『ゲームさんぽ』
面白かった本を紹介するシリーズの第二弾。今回は『ゲームさんぽ 専門家と歩くゲームの世界』を見ていきたい。
1.ゲームさんぽとは?
ゲームさんぽは元々、Youtubeのゲーム実況動画から始まった。
「ゼルダの伝説×気象予報士」「アサシンクリード×古代ギリシャ研究家」「デトロイトビカムヒューマン×精神科医」といった具合に、専門家と共にゲームをプレイしつつ、ゲームの世界を散歩するかのごとくに、専門家の目から見える世界に迫る、というコンセプトのシリーズだ。
帯文では”ざっくり言えば「専門家の目で見たゲームの世界はどう見えるのか」を楽しむ企画である”と説明されている。
そんな動画シリーズの経験を元に、新たに専門家との対話を繰り返し、一冊の本として仕上げたのが、本書である。
動画を見ていなくても楽しめるのはもちろんだし、どころか取り上げられるゲームを知らなくても楽しめる作りになっているので、そこは安心してほしい。
1-2.精神科医が見る『デトロイトビカムヒューマン』
前述のとおり、ゲームさんぽとは「専門家の目で見たゲームの世界」を覗き見るというコンセプトを掲げている。
しかしこの説明だけでは、いまひとつピンとこないと思うので、具体例を見てみよう。
上記の動画は、『デトロイトビカムヒューマン』を「精神科医」が体験してみるものだ。
(動画を5分くらい見ればわかってもらえると思うので、以下は読み飛ばしても構わない)
本ゲームは、近未来を舞台にしたアクションアドベンチャーゲームで、そこでは人間と見分けがつかないくらいに進化し、台頭したアンドロイドの姿が描かれる。彼らが人間との軋轢のなかてやがて自我を持っていく、といえば大体のイメージは掴めるだろうか。
ゲームは、主人公コナーがエレベーターに乗っているシーンで幕を開ける。
ここでコナーは、目的の階に到着するまでの時間つぶしに、コインを指で弾き、手と手の間を往復させ、弄んでいる様子が描かれている。
これはとても人間の体では出来ないような動きで、僕のような非専門家(本書では「誰しもが何らかの専門家である」という立場が取られているが)からすると、
「すげー! アンドロイドだからこんな精密な動きも出来るんだ!」
くらいの感想しか覚えないものだが、これを精神科医が見るとどうか。
上記の様子を見ていた精神科医・名越は、ここで早くも、
「これはアンドロイドが遊びを覚え始めていることを隠喩している。アンドロイドという枠組みを抜け出して、人間のような知性、または人間とは違った形の知性になりつつあるのではないか」と鋭く指摘する。
その後も名越は、コナーの微妙な表情の変化に着目し、「右目より左目のほうがやや大きいから、左脳型ではないか。左右のバランスに欠いたこのタイプは、途中までは真面目だが、ある時点から狂い始める可能性がある」などと分析をしていく。これこそ、専門家の目だ。
※名越の発言はいずれも大意。厳密なものではないので、意図を知りたい方は動画を。
2.「対話型鑑賞」と「環世界」
さて、ゲームさんぽが何なのか、なんとなくわかってきたところで、密接にかかわっているある概念を紹介したい。
それは、美術作品における鑑賞方法のひとつである「対話型鑑賞」だ。
対話型鑑賞は、歴史的に既に付与された意味ではなく、鑑賞者が感じたありのままの感想こそが重視される。
逆に言えば、鑑賞者同士が自らの感想をもとに「対話」し、それによって作品に意味を付与していく、というスタンスだ。
つまりゲームさんぽは、専門家の目で見た「感想」を覗き見る試みであり、あくまでもゲームに対する「解説」ではないのだ、ということだ。
「へぇ、俺はこう見えてるけど、お前の視点だとそんなふうに考えるんだ」という違いっぷりこそが、ゲームさんぽの醍醐味である。
2-2.環世界
この理解をもう少し発展させるために、「環世界」という考え方を紹介したい。これはドイツの理論生物学者、ユクスキュルが提唱した概念だ。
僕自身めちゃくちゃ浅い理解しかできていないが、非常に気に入っている概念なので、イメージを掴んでもらうためにざっくりと説明する。
環世界とは一言で表せば「あらゆる生物は同一の世界に生きているみたいだけど、でも世界をどう認識しているかはそれぞれで違うよね。動物って、種によって違う固有の世界を生きてるんじゃね?」みたいな概念だ。
これを説明するときによく出てくるのが、マダニの例だ。
ダニの一種であるマダニには、嗅覚と触覚はあるが、視覚と聴覚が存在しない。彼らは木の上に住んでいて、獲物(吸血対象)である動物が下を通りかかるまで、辛抱強くじっと待っている。視覚はないので、嗅覚を利用して、獲物が放つ酪酸の匂いを、じっと待っている。
そうしてようやく、酪酸の匂いを感じ取った時、獲物がいるであろう木の下に向けて落下。無事に動物の上にたどり着ければ、ようやく吸血にありつける。そんな生活を送っている。
こうして見てみると、「僕たち人間の世界と、マダニの世界って違うんだね」ということが感覚的に理解できてくるのではないかと思う。
人間は視界や音も使って世界を認識しているが、マダニは真っ暗闇の世界の中(視覚がないので暗闇さえ認識していないが)いつやってくるともわからない酸の匂いのみが全ての世界に生きているのだ。
……いや、環世界を理解するにおいては、この表現さえ適切ではない。
他の本が出てきて恐縮だが、國分浩一郎の『暇と退屈の倫理学』から、環世界についての話を引用しよう。
そして、重要なのはここからだ。
先ほど環世界は「種によって固有」と書いたが、人間においては必ずしもその通りではない。
例えば、何げなく通りかかった路地の傍らに、花が咲いていた。これはある人間の環世界においては「きれいな花だなぁ」と認識されているかもしれないし、もしくはそもそも花があることさえ認識していないかもしれない。
けれど植物学者の環世界においては「あの花はフリージアっていう南アフリカから来たもので、あれが咲いてるってことは今は冬かな?」なんて認識がされたりする。
國分浩一郎は同書において「人間は他の動物に比べ、比較的『環世界間移動能力』が高い」と指摘している。
込み入ってくるので詳しい説明は避けるが、上記の例でいえば、「きれいな花だなぁ」とだけ思っていた人間でも、知識を得たり借りたりすることで、「あれはフリージアだ!」という専門家の環世界に移動することができる、というわけだ。
環世界の説明が長くなったが、ゲームさんぽとの繋がりが見えてきたのではないだろうか。
ゲームさんぽのコンセプトである「世界の見え方の違いっぷり」というのは、この環世界のことに他ならないのではないか。
3.本書の魅力について
説明が長くなってしまったので、ここからは駆け足で、本題である本書の魅力について紹介していきたい。
先に結論だけ書いておくと「2000円でこれだけの内容が読めるの、コスパよすぎね!?」だ。
本書の魅力のひとつには、専門性のある知識を扱っていつつも、万人に開かれていることがある。
専門家ならではの視点で切り取られた題材を扱いつつも、その分野に詳しくない人に読んでもらうことを前提としているため、非常にわかりやすいのだ。巧みな言葉遣いで、読書そのものの面白さを感じさせてくれつつ、それでいて専門知識をうかがい知ることができる。
先ほどの説明に照らして言えば、「容易に環世界を移動できる仕組みになっている」ということになるだろうか。
しかしとはいえ、同じ分野の話を深掘りしていけば、議論は次第に専門性を増していくだろう。しかし本書は、様々な分野を越境することでそれを回避している。つまり、扱っている題材が非常に多岐にわたっているのだ。
気象学から始まったかと思えば、古代ギリシャ、建築、天文、精神科、法学にまで分野を横断し、そのバランス調整が非常に巧みなのだ。
本書を読むこと自体が、様々な分野を「さんぽ」するような経験になっている。
参考までに、読みながら気になったところをメモする索引を作っていたので、載せておく。これをざっと見るだけでも、題材の幅広さが垣間見えるだろう。
続いてこれはややメタ的な見方かもしれないが、本としてすごい!というのがある。
紙面の構成は全編にわたって下図の通りであり、本文下の余白が注釈欄として利用されている。同居人は「国語の教科書みたい」と言っていたが、まさしくだろう。
さらに驚くべきことに、引用されている図版は、全編にわたって、すべてカラー刷りなのだ。気合の入り方が違う。これが2000円で売れるってどうなってるの? 重版とかめちゃくちゃ大変じゃね? などと。
続いて、本書は得られる知識だけでなく、言葉の選び方にもうならされる部分が多い。これに対する姿勢は本企画の主導者である、なむの以下の発言に如実に表れている。
この感覚は非常に共感を覚えるところで、上記の表現自体にも僕は「ゾクッと」した。招かれた専門家だけでなく、主催側のなむ、いいだの口からもこうした発言がボコボコ出てくるので、ゾクッとしっぱなしの読書体験だった。気にいっている言い回しを、いくつか引用しておこう。
・ゲームさんぽ特有の「偶然見えちゃった感」
・現実よりも先にゲームで気象が身近になる
・映像の野性的な魅力
・雪が音を吸い込んでシーンと静かになる夜の感じ
・既存の文化にくるまれた中で傷を舐め合っている
とまあ、キリがないのでこのへんで。
最後に、ゲームさんぽを象徴するような言葉を引用しておこう。
この本が2000円で買えるのはやばいので、是非に。
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