子ではありません。もしかしたら自分だったかもしれない「もうひとりのあなた」です。

僕はリストカットもしないし、今は薬も飲まないし、南条あやとの共通点は閉鎖病棟入院くらいしか無いけど。彼女の残した日記を読んでいなかったらきっと今よりもっと悲惨な自分になっていたのかもしれません。いつか自殺してたかも。そういう意味で南条あやはもしかしたら自分だったかもしれない「もうひとりの僕」です。

3.3月30日

画像2

南条あやの日記には本当に大切なことは書かれていません。ネットアイドルのあやさんじゃなくて、ポップな文章の裏側に書かれている鈴木純さんの気持ちは隠れています。日記を何回も何回も読んで想像しました。死の間際、何を考えていたか、何に苦しんでいたんだろうとか。

そんなことを考えていると涙が出てきてやるせない気持ちになってきます。

今日、僕は南条あやより年上になってしまいます。明日、目が覚めたら彼女が迎えることの無かった18歳の3月31日を生きるでしょう。

南条あやの日記から僕は生きる辛さを学びました。

高校に入ってからもボロボロになるほど「卒業式まで死にません」を読みました。彼女の軌跡と心の悲痛を見たから僕は卒業式まで生きられました。

反面教師にしてるみたいですね。でも、それで良いと思います。僕は南条さんのおかげで南条さんみたいに死のうとは思わなかった。南条さんは僕の憧れであり恩人です。これからどんなに辛いことがあっても生きようと思います。

いいなと思ったら応援しよう!