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“扉はどこにもある”DOOR to ASIA Cambodia, Kompong Thom 2022の軌跡
2022年 7月、DOOR to ASIA Cambodiaを実施した。コロナウイルスの世界的大感染によって当初の2020年予定より2年遅れた開催。アジア圏内でも国によってコロナ関連の対策状況が異なるなか、比較的早い段階から国が開いたカンボジア。揺れ動き、じっと耐えて、アジア各国の仲間と交流を続けた2年(Knock! Knock!)。今ならできる。今を逃すと、次にいつできるかわからない。そして、この巨大な世界の揺らぎを世界全体で感じた今だからこそ、DOOR to ASIAをコンポントムでやりたいんだと再認識して、今できるかたちでやろう、と開催を決めました。
DOOR to ASIA 2022の映像はこちら。これから書く内容がぎゅっと詰まっているので、ぜひみなさんに見ていただきたい。
プログラムの全貌をお届けできるように書いたら、盛りだくさんすぎたので、「はじまり」と「Door to Asia 2022を終えて」の2つを先に読んでいただくのも良いかも、と思ったりしています。
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はじまり
DOOR to ASIAをコンポントムに招きたい。その思いのはじまりは、2018年の日本の東北地方で開催したDOOR to ASIA Tohokuだった。海外デザイナーと地域の事業者さんをつなぐコーディネータという役割を通して出会った東北で聞いた話は、遠く離れたコンポントムを思い出させた。
暮らしを囲む、山、森、川、海をはじめとする自然の豊かさ、力強さ。
それを受け取るために磨かれてきた人の技、知恵。
それを受け継いできた土地の人たち。その営みの重なり、連なり。
それらが織りなす美しさとそれを支える人々の心胆に魂が震える。
一方で、「地方<都市」という根強い価値観と優越感がもたらす影響も大きい。数値や金額で表現できない“その地域にあるもの“の豊かさは、伝わりにくいゆえに“価値がない“とされてしまう。
すでにそこにあるものや、本当にその土地でしっかり四股を踏んで生きている人たちの声が聞かれないままに、いつも“進んだ“外からその土地の文脈とつながらない何かが持ち込まれる傾向がある。
折りしも、カンボジアのコンポントムではSambor Prei Kuk遺跡群が2017年に世界遺産に登録され、地域の暮らしの営みが観光資源的な文脈で“発掘“されようとしていた。
土地にある輝きに触れてもらうことと、それが商品となり“消費されるもの“になることの間には、似ているようでものすごく深い隔たりがある。
2018年のDTA東北での日々を過ごしながら、Door To Asiaならきっとコンポントムという土地が持つ本質を一緒に辿って描き出してくれるという確信があった。
コロナの時代
2019年に都市部バンコクの4つの地域コミュニティをカウンターパートとして開催されたDOOR to ASIA Bangkokを経て、いよいよ次はカンボジアへ!と思った矢先に、世界全体がここ100年ほど経験したことがないような不確かな時代に突入した。
世界のこれからが全く見えない中、オンラインで対話を重ねた。それぞれの場所で、自分たちが直面する世界、その状況に対してできることをしている各国の仲間たち。DOOR to ASIAで地域へ深く入るための最初の扉になる「まず目の前の人の話を聞く」をオンラインで続けていくと、それぞれが場所は違えど“生きていくために本当に必要なものは何か“という問いに向き合っていることがわかった。
同時に、カンボジアの首都から約160km離れたコンポントムの農村地域は、この危機の中でも揺らぎが少なかった。
豊かな自然とそれを暮らしに取り入れるための技に支えられた地域の確かさと揺るぎなさ。日々世界を動かす“当たり前の“大きな仕組みが機能不全になったとき、それが静かな迫力を持って立ち上がった。
きっとこれこそがこの土地の本質であり、本領。それを、コロナの時代を経た今だからこそ、学ばせてもらいたい。皆が取り組んでいた“生きていくために本当に必要なことは何か“という大きな課題の答えのひとつがきっとここにある。この土地で今見えているものを丁寧に辿りながら、それをもう少しだけ目に見えるように、感じられるようにしておきたい。それをゴール地点としてDOOR to ASIA Kompong Thomを再設計した。
4つのテーマ、4つのチーム
「土地の物語を宿す人に学ぶ。」そのための、4つの切り口を設定した。
Team 1 農・食 / 土とともに暮らし続ける
Team 2 精・魂 / 土地の物語と生きる
Team 3 住・景 / 暮らしのなかに宿る魂
Team 4 街・関 / まちの物語をつなぐ
それぞれのテーマで「農業環境の改善」などの理論や枠組みよりも「植えて、食べる」という暮らしの営みに宿る言語化されない“何か“を描き出すことに意識を向けた。
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また、コロナの規制の中で、国外から参加できるクリエイティブが限られたため、その分カンボジア国内クリエイティブ枠を設けた。国内と国外で活躍する両者が組むチーム構成になった。結果として国内参加のクリエイティブたちが、コーディネーター陣とはまた異なる視点での地域と国外クリエイターたちとの架け橋の役割を果たし、地域とのつながりをさらに多様にすることとなった。
ここからは各4チームの取り組みをご紹介したい。
チーム1 「農・食 / 土とともに暮らし続ける」
カンボジアの北東部に暮らすKuy(クイ)族。少数民族という言葉に隠れて見えにくくなっている、彼らの本当の暮らしや在り方、その背景にある思想を辿りたい。
タイのバンコクを拠点にするコミュニティデザイナーのTechit(テチット)とプノンペンを拠点に土と人の関係性を取り戻す事業を主催するMonorom(モノロム)が、彼らを取り巻く課題の解決というアプローチではなく、Kuyの人々が大切にしていることに意識を向けてともに過ごすなかで、忘れたくない言葉やそれを象徴する場面に出会った。
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“森や大地はマチャ·ダイ=土の主、マチャ·タック=水の主から、今生きているものたちがお借りしているだけ“
という現代の所有の概念を超える感覚。
「本当に大切なのは“エル·テイ“。相互に助け合いながら“ともに生きる“という在り方だ。」と語る「土地の物語を宿す人」であるリーダーの言葉。
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Kuyの人々にとって大切なことを集めた、Kuyの人々のためのWikipediaをつくろう。Kuyコミュニティの人たちが自分たちのなかにある「大切なこと」を結集し、コミュニティ内の次世代への継承のきっかけにもなるように、Kuypediaそのものがコミュニティのなかで更新されていくように、実体のあるカードとオンライン上のデータベースの併存を提案しました。
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Team 2 「精・魂 / 土地の物語と生きる」
カンボジアの地方に息づく土地や村の精霊とともにある暮らし。若い世代や都市部の人々には遠い存在になっている。首都プノンペンから参加したデザイナーのUddam (ウダム)も、一般的に知識として聞いていたおじいさんの姿をしているNeak Ta(ニャクター)=精霊さまが、実は土地ごと、村ごとに異なる姿があることに驚いていた。ある村の精霊さまは女性、別の村の精霊さまは必ず2人ひと組で登場するという。儀式のやり方も村ごとに違っている。ある村では精霊さまの祠にクロマー(大きな布、下の写真右上)を各家庭から持ち寄って、それが各家庭の田圃を象徴しているという。
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また、特定の儀式のときだけでなく、日々の暮らしの中に土地や森の精霊を、今を生きる人と同じように近くに感じていることも現地で実際に体験した。例えば、森に入る時に木の枝を小さく折って差して祈る「森へのチケット」。飛行機に乗るときに搭乗券が必要なように、森に入るときにはこの森へのチケットが精霊さまへの「入らせてもらいます」というお知らせとなる。
地域の暮らしの中に当たり前にある精霊さまや、森の動植物、そして今現在生きている人だけではなく、これまでその地にいた人たちとともに生きる感性、必要なものを適量だけ暮らしに取り込む技を体感したTeam2のUddam(ウダム)とインドから参加したSamia(サミア)。イラストレーションも得意とする2人のデザイナーが、知識としてではなく、その世界観を伝えるためのアドベンチャー・アクティブ絵本を制作した。
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本のページを進んだり戻ったり、実際の旅を体験するような構成になっていて、地域内および、都市部の次世代へ、異なるものとともに生きる学びと暮らしをつくる技への入り口を届けるかたちを提案した。
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Team 3: 住・景 / 暮らしのなかに宿る魂
長くそこにある生活風景や景観の中には、その土地で育まれた独自の住環境や生業、暮らしを映す知恵がある。伝統的景観を守ることは、建築や家屋そのものを残すだけで十分ではなく、住むこと、暮らし続けることで育まれた土地の魂を次の世代につなぐことにこそ意味がある。その「次世代につなぎたいもの」を探すため、日本の奈良から参加のデザイナー長光宏輔、インドからシェフのJuggy (ジャギー)、 プノンペンを拠点とする写真家のMiguel(ミゲル)が世界遺産周辺の伝統的家屋保存地区の農村地域の家々とそこで営まれる生業を訪ねた。
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何気なく目に映る木造家屋とそこでの暮らし。普通の農村の風景も改めて丁寧に見つめていくと、さらなる輝きに出会う。家の軒下の飾りも、よく見ると家ごとに違う。屋根の上についている装飾にはかつてお守りの意味があった。高床式の家の下はリビングのような生活空間であり、生業の場でもあり、縁側のような外とつながる場所の役割も持っている。
目をこらして意識を向けないと見逃してしまうその輝きは、知れば知るほど、気づかなかったものが見えてくる。ただ遠くから眺めるだけでなく、それに向かって一歩近づいてみるともっと面白くなる。この面白さを地域外からくる人や地域の中の次世代にも知ってほしい。そこで、最初の一歩を生み出すきっかけをつくるコミュニケーションデザインのキーワード『Nav Na?(ナウナー)=どこにあるの?』が生まれた。
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工期の短縮や技術が失われたために、現在では希少になった伝統家屋の装飾からデザインを起こしたNav Na Tシャツなどの物販、地元のコミュニティガイドさんと一緒に木造家屋を訪れる体験の提供など、そうした活動を通じて地域の子どもたちと魅力を再発見するプログラムなどのアイデアが生まれ、そうした活動を後押しするための収益性も視野に入れた提案が生まれた。
Team 4: 街・関 / まちの物語をつなぐ
暮らしに宿る魂があるのは農村部だけではない。市街地でも、そこで重ねられてきた日常の連続の上に今の暮らしがある。「何もない」と言われて通過されてしまいがちなコンポントムの州都・Steung Saen(ストゥン・セン)の町。変化する日々の暮らしの中に残るものは、見ようとしないと見えてこない。町に残された築数十年を経た建築やそこに暮らす人たちを、タイから参加した演劇・演出・脚本を行うMean(ミーン)とプノンペンから参加したSochenda(ソチェンダ)が訪ねた。
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創建当時のまま残る床のカラフルなタイル、家の壁に残された誰かの算数の計算や今の家主も知らない誰かの電話番号。サイン付きの絵を落書きした当時の少年は、今30代だという。集住するための知恵、近隣の人たちとの間で培われた関係性。路地のベンチに座るおばあちゃんはこの区画を見守っている。MeanとSochendaが出会ったそうした繊細な“かつての人たち“の残したものを映像によって描き出した。
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同時に住民の方々を訪ねる中で、住民の高齢化、若年人口の流出による集合住宅の空洞化、古い建築の修繕改築の難しさなどの課題も目の当たりにした。そうした課題を超えるために「訪れる」という営みを新しくデザインすることが提案された。祖父母の田舎を訪ねるように、友人を誘ってこの場所を訪れる人がいる。この町で暮らし続ける人がいる。そうしてゆるやかな人の往来が対流していく中で、目の前の困難に別の道が生まれるかも知れない。今すぐに仕組みで解決できないことも、人と人との出会いの中で何かが生まれていくかも知れない。そういう願いを映像に載せて。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
これを読んでいただいた上で動画をみてもらうとまた違うものが見えるかも知れません。改めて、こちらにもリンクを。
DOOR to ASIA Kompong Thom から生まれた物語
DOOR to ASIA Kompong Thom という地域に深く深く潜る1週間が終わった。土地の物語は当初想定していたより深く、私たち「地域の外からきたもの」のなかに流れ込んできて沁み込んだ。そして、コロナの影響で半数のクリエイティブが国内から参加していたことで各チームからの提案を一歩前に進めるフォローアップ・プログラムが実現できた。DOOR to ASIA の1週間から始まり、足掛け約1年にわたり、打ち寄せる波のように何度も地域を訪ねる機会が生まれた。さらに、地域のメンバーがエキシビジョンに合わせてカンボジアの首都プノンペンとバンコクでトークを開催したりなど、都市と地域の間の対流が起こす波が静かに広がっていった。
「『オーナーシップ』を渡したい」by Monorom
コミュニケーションデザインとしてのKuypediaを生み出したのはTechitとMonorom、そしてKuyコミュニティのリーダーたちを中心にTeam1の話し合いが続き「そこにどんな内容や思いをこめていくかはKuyの皆さんしかできないこと。だから、KuypediaというアイデアそのものをKuyの皆さんに渡したい」というMonoromからの提言で、より広い層のコミュニティメンバーの方々とともに目的などをあらためて共有する場を設けた。
村に泊まらせてもらい、どんな内容を入れていくのがいいかという対話は深夜まで続いた。今、まさに直面している森の縮小や文化の消滅などの課題を盛り込むのがいいかという議論もあったが、最終的に、きっとそうした課題は他にも話題にする場所がある。
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だから、Kuypediaはその内容を検討していく過程で「Kuy族の生き方、そして私たちはこう在りたい」という姿勢が浮かび上がってくるようなものになると良いのではという方向性になった。Kuy族の皆さんの手によって生み出され、再編されていくものとして、Kuypediaがコミュニティ引き継がれた。
「扉は開いた。これを閉ざさないのがこれからの仕事だ。」By Mr.Di
「土地の物語を宿す人」の1人、サワンディさんの言葉。DTAの1週間が終わった直後のインタビューで彼が言った。SamiaとUddamが制作したアドベンチャーアクティブbookを使って、地元の小中学生にワークショップをやりたい。地域の若者たちのことを真剣に考える62歳の生粋の地域教育者は、既に次を見据えていた。
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インドにいるSamiaと連絡しながら絵本の初版を完成させたUddamが、せっかくだったら学生たちに「自分たちの物語」をつくる経験をしてほしいと中学校でワークショップも併せて実施することに。
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数名でグループになって「自分たちだけの本をつくる」という新しい学びの時間。Uddamやコーディネーターメンバー、他のTeamのカンボジアからのクリエティブ、MonoromやSochendaが各グループを周りながら学生たちと話をしていきます。
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中学生から、なんでその仕事をしようと思ったんですか?など中学生たちからの質問が向けられ、思いがけずカンボジア国内のちょっと人生の先輩たちのライフストーリーに触れてもらう機会にもなりました。
「地域の若い世代に知ってもらいたい、地域の美しさを」by Theary
Team 3の提案にあった、コミュニケーションのきっかけをつくるためのTシャツ。プノンペン、東京とで地域の外の発表の場を通じて紹介したが、「1番は地域の学生たちに伝えたい」テリー先生の願いを受けて、地域の中学生と一緒にブロックプリントのTシャツワークショップを実施して、そのTシャツを着て、村の伝統家屋を訪ねて歩くという企画を実施した。
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「土地の物語を宿す人」としてTeam3を導いてくれたテリー先生と一緒に“毎日見ている自分たちの村“歩きながら、それぞれの家にある伝統的な要素を見つけていく。制作したTシャツをお家の方に差し上げて「木造の昔ながらのお家がすごく素敵です!大切なものを残して、見せてくれてありがとうございます。」と伝えていきました。
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毎日見ている村の風景も「異なる視点」を持って歩くと全く違う世界になる。「あ、あそこにもある!あれ、〇〇のじいちゃんの家じゃん」と学生たちが話しながら歩く背中に思わずニヤリとしてしまう。練り歩く学生たちに驚く伝統家屋の家主のおじさん、おばあちゃんの顔が照れ臭そうにほころぶ様子が、ぐっとくるフィールドワークでした。
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「活用して街に活かす、その事例を見たい」by Sopheap
首都プノンペンでは、近年、古いタウンハウスなどをレストラン、カフェやギャラリーにしたり、新しい建物をかつてのデザインと融合させたりする取り組みがある。その場所に長くある建物やそれが作り出す空間を尊重することがかっこいいという流れが、巨大な高層ビル建設現場の合間で、小さいけれど確実に生まれている。逆にコンポトムの州都Steung Seanにはそうした先行事例が少ない。Team4の導き人、地域の行政官でもあるSopheapから、行政を担当する人間として、他の部署も一緒に事例を観に行きたいという希望があった。
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取り壊して、再開発するという方法もあるけれど、そうではないAnother way (別の方法)もあるはず。町の未来を考えるとき「この町には“ない“ので、新しく作る必要がある」という文脈がほとんど。スマートシティ、それもいいけど、まずは今足元にあるこの町をもっと丁寧にみていくことから始めたい。それを一緒に考えていく仲間が行政に必要。ということで、市の行政官の方々と古い住宅の家主のおじいちゃんとともに首都プノンペンの事例を訪ねるスタディートリップを実施した。
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スタディトリップの最後にみんなで話をしていくと、あの建物のあの階はむかしこういうふうに使われていた。今はどこどこの管轄になっている。え、そうなんですか?僕が勤務してから8年になるけど、一回も入ったことない・・。などSteung Saen市にある古い建物たちの話が次々に出てくる。
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日常的に町の中では話されない話題、部署を超えて話す機会も極めて稀。ここからなにが生まれるかはまだわからないが、こういう“日常を超える“機会をつくることにきっと価値がある。
Beauty Home Campaign 2023
フォローアッププログラムの締めくくりにBeauty Home Campaignと題して、地域の美しい木造建築のお宅をフィールドワークしていく企画を実施した。
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初期案ではコンテストと呼んでいたが、準備の過程で、1番を決めることが大事なのではなく、地域に受け継がれている素敵な木造家屋を地域の皆さんと再確認したい、という目的に合わせ、キャンペーンに変更。村の中の伝統家屋の美しさに意識を向けるフェスのような3日間を設計した。
まずサンボー・プレイ・クック遺跡群周辺の景観保護条例がある地域で、それぞれの村で5軒の「Beauty Home(美しい家)」を推薦してもらった。(当初5つの村で実施する予定だったが、他の2つの村もぜひ参加したい!ということで7ヶ村を対象に。)さらに、この企画をこの地域の郡長と話した際に「beauty Homeには家屋のデザインや伝統のみならず、家の周りを快適に、衛生的に整えているかという手をかける美しさや、その家の人たちの精神の美しさも含まれる」という一言をもらって、それをもとに各村の5軒が選ばれた。
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そこから、日本、フィリピンおよび首都プノンペンからきたメンバーとコーディータ陣で、グループに分かれて実際に計35軒を訪問。選出された5軒のお宅のおうちの話、家族のお話を聞いて回った。木造家屋は解体したり、そのまま曳いたりすることで移動できるので、家自体が“引越し“を経験している場合が多く、家そのものにも物語がある。
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そのあと、各村の5軒から、村を代表する家を家主の皆さんで話し合って選んでもらった。「私の家は古いから、そんな美しい家ではないの」と初めはほとんど全員が遠慮しているが、それぞれどんな良さがあるかを自由に話していくなかで、それぞれの村の代表が決まった。村の外からきたメンバーは“評価する人“ではなく、“対話に伴奏する人“としてその場にともにいた。対話のなかに登場しなかった要素について「私たち=外から来たものから見た美しさはこういうところにもあるよ」と伝えることもあった。
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最終日、サンボー・プレイ・クック遺跡内の会場で、各村の代表の家の写真展を開催した。Door to Asia 2022のクリエイティブ、ポルトガル人のMiguelが写真を撮影してくれた。展示された写真を前に、訪ねた時に聞いた家にまつわる物語をインタビューする形で、語ってもらった。
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家主さん自身に前に出て家を紹介してもらうと、近所の人たちが声をかけたり、思い出話のやりとりがあったり。初めは「なにを話せばいいかわかんない。みんなの前で話すなんて・・と」と固くなっていたお母さんたちも背筋を伸ばして話をしてくれる。
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最後は、大家さんたち、近所の皆さん、村長、地域外からの参加者、運営メンバー全員が1人1シールの投票券を持って、7つの家から「ここが素敵だな〜」と思う1軒を選び、Beauty Home Campaigne 2022としてアワードを贈呈。
こうしたイベントの多くが「外から来た人によって評価される」というケースが多いなかで、地域の家主さんたち一軒一軒と実際に話ができたことで、さらに受け継がれてきた伝統家屋の面白さに触れられた。さらに、大家さん、その近所のみなさんとその美しさを共有するオープンな場を持つことができたという点で、Door to Asia らしい地に根を張る大きな一歩を実現できた。
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Door to Asia 2022を終えて
世界システムの機能が停止した2020年は私たちに、上に向かって伸び青々と茂る枝振りや美しく実る果実から、土のしたで静かに、ゆたかに、揺らがずに張るの存在へと目を向ける機会をくれた。1人ひとりの根、家族が持つ根、地域が持つ根、私たちの毎日の暮らしが持つ根。そのどれもがあって、私たちの1日1日が営まれる。
その根の確かさを知っているほど、上に向かう枝は力を得る。
その根がゆたかに届けてくれるから、花も果実も美しく咲き、結ぶ。
根を辿ること、根に出会うことはただのノスタルジーじゃない。
根は知っている。その枝がどのくらい、どの方向に、どんなふうに伸びていくか。
個々の植物はその性質が違って、それぞれに備わった自然な在り方がある。
Door to Asia 2022 の全編終了から1年後に実施した振り返りの対話のなかで、カンボジアから参加したクリエイティブたちから出たコメントがそれを物語っている。
“競争する、という方法じゃなくて、共創する、Co-creativeな制作の在り方をはじめて体験した。DTAを経験してから他の仕事でもその”DTA method“がすごく活きている。そのおかげでDTAのフレームじゃなくても、一緒に仕事する人たちといい関係を築けている気がする。“
“たった1週間しかいなかったのに、帰りたい場所になっていることに、自分でもびっくりしています。最初にプログラムの場所を聞いた時、正直に「なんで、コンポントム?」って思ったんです。何があるの?と。でも行ってみたら、ものすごくゆたかな世界がそこにあった。今まで知らなかった領域の広がりです。そして、コンポントムで出会ってこのゆたかさは、コンポントムだけではないと思う。きっと私たちの国のいろんなところに、いろんな違う形であると思う。Door to Asiaは外への扉でもあるけど、自分たちの国、地域へのDoorを開けてくれた。“
“今まで参加してきたプログラムとか研修は、基本的にゴールが数値で決まっていた。これを○人くらいの人たちに届ける、とかプログラムとして達成していく道筋と天井の目標が決められている。でもDTAは、すごく違った。1週間後にどんなことが起こっているイメージ?と確認したときに、それがあまりに自由で。本当に、青い空だけが広がっているような感覚だった。でも、実際に参加して振り返ると、そこに土が耕されていて、何かが生まれそうな組み合わせで選ばれた参加者が種のようにその土に入っていく。だから、何も生まれないわけがないし、逆に形が決められていないからこそ、いろんな形のアウトプットがそこでお互いを感じながら成長していく様子が、まるで植物のようだった。だから、すごく森みたいなプロジェクトだと思う。“
そして、今回撮影チームとして参加してくれた20歳のコンポントム出身の青年が言った一言も、プログラムの根の部分を象徴していた。
“今まで、コンポントムには何にもないと思っていた。だから、出身地を聞かれても答えたくなかったんです。でも、今回DTAを通して見せてもらった故郷には本当に、いろんなものがあった。すごく素敵な人たちがいた。これからはちゃんと言いたい。コンポントムの出身です、と。“
ここまで1万2000字も読んでいただき、ありがとうございます。
そして、コロナ期という不確かななかでもこれを一緒に実現してくれた仲間たち、納得できる形を追求してください、と見守っていただいたTOYOTA財団さんに、改めて感謝を。