いつか「なれる」と信じて
こんばんは夜緒です
皆さまは最近読書しましたか?
私はここのところの陽気や鬱の気にやられ
ここ数ヶ月本を読めてません
漫画なら最近は島本和彦先生のアオイホノオを踏破してました
昭和末期の漫画界やサブカルチャーを当時の事情知らない私でも
すごく楽しめたのでオススメです
さて話を少し戻すと最近はなろう小説(←しらないひとは”なろう”でググってね)が製本化アニメ化メディアミックスなど巷を騒がせてます
学生時代ラノベ読んでた層からすると
な、なんてここまで欲望をさらけ出してるんだ!
欲望の解放のさせ方がへただよカイジ君……
そこまで現実逃避したいの???
などと私的には思ってしまいますが
ラノベの時点で文学小説からすれば低俗化して見えるでしょう
文学小説も明治時代には
最近の若者は漢文も読まず夏目漱石など読みおって!
てな具合だったと聞きます
そしてそれはなろうの先も続くでしょう
誰かがまだなろうの方がよかったと語る
恐ろしいものが誕生する事でしょう
それは多分ペンもキーボードもいらないでしょう
それまで生きていられたらいいな
なろうは詳しくないですがラノベなら少しはわかるので
そっちをこれから語らせてください
ラノベ、なろう共通するものそれはロールプレイングだと思います
広大で未知の世界観
主人公をサポートしてくれる頼もしい仲間たち
(↑なろうの追放物の場合もう一ひねり入ります)
そして読者の代弁者たる主人公
便宜上代弁者と書きましたが
ロールプレイングゲーム(以下RPGと略)でもそうですが
ラノベを読むとき主人公に感情移入して読むか
上次元の神の視点から俯瞰して読むかに分かれると思います
自分は俯瞰派です
RPGプレイ中母に「RPGってキャラクターになりきってるの?」
と聞かれ私はそうではないと答えたのを覚えてます。
なりきってなかったらなんなのという話で俯瞰、って話になったの
です
俯瞰といはいえ世界観に入り込んでて
あのころ私はロックやエドガーと世界中を旅してたし
オーフェンや相良宗助とともに戦っていた
彼らは私のあこがれだったしいつか「なろう」としていた目標でもあった
そうしてみると今のなろう読者たちもなにかになろうと四苦八苦して
いるのではないかとおもえる
私がラノベもなろうも読めなくなったのは
今の自分以外になれなかったからなのかもしれない
いやー若いっていいね