これから
※随時更新予定
「もういっそ、不特定多数に自分のざっくり目標を掲げよう」と思った。
そのほうが、自分にムチを打てる気がする。
抱え込まない。そして問題提起する。仕舞いには改善させる。
1.友人と働く
小学校高学年の道徳の授業で、とあるプリントが配られた。
幾つかの質問事項が書かれていた。
その中に「友人と思う人を書いてください」という事項があった。
僕は「みんな」と書いた。
すると、クラスメイトに馬鹿にされたり、先生に指摘されたり。
僕にとってはショッキングな出来事だった。
あれから20年ほど経った。
「友人」の価値観は、どれだけ変わっただろうか。
少なくとも「働き方」の価値観は、大きく変わった。
この二者間のギャップこそ、「生きづらさ」の要因の一つかも。
実際僕の同級生には、精神疾患を患う人が多くいる。
何とかしたい。
これは「おせっかい」なのだろうか?
自己満足なんだろうか?
僕は、あらゆる価値観を変えていきたい。
そのためには、自分が変わる必要がある。
そして、目の届く範囲の人たちの助けになりたい。
「~したい」という僕の水滴の波が広がって、
友人→組織→他人→世間に影響を与える。
具体的なビジネスは考えていない。
でもいつか、可能な限り実行したい。
自分のために。友人のために。世界のために。
2.音楽プロジェクトをつくる
シナジーは、一人だけでは起こらない。
芸術では、他者の表現から何かを得るわけで。
ビジネスでは、儲け方よりも仕組み作りが大事なわけで。
何事においても、形を成すには必ず2人以上が必要だ。
幸いなことに、僕の周りには音楽好きや野生の楽器プロが大勢いる。
そして不幸なことに、僕は逃げ癖が強い。
言い訳でしかないが、一人で作り上げ切ることが難しい。
じゃあ、みんなで創ればいいじゃないか。
DTMや演奏動画が流行して、一人で音楽を作るハードルは随分下がった。
逆に言えば、一人で完結することを強いられる機会が多くなった。
対案件にしろ、対自分自身にしろ。
プレイヤー自身が楽しめなくちゃ意味が無い。
一人だけで空想するエンタメにシナジーは生まれにくい。
逃げ癖を直したい。
掛け合わさった結果、「プロジェクト」という芸術体系がピッタリだった。
みんなの作品。みんなの手による作品。
楽しそう。
3.責任感をもたない
自己責任だと指摘される理由は、「最終判断がその人自身だから」だ。
…社長かよ。監督かよ。
僕ら一般市民は、全員均等に責任をもつ必要があるのだろうか。
もしそうならば、家族制度なんて国会なんて社会なんて…。
そんな仕組みは不要。
責任の所在を明確にしているからこそ、社会が回っている。
僕らは、選択を考える過程で、いろんな人の意見を取り入れる。
それらを混ぜて混ぜて、決断する。
決断の要素には、他者の意見が必ず潜んでいる。
それでも、「他人の意見 < 自身の最終判断」なのだ。
誤解を招く言い回しだ。
責任は持つべき。
でも性格上、僕は責任感を持たんほうがよい。
ビジネスにしろ音楽にしろ写真にしろ映画にしろ生きるにしろ、
何かをする時は責任感を放棄して、ありのままやそこそこで留める。
会社でそんなこと言ったら絶対怒られるわ。
でも少なくとも僕の世界線では、そう生きたい。
そして、生き方のモデルとして提唱したい。
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