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思い出の共有相手

近くに用があったついでに、20年ちかく行ってない街へ行ってみた。

10代の頃に付き合っていた彼氏が住んでいた街。

喧嘩別れして疎遠になって、それきりだけど。

駅前の風景がほとんど変わってなくてびっくりした。


おまけに元彼が住んでたアパートまでの道のりもほぼ変わってなくて、迷う事なくアパートまで
たどり着いた。
(元彼はとっくの昔にそこには住んでないのでストーカーではないです‥)

付き合ったのは、たった4ヶ月ほど。

当時は大好きで、幸せだった。

あれから20年も経ってるとは思えない。
街並みがそのまますぎて、すぐそこに彼が立ってそう。

頭をよぎるのは彼との思い出だけじゃなくて、
当時自分が気に入ってよく着てた服、サンダル。
共通の友だち、
よく聴いてた曲、
観てたドラマ、
当時は生きていた祖母のこと、
バイトのこと、

いろんなことが蘇ってきて
胸がぎゅっとなって泣きそうになった。


長い人生のたった4ヶ月間の出来事なのに、
なんでこんなに覚えてるんだろう。

若さも、人との関係も、物質的な意味でも、
当時あったものが、今はもうない。

全く同じ状況が二度と来ないのは当然なんだけど、どうしても切なくなる。

当時の思い出話ができる人がいないのも、
切ない。


切ない気持ちのまま周辺を散歩をしていたら、
息を呑むほど大きな桜の木が咲いている公園があった。

また、記憶が蘇ってきた。

この公園も彼と来たことがある。

遠い遠い夏の日を思い出した。
彼と彼の友だちがキャッチボールしているのをベンチで見ていた。

もう誰もこの街で私を待ってる人はいないけど、
唯一、その桜の木だけが「久しぶりだね。」と
言ってくれている気がして、また泣きそうになった。

あぁ、きっと、この桜の木は私を知ってるんだ。
あの頃のことも。

人との関係が切れてしまっても
植物は思い出の共有ができる存在なのかもな。


田坂広志さんの、このお話しに通ずるものがあるかもしれない。


短い期間で関係が切れてしまったとしても、
出会った人は縁があったんだろうなと思う。

喧嘩しても、今は疎遠でも、

一瞬でも私の人生に関わって
楽しい思い出をつくってくれた人たちにありがとうと言いたい。

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