むちむちの無知
東京のどこかにあなたがいるとして寂しささえも
あたし、知らない
"コロナ禍の大学生"として
大学生活が失われた、と言われても、"正しい"それを知らないのでいまいちよくわからないというのが正直なところです。
生活は確かに制限されているはずなのに、そうでない状態がわからないので、何ができたはずだったのかもわからないままに何もしない3年間でした。
自ら積極的に動くことができる友人が、SNSを有効活用して、友人を作ったり、授業の情報交換をしたり、サークルなど何かしらの団体に所属してクリエイティブな活動をしたりしていたのは知っていたけれど、
自ら積極的に動かなければ何も起こりようがない日々を特に危機感もなく過ごしてしまった私は、本当に何もないままに"大学生活"を終えようとしています。
幸か不幸か、過去問がないと無理!みたいな学部ではないので助けてくれる友人や先輩がいなくても必要最低限の単位は取得可能だし、ずっと関東住みなので大学で友人ができなくても他学部や他大学に進学した中高の友人が遊んでくれるし、そもそもどちらかと言うとインドア派だし。
そんなこんなでなんだかんだ楽しく生活できちゃったのでした。
なんとなく目が合ったクラスメイトが一生の友達になっちゃったり、断り切れずに連れていかれたサークルが4年間の居場所になっちゃったり、レポートを書こうと集まったくせしてレポートそっちのけで人生のこととか語り合いだしちゃって徹夜してみんなで授業切っちゃったり、
そんな、あったかもしれない"正しい"大学生活(文系ゆるめ学部大学生ver.)は、遠くのビルの広告用ビジョンを見ているみたいにどこかぼやけていて、あくまでもフィクション。
たとえコロナ禍でなくてもキラキラ大学生活を送る人間ではなかったでしょうけれど、きっとその存在は現実に存在するものとして知っていたはずではないかと思います。
しかし、私にとっての"正しい"大学生活は、手に入れられなかったどころか、その実在を知ることすらできなかった何かに過ぎません。
失うことに腹を立てたり涙を流したりすることは、おそらく、それを手にしている(あるいは手にしていた)人間の特権なのだと思います。
なんにも知らないむちむちの無知が故に、なんにも思えないままむきむきと肥大化していく無気力に閉じ込められる日々が、私にとってのコロナ禍の大学生活でした。
企画の話
#いまコロナ禍の大学生は語る というnote企画としてこの文章を書いています。
せっかく企画をご紹介いただいたので何かしら書いてみようと思ったものの、気がついたらそれから20日近くが経っていました。オンラインイベントももう終わってしまっていますね。ごめんなさい。誘ってくれてありがとうございます。
これを読んでくれたあなたももし良かったら書いてみてください。
おわりに
どこかで出会っていたかもしれないあなたへ。
いつか出会えますように。
おわりに②
今この瞬間、貪欲ちゃんに出会ってしまったあなたへ。
出会ってくれてありがとう。
もうあなたは貪欲ちゃんの虜です。
おやすみなさい。
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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
ぜひ、皆さまもnoteをお寄せください。
また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。
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