アルバカーキ・サーガ
「ブレイキング・バッド」から始まったドラマはNETFLXで「エルカミーノ」という映画になり、そのままスピンオフドラマ「ベター・コール・ソウル」へとつながっていった。その全てがアメリカのアルバカーキという街を舞台としている。ニューメキシコ州にあり、メキシコからの移民が多く住む西部の街だ。車で少し走るとそこはもう荒野。アメリカという国の「目の届かなさ」を感じられる場所である。この3作はアルバカーキ・サーガと言われ、ドラマ史上最高の作品だと言われ、自分もそう思っている。面白すぎて、ブレイキング・バッドは3周見てしまった。全5シーズンを。ベター・コール・ソウルは2周見た。ここまでの5シーズンを。次は最後の6シーズンで、シーズンの数も、話数も、そして作品としても、本家のブレイキング・バッドを超えるだろうと言われている。
では、何がそんなに面白いのか。それをこれから書こうと思う。しかし、自信がない。この作品の面白さを、しっかりと認識して文字に起こしていくことが果たしてできるのだろうか。不安だ。
そもそも、この連作がどういった種類のドラマなのかを簡単に説明する必要があるだろう。「肺がんにかかってしまった高校の化学教師ウォルター・ホワイトが、その知識を活かして麻薬を精製し、販売していくうちに、アルバカーキの麻薬王ハイゼンベルグになっていく」文字にするとこれだけだ。しかし、このドラマの中には、多くのものがつまっている。何から話せばいいんだろうか。
社会の反映
このドラマが始まったのは2008年。オバマ大統領が「オバマ・ケア」という政策を打ち出した頃である。米国は医療費が高い。それは国民皆保険制度がないからであり、重病にかかった瞬間に人生が詰む。米国はまた、経済格差が世界一えげつない国でもある。高校の化学教師で、妻と脳性まひの子どもを養える給料は得られない。授業の後に洗車場で車を洗うアルバイトをしていたらさっき教室で叱りつけた学生がやってきてそいつの車を洗う、なんてハメにもなる。このドラマの設定は突飛なように見えて、アメリカ社会の病巣を見事に反映している。やむを得ない理由で、主人公は追い詰められていく。がんにかかり、お金はない。そんなとき、高校の教え子で不良少年のジェシー・ピンクマンと出会う。ジャンキーで売人でもある彼と組んで、メタンフェタミン(覚醒剤)の製造に着手する。化学教師としての知識をフルに動員した結果、その地域のメス(メタンフェタミンの通称)の純度をめちゃめちゃに更新した最高級の商品をつくりあげてしまう。平均で60%程度の純度を96%超えまで高めてしまうのだ。そして「仕方なく」麻薬王への道を歩んでいく。この描写が見事すぎて、そりゃあ、そうなるよな。と思ってしまう。いや、本当はそうはならないんだろうけど、自分がその立場だったら?そこには現代社会のリアルが詰まっている。「自分の物語」であり「社会の物語」であり「時代の物語」である。その圧倒的なリアリティが、この作品の強度と魅力を担保しているのだ。
映像としての美しさ
アルバカーキの大自然や、アメリカの平均的な街並みを、映画的技法で撮影する時、そこに立ち現れる美意識やグラフィック写真的な感性が、目を捉えて離さない。徹底的なヨリ、効果的なヒキ、カメラの適切なムーブ、雑なGOPROの臨場感、わざわざセッティングして撮るほど?と思うくらい、多くのアングルから撮られるインパクトのある画、画、画。編集の効果的なつなぎ方。ヒキでそのシーンを終えることで立ち上る哀愁とおかしみ。やたら広角でローアングルから捉える車。すべての人・モノ・コトが美しい。映像をつなげることに、こんなにも意味を持たせられることが恐ろしい。
登場人物の神話的アイロニー
基本的には「悪に落ちていく」ことが、この物語のベクトルである。主人公はもちろん、その周りの様々な人たちが、環境的にも、精神的にも、倫理的にも、「悪い方へ悪い方へ」と落ちていく。そこには悪意や打算はなく、ただただ目の前の運命に翻弄されるだけである。化学教師として生徒を導くはずが麻薬をつくるハメになるやつ。DEA(麻薬取締局)の夫を支えるはずが、万引きに走ってしまうやつ。夫の悪事から子どもを守るはずが、一緒にマネーロンダリングのためのビジネスを始めてしまうやつ。麻薬の流通を仕切る悪人なのに、誰よりも優秀なビジネスマンであるやつ。いちばん最初に麻薬を売っていた不良少年が、最も優しくて、人を傷つけられず、だからこそ、最も弱く、過ちを繰り返していく。最も多くのものを失っていく。不平等。皮肉。運命の悪戯。不条理な、神話的な、たまらなくなる物語が、登場人物の運命を悪い方へと引っ張っていく。物語とは、主人公を困らせることだ、という教えがあったが、このドラマに出てくる人物は、全員が困っている。目の前の難題に、常に悩まされている。そこに一生懸命立ち向かっていく。それだけなのに、状況はどんどん悪くなっていく。物語は、運命や、神を批判しているのだろうか。政府や社会構造を批判しているのだろうか。人間とは、なんと業の深い生き物だろうか。
演出センス
キューブリックやデヴィッド・フィンチャーの計算された美しいヒキ絵と、タランティーノの雑でセンスに満ち溢れた編集をミックスしたかのような映像スタイルは、一度見ると病みつきになる。怒りを表明するためにピザを屋根に投げるシーン。プールの中に半分焦げた人形を沈めるシーン。そしてそれらの「アイコン」を、物語の冒頭で提示し、後から謎を解かせるカタルシス。執拗な工事や、作業や、工夫といった、一見地味な「手作業」を執拗に描くシーン。それらの徹底ぶり。これもまた、一度見てしまうと、国内の低予算ドラマのスッカスカな美術やカラーグレーディングや演技や物語の空虚さに愕然としてしまって、もう元に戻れない体になる。退屈にも思えるような1人の人間が、何かを思って行動する。その理由は言葉では語られない。見ていれば分かる。その見ていれば分かる。の部分は、観客の知性への敬意でもある。見る人はバカじゃない。しっかりと映像を描けば、言葉は必要ない。そして、言葉は嘘をつく。本人も気づかないうちに。そのことを、この映像作品は、映像という言語で教えてくれる。
ダメだった。本当はもっとあるはずなんだけど、書けなかった。多分まだ言語化されてない。見れば見るほど面白すぎて、その面白さの理由を考えているうちに次のおもしろさにやられてしまう。見ているうちが人生で、見終わってからは、ちょっと現実世界というコマーシャルでも挟むか・・・みたいな気持ちになる。史上最高のドラマ、ブレイキング・バッドと、そのスピンオフ作品ベター・コール・ソウル。また映画化作品のエルカミーノ。すべてNETFLIXで見れる。そのためだけに入会してもいいくらいだと思う。そして、ベター・コール・ソウルの第6シーズンは2021年公開だと噂されている。それまでに予習するなら、今がベストのタイミングである。