お味噌汁の話

「これ好きよ」
「知ってる。だから作ったの」
きっと、確かに愛されていた。



誕生日が苦手だという話をしようと思います。
お味噌汁の話もします。最後にします。最後まで読んでください。





他人の誕生日はめでたい

誕生日って何がめでたいのかわかんないんですよ。

友人の誕生日はめちゃめちゃ祝います。
特に仲が良くてよく会う友人なら4桁のプレゼントを渡します。5桁はちょっと勘弁してほしい。消費税と所得税と住民税が0になるまでは。
最近そんなに会ってないなっていう友人でもPayPayの残高があればLINEギフトでスタバカードを送ります。残高がないときは気づかなかったふりをします。ごめんなさい。

とてもとてもめでたいです。
友人を産んでくれた親御さんにも感謝をしながら友人がこの世界に生まれ今を生きているということを祝います。人生は素晴らしい。


ちょっとだけ嘘です。
誕生日がどうとかは口実で、本音の部分で好きなのは人に何かをあげるという行為です。

ショッピングをしているときにふと、あ、これ○○ちゃん好きそう、とか思って手に取ります。友達思いで優しい人みたいですね。
でもなんでもない日にプレゼントを渡すのはキモいので買えません。誕生日ならセーフです。誕生日は私の"人に何かをあげたいというヘキ"を満たしてくれるんですよね。ビバ。

でも、自分の誕生日はなんにもめでたくないし、もっと言えば怖いです。



自分の誕生日は怖い

朝予定通りに起きられたとか寝る前にお風呂に入ったとかお釣りが少なくなるように上手に小銭を出せたとかモバ充を充電して持ってきたとか、そういうなんでもないようなことでももげるくらい頭を撫でてもらって褒められたい!!でも、誕生日って私はなんにもしていないんですよね、祝われる理由がなんにもないんです。希死念慮がすこぶる強くて生まれたくなかったとか誕生は原理的に同意の取れない暴力だとか20歳過ぎても言っている人間の誕生日の何がめでたいんだ。
「誕生日は祝うものだ」みたいなの、良くない。


今日も元気にダブルスタンダード。


もちろん、友人からお誕生日おめでとうと言葉をかけてもらったりプレゼントをもらったりするのはとても嬉しいことです。
でもそれは誕生日の嬉しさではなくて、私に何かしてくれようとする友人の優しさへの感謝です。なんでもない日におめでとうと言われプレゼントまでもらうのはやはり不思議というか奇妙です。

そういう思いでプレゼントを受け取るときには、友人の優しさにきちんと報いることができているか、つまり「きちんと喜んでいるように見えているかどうか?」ということが気になってしまうのでただ喜ぶということができないんです。
嬉しい気持ちを「嬉しさを表現できているか?」という不安が上回る。我ながらめんどくさい性格ですね。



「相手のことを思って選んだプレゼントならなんでも喜んでもらえるよ」という言葉の恐ろしさについて

誰かからプレゼント選びの相談を持ちかけられたとき、大抵の人はいくつか候補を吟味したのち「相手のことを思って選んだプレゼントならなんでも喜んでもらえるよ」で話を締めくくると思います。

確かに正しい言葉です。誰かにプレゼントを渡されたらそれが何かを見るよりも先に、プレゼントをわざわざ選んで買って渡してくれたということにまずは感謝をします。物自体ではなく気持ちが嬉しいのだと誰だって思うでしょう。

しかし、だからといって本当に物がなんでもいいのなら某SNSでの○℃論争が冬の風物詩になるわけがないんだ。


この言葉は、前半に比重が偏りすぎている。それが恐ろしい。
というのが私の持論です。


つまりどういうことかといえば、「相手のためを思って選」ぶということが何よりも重要なのであって、物自体ではなく気持ちが大事なのは事実だが物に気持ちが表れているだろう、ということです。

もっと噛み砕いて言えば、「本当に私のことを思っていたらそれは選ばんやろ」というプレゼントが往々にしてあるだろうということです。

○℃論争を例に取れば、プレゼントを贈りたい相手のことを普段からよく見て好みを把握していれば似合うアクセサリーを贈れるはず、あるいはファッションにこだわりがあって自分で選びたいだろう相手ならそれを踏まえて他のものを贈ろうと思えるはずなのに、たとえどんなに可愛いネックレスであっても相手が絶対に身につけないようなものをプレゼントの定番だからと何も考えずに贈ればそりゃあ批判されるだろう、「物自体よりも思いが大事だからなんでも喜んでもらえるはず」という言葉はむしろ「物から相手のことをまったく考えていない思いの薄さが透けて不快にさせる」という意味になるだろうと思います。

従って、プレゼントは決して「なんでもいい」わけではありません。少なくとも私はそう思います。
それなのに、プレゼントを貰ったらなんでも喜べなんていうのは暴論ではないですか。その場では喜んで振る舞うのが大人の礼儀だと思いますが、私のことなんにもわかってないじゃん!!というようなプレゼントを貰ったらむしろ不快な気持ちになるのは当然です。

私は、誰かにプレゼントを贈るときには、相手の好みを長時間かけて吟味するか(それでもその思いがきちんと出たプレゼントを選べているかはわかりませんが)、もう初めから一緒に買いに行ってしまうことにしています。そうすれば間違いがないからです。

そして何よりも心がけているのは、自分があげたいからあげているだけで相手が喜ぶかどうかは勘定に入れないということです。もちろん、何かをあげることそれ自体が私のヘキだとは言っても、相手を喜ばせたくてプレゼントを贈るわけですから、喜んでくれたらそれが1番です。
しかし、喜んでほしいという愛情は、相手が喜ばなかった場合には、せっかくあげたのになんで喜ばないんだという憎悪に変わります。「相手を思って選んだ」度が足りずに物から思いの薄さを透けさせた自分の責任だとしても、苦しくなります。

相手側も、喜ばなければならないということが重荷になります。自分が喜んで見せることで贈り主の「喜ばせたい」という目的を達成させてあげるという、どっちが贈り物をしているんだかわからない状況になります。

私は、自分がプレゼントを贈りたいと思えるような大切な友人たちにはそういう思いをさせたくないな、と思うのです。



贈られる側の"お作法"

まあつまりは、私がそういう思いをして生きてきたっていう話になるわけです。

何かをしてもらう側の正しい"お作法"に則って、それがなんであっても、本当は嫌なことであっても、大袈裟に喜んで見せる。そうでなければ怒られる。私を喜ばせるためと言いながら自然と喜べるようなことはやってくれないのにそれで喜ばなかったら怒られるんです。変な話!

そのような一親等男性がいる家庭で育つと、人に何かをしてもらったときに喜ぶよりも先にきちんと喜べているかが気になってしまう人間ができちゃうわけですね。

だから私は誕生日が怖いです。誕生日の話に帰ってきました。

今流行りの毒親ものです!ね!
(毒親ものが流行ってるのか、私がそういう本や漫画ばかり選んでしまっているのかはわかりませんが…)

成人してもなお親のせいとか言っているのも少し恥ずかしいですが、元を辿って理由を考えようとしたら避けられないですね。
最近は友人に誕生日を教えないということにより恐怖からは回避できているのでそこまで不都合はありません。だから自分でどうにかする必要もないので、他人のせいにしていてもいいかなと。

でも、お味噌汁は美味しかった。
という話を最後にしたいと思います。



なめこのお味噌汁

少し前に母の家に行った際、母がなめこのお味噌汁を出してくれました。
母は別に取り立てて料理上手というわけではなかったと思いますが毎日3食作ってくれ美味しく食べさせてもらっていた中でも特になめこのお味噌汁は好きでした。

久々になめこのお味噌汁を見て「あ、これ好きよ」と私が言ったのに対して、母は、「知ってる。だから作ったの」と返答しました。

私は好きなものには素直に好きだと言うので、食卓になめこのお味噌汁が並ぶたびに頻繁に言っていたのかもしれません。けれど、嗚呼覚えていてくれたのか、と少し驚きました。からあげとかエビフライとか、そういう"the 好きな食べ物"でもないのに。
何気ない会話だったので、私から特に何も言わなければ作った理由を言うこともなかったかもしれません。数年経って好みも変わっているかもしれない、それでも記憶にある限りで大袈裟なことではなく日常の中で私を喜ばせようとしながらも押し付けるような愛もどきではない。
誰かに何かをしてもらうということがどうしようもなく怖い私でも、嬉しい、と素直に思いました。

母のことも100%信頼できているわけではないけれど、確かに愛してくれていたんだなということを改めて実感して、なんだか泣きたくなりました。


なめこのお味噌汁は美味しい。そういう話です。
おしまい。



おわりに

歌集を出します!!!!!
買ってください!!!!!
よろしくお願いします!!!!!

来たる11/11(土) 文学フリマ東京37にて、羅針盤短歌会というサークルで合同歌集を販売します。私は果波名義で、隙間まい、近いはなれ、みづ田ま子という3人の友人と短歌を詠みました。
デザインを学んでいるつよつよな友人Yukari Kawajiriに装丁を頼んだのでがちがちのがちです。とても素敵な歌集になったと自負しております。

700円です!!!!!
買ってください!!!!!
よろしくお願いします!!!!!



羅針盤短歌会
 
(X:@rashinban_tanka Instagram:@rashinbantankakai)
11/11(土) 文学フリマ東京37
東京流通センター 第一展示場 T-09
『羅針盤vol.1』¥700

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