ぼくの死生観を変えた、二十二歳の夏。

0.


22歳から向こう、ぼくは余生を過ごすつもりで、日々を生きている。

どうせ余生なのだから、大抵のことはどうだって構わないし、逆に何だってやることが出来る。
それは諦めであり、同時に、希望でもある。

ぼくはどうして、残りの日々を余生と思うようになったのか。
そのきっかけには、何があったのか。

そんな話を、今日はしてみたい。


1.

白状しよう。22歳の夏、ぼくは自殺未遂をした。

いや、実のところ、時期はあまり正確に覚えてないので、21歳だったかもしれないし、23歳だったかもしれない。春だったかもしれないし、秋だったかもしれない。ひどく寒かった記憶はないので、冬ではないはずだけれど。

当時のぼくには、結婚を考えている、9歳年上の彼女がいた。

付き合い始めた当初、彼女には歌舞伎町で肩で風を切って歩く別の彼氏がいて、「次会ったら鉄板に顔を押し付ける」みたいな脅しを受けた覚えもあるけれど、そのあたりの話は別の機会に譲ろう。

ともかく、結婚を考えていた。
結婚を考えていたといっても、お互いに熟慮して決めた結論ではなく、半分は流れのようなものだった。
ある日、彼女と2人で飲んでた時、そのままふと思い立って埼玉にある彼女の実家に向かい、両親と顔を合わせたりもした。

けれど、そんな話は気付けばなし崩し的に、うたかたの夢のように、はじけて消えた。
きっと、当時の僕には、覚悟が足りなかったからだ。

そうして彼女は、僕の元から離れていった。
僕はまた、ひとりきりになった。


2.

僕はまた、ひとりきりになった。
心に空いた穴を、空虚の風が通り抜けて、気の抜けた音を鳴らす。
無駄にエモーショナルで、陳腐な表現だが、ぼくはそういう人間なのだということで、ここはご理解いただきたい。その根っこは、きっと今でも変わっていない。

いずれにせよ、それなりに色んなことを頑張っていたはずのぼくには、彼女との別れは重大なイベントだったのだ。

良い機会だったのかもしれない。そこそこ頻繁に、希死念慮を思っていたぼくにとって。

死のう、と思った。

電車で1時間と少しかけて、鎌倉へ向かった。
自殺するなら海がいいな、と決めていた。

由比ガ浜に着いた頃には、既に日は落ちていた。
周りに人は、見当たらなかった。
記事のタイトルで「夏」と書いたが、その光景を思い起こすと、海水浴のシーズンが終わった、秋のことだったのだろう。

少し歩いたコンビニで、200mlのビーフィーター・ジンを2本買って、また砂浜に戻った。

砂浜に座り、何を考えるでもなく、ぼーっと、ジンで唇を湿らせた。

2本ともすっかり平らげると、日付が変わっていた。
身体は酔っていたけれど、不思議と頭は冴えていた。

真っ黒な海と、星ひとつない真っ黒な空との境界が、混じり合っていた。
遠くに見える街灯と、江ノ島に見える光が、唯一の灯りだった。

そろそろだなと、ぼくは立ち上がる。


3.

着の身着のまま、ざぶざぶと海をかき分けていく。

時折、立ち止まって、空を見上げる。
そこにはやはり、星は見えない。

また、歩いていく。
水位は気付けば、胸のあたりまで到達していた。

泳げないぼくにとって、あと少し歩を進めるか、あるいは高めの波が来れば、全てが終わる場所。

そこでまた、ぼくは空を見上げる。
そのまま、どれだけの時間が経ったのかはわからない。
わからないが、ふと思う。

「別に今じゃなくてもいいな」

ゆっくりと時間をかけて、ぼくは砂浜へ引き返していく。
海水を吸った服は、いつもより重かった。


4.

午前2時だか、3時だか、それくらいだったと思う。
どこか、始発まで身体を休められる場所を探さなくてはいけない。

鎌倉の駅まで戻り、カラオケに入った。
2,3曲だけ歌ってみて、あとは眠っていた。

起きると、陽が昇っていた。
また電車に乗り、東京へと帰る。

バイト先に停めていたままだった自転車を回収し、我が家へとたどり着く。
何件か届いていたLINEを適当に返し、ぼくはまた眠りについた。

それからのことは、あまり覚えていない。


5.

かつて、ぼくは自殺未遂をした。
といっても、自分で見切りをつけて、途中で引き返したのだから、自殺未遂といっていいのかどうかも怪しいけれど。

ともかく、ぼくはあの日、1度死んだ。

1度死んだ後の、たまたま残っている人生なのだから、それを余生と言わずしてなんというだろうか。

1度死んでしまったのだから、あとは何をしたってかまわない。どうせ、たまたま得られた残りでしかない。

何をしたっていいし、何もしなくたっていいし、何に興味を持つこともできる。必要以上に何かを背負うこともなければ、必要以上に何かを背負うこともできる。

あるいはそれは、おまじないのようなものであるかもしれない。
これから色んなことがあって、色んな壁にもあたって、色んな出会いがあることを、なんとなく想像はしている。
けれど、やっぱり、改めて言わせてほしい。

22歳から向こう、ぼくは余生を過ごすつもりで、日々を生きている。

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