モンゴルの遊牧民に教わったシンプルな生き方
夏休みで約1週間、モンゴルに行ってきた。大学時代のG先輩と避暑&冒険的なノリで。遊牧民のゲルに泊まって、大草原で馬に乗りたいよね〜的な感じで。
モンゴルの基礎情報はこんな感じ。人口は334万人。横浜より少し少ないくらいだ。面積は日本の約4倍。世界一人口密度の低い国。遊牧民族をルーツとする国。かつてチンギス・カン(最近はハンじゃなくてカンというとか)が最大版図と呼ばれるような広い地域を治める一大帝国であった。
馬に乗り、矢を放つ、最強の軍団であったが、近代化の波には乗れず、帝国は衰退。モンゴルはソ連と緊密な関係を持つ社会主義国となったが、ソ連崩壊と共に民主主義&資本主義国へ。旧ソ連ではないが、カザフスタンやウズベキスタンのような旧社会主義国と状況は似ている。観光地化がそこまで進んでいないためか、ぼったくりやだまそうとする感じがなくて、人がとてもやさしい。接し方はアッサリしていて、後を引かない。ぶっきらぼう。でも誰にでも家族のように親密に接する。という、どこか懐かしい感じの人たち。昭和の日本っぽい雰囲気もある。
ウランバートルは開発が進んでおり、車の渋滞に悩まされながらも、発展し続けている。略して「UB」と呼ばれていたりも。若者は広場でバレーボールに興じていた。みんなスマホを見ていない。そこまで電波がよくないってのもあるんだけど、より身体的な活動を愛している民族なのかなって思う。
バスカードを買おうとして、キオスクのおばちゃんと話してもうまく通じなかったことがあった。その時、となりのお店の韓国人のおばちゃんが韓国語でサポートしてくれて、結局、最初から最後まで全然内容は分からなかったけど、とにかくなんとかなった。このような、家族的、親戚的、友人的なやさしさが当たり前の国なんだなと思う。
ちなみにUBではぜんぜんタクシーを見ない。それもそのはず、白タクが基本なのだ。一般の車に対して腕をぶらぶら振ると、キュッと車が止まってくれる。値段と目的地をなんとなく言って、契約成立である。確定申告どうなってるのか。そんなスタイルでも、一度もボッたくられなかった。いい人ばかりだ。
UBの観光もそこそこに、2泊3日の遊牧民ゲルのホームステイツアーに出発。UBから2時間くらいで、大都会から大草原へ。
遊牧民ゲルは夏用であり、冬はまた別の場所に建てるという。気温はー30℃を下回ることもあるほど。この厳しい寒さとどう向き合うかが、暮らしに強く影響している。羊、牛、馬などを飼うのも、寒さに耐えられる種だから、というのもあるのだ。
遊牧民の生活はとても規則正しく、朝、晩の乳搾り、乗馬のアクティビティ、羊の解体、料理、洗濯を、流れるようにこなしていく。生活と仕事の切り分けがあまりないようなイメージ。主に男性が羊の屠殺や乗馬の指導など外仕事を担当し、女性が羊の内蔵の調理や洗濯など家仕事を担当する。と、いいつつ、泊まったゲルでは少女が馬にのり、お父さんがタマゴを焼いてくれたりもした。特にUBでは、女性の社会進出が進んでいるようだ。
主なアクティビティとしては乗馬を1時間くらいかけてやる、というのがあるが、それ以外はちょっとしたお手伝いをしつつも、基本暇なので、思い思いに過ごす。絵を描いてみたり、ドローンを飛ばしてみたり。
滞在中のスケジュールはあまり明確に決まっていなくて、乗馬を何回するか、山羊の解体を見るか、くらいは時間の指定があって、それ以外は飯と手伝いと、草原をぶらつく日々。ここには警察も、道路も、ルールもない。人と自然と家畜、そして、うんこがあるだけである。
そうして、初めての乗馬に挑戦した。鎧を踏み、馬具に跨り、先導されながら、ポコポコ歩いて行く。川べりで遊び、戻る。途中、連れションする馬たち。思ったより怖くないし、視線が高すぎることもない。ひざが慣れない角度で固まり、つらくなってくる。それにケツが痛い。そう、ケツが痛いのだ。これは、1日何時間もできない。戦国武士すごい。モンゴル族すごい。5歳くらいから乗っている遊牧民、ヤバい。
そして、ちょっと怖い、羊の解体である。結果的には見てよかったと思う。どんな肉だって、命を奪って食べているし、その現場を今まで見たことなかったのだ。日常の調理の延長のように羊を屠殺する方の動きはどこか美しかった。無駄がなく、苦しみが少なく、大地を汚さない殺し方だった。
※苦手な方は見ないでください
まずは、お腹のあたりを10cmくらいナイフで切り、腕を突っ込んで、動脈をプチッと捩じ切る。そうすると、息が苦しそうになり、事切れる。すごくあっさり命が消える。そのあとは手早く解体が始まる。内蔵を取り除き、胃腸から糞を洗い流し、血もお椀で掬い取る。毛皮ははがして干し、肉は部位ごとにカットして、焼いたり、煮たり、串に刺したり。朝解体した羊を昼や夕に食べる時、命そのものを身体にインストールするような、まさに血肉になるような感覚を覚えた。
それは、舌がおいしいのではなくて、身体が喜んでいるような感じ。味つけは塩だけでいい。命をエキスとして味わいたい。この感覚は今まで料理に対して思っていなかったことで、原始的な興奮を覚えた。逆に言うと、冷凍で切り身で売られている肉を見て「本物じゃないな」みたいな、謎の感覚を覚えるようになった。本当の贅沢とはなんなのか。タワマンの上で食べるローストビーフより、解体したての羊をすきま風が入るゲルで食べる方が贅沢なのではないか。
翌日も馬に乗り、内股が筋肉痛になり、ちょっと上手くなる。最後には一人で手綱を持たせてもらい、ちょっとの散歩もさせてもらう。馬に乗るの、ハマりそう。
夜は、満天の星空。流れ星を探したりする。永遠に続くような静寂・・・みたいなものを想像していたんだけど、実際には、このゲルの2kmほど先には「ツーリストキャンプ」というシャワーと電気がついているリゾートがあり、なんなら、重低音のクラブミュージックが鳴り響いたりしている。現実は、フジロックの寝れないテントのような環境だ。おいおい、資本主義。でも、重低音を浴びながら星を見るのもまた一興である。現実はいつも、想像より、ちょっと斜め上になる。それが旅をする理由かもしれないし、そうやって、自分の思い込みを一枚ずつはがしていくのが気持ちいい。偏見のかさぶた。
遊牧民の生き方は、自然と家畜と家族を中心に、はたらくことと、暮らすことがシームレスにつながっている。チンギス・カンの時代から、権力者であっても、豪華な家をつくらず、最小限の持ち物で移動することに美徳があった。だから、食や住がとにかくシンプルである。羊は基本、塩のみの味付け。だからこそ、舌が鋭敏になっていく。ひとつも無駄なものを食べていない気がする。気が付いたのは、ここでの暮らしでは、ほとんどゴミが出ない。食べるものは素朴で刺激のない味である。身体にいい、というか、身体が喜ぶものばかり食べている。眉唾っぽいことをいうと、頭にあったデキモノが、モンゴル滞在で治ってしまった。腸がガスっぽくなることはあったが、体調を崩すこともなく、自然と溶け合うような感覚があった。ただ、日焼けはすごかった。遮るもののない草原。直射日光がすごい。よい子は帽子持っていこうな。
そしてゲルを離れ、UBへ戻る。途中、新・観光地であるチンギス・カン像に寄る。バカでかいが、仙台で共に学生時代を過ごした我々は「中山大観音の方がデカいし、そもそも市街地に立ててるのがヤバすぎる」という結論に達しました。
UBに戻り、ザイサン・トルゴイという丘へ。夜のUBが一望できる。建築物が独特で、デザインが好きだった。どこかメキシコっぽさも感じる。いろいろな文化が混ざり合っていて、刺激的な街である。
モンゴルの南はゴビ砂漠が広がっており、そこからはたくさんの恐竜が出土している。実は恐竜大国でもあるのだ。モンゴル、奥が深いぜ・・・。
大草原から大都会まで振り幅の大きなモンゴルの旅。遊牧民ならではの「モノを持たない」「ゴミを出さない」「足るを知る」暮らしに、SDGs&ミニマリズム的な現代性を感じた。旅を続けている遊牧民族というのは、我々日本列島の農耕民族の祖先かもしれない。(蒙古斑を持つのは、その証拠とも言える)だからなのか、旅の節目節目で、ある種の「なつかしさ」を感じ続けた旅だった。今度は冬に犬ゾリに乗りに来たいと思ったのであった。
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