呟きの延長
豊かさの軸って金以外無いのか?
金が豊かさなのか?
そもそも豊かさとは即ち何だ?
豊かであるのはいい事なのか?豊かさは求めたいものなのだろうか?何だろう、目指すものとしてあまりに漠然としている。
いや、そもそも目指すものは必要だろうか?
あまりにも前提が多くないか?
なぜそんな多くを外の世界に求める?
自分の認識が宇宙だ。
外の世界の全ては認識という宇宙の一部に過ぎない。
誰が偉い?誰が卑しい?誰が勝った?誰が負けた?
誰でも宇宙の一部。
何が生じた?何が滅した?
それも宇宙の一部。
何を感じた?何を考えた?
それさえも宇宙の一部。
なぜなら全て認識というフィルターを通っているから。
そしてそれ故に全ては幻である。
ただ、他人があるだけ。
ただ、現象があるだけ。
ただ、感情と思考があるだけ。
ただ、あるがままに宇宙はあるだけ。
そして私は認識が見せる幻を、認識のさらに内側から覗くだけ。
さらに自己を冒涜せず、驕る事も無くあるがまま見つめる、即ちただこの瞬間を生きることが幸福に繋がるのではと思う。
以下、澤木興道老師の『禅談』から。
「おれは他人の鼻を借りて息をしておらん、おれはおれの鼻で息をしているんだ、自己を冒瀆せず、自己を極度に発揮するのが成仏ということです。」
「成仏というのは、おれがおれになるということである。それを反対に『あいつ成仏しよった』と言うのは泣寝入りした者によく言う。『あいつ、もがきやがったが、とうとう往生しやがった』と言う。これは弱い奴である。少しも、もがかないのが成仏である。」