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パクパジャプ個展「新しい町」2日目- 言葉ではないつながり、共鳴、それぞれの想い

今日も、たくさんの方にお越しいただきありがとうございました。
instagramのREELは緩やかに動画をまとめていますが、お客さんが絶え間なくいらしてくれて、かつ自分も共通の友人も来てくれたので、あっという間に1日が終わりました。

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お客さんの途切れる時間帯を見計らって、展示を背景に彼のポートレートを撮るつもりでいましたが、そんな時間も全くなく。嬉しい限りです。

明日で最終日。この個展が終わって、数週間したら、彼はチベットに帰ってしまいます。今後、自分がチベットに行かない限りは同じ場所で同じ時を共有するという機会は、もう無くなってしまいます。明日、世界が終わるとして、それを仮定した上で自分は後悔なく生きようとしてきたつもりだった。でもつもりでしかなくて、もっと自分はやれたのではと、思ってしまうのです。
それでも、パンデミックだけでなく、様々な事象が起こり世界が混迷に向かっていく中で、無力さや絶望感のような闇が覆ってこようと、それでも希望の灯火は絶やさず、諦めずにいたと強く願います。

一つ確かなことがあって、言葉ではない、なにか共鳴うするものが、どこかお互いの根底に流れていたからこそ、という実感を噛み締めています。

外国から来る人には優しかったりフレンドリーになる人っているよねー?という指摘を受けたことがあります。否定は一切しませんが、全ての人においてそうであるわけでもなく。俺も、そんなお人好しでも、人柄が良いわけでもないので(苦笑)。

最初は言葉は一切通じなかったし。グループワークでも、はたから見れば、ぶつかっているように見えていたこともあっただろうし。優しくておとなしいチベット人にぶつかる無理解な日本人に見えていたかもしれないし、そうだったのかもしれないです。作品を一緒に作り上げた先に生まれた信頼関係や、その後も続く今の関係を思えば、そういう指摘など当てはまりはしないと思っていますが(そもそもそんな指摘をする人も今やいませんが)
日本に長く滞在しているからといって、日本語を正確に話せ、理解できるようになるまでには、個人差もあり、抱えるストレスやカルチャーショックも大きいと思います。留学生の苦学は、自分は経験ないので、本当の意味で理解できることはないのかもしれないけど、寄り添う努力は諦めない。それでも、お互い熱いものを持っていれば、文化や人柄の違いで生まれる誤解や衝突もある。それらを乗り越えた先の繋がりは、作品の完成度の如何以上にかけがえのないものとして残っているということを、この数日、感じています。

同じ母国語を話す者同士であっても、意思疎通なんて本当にできているのか、言葉がわかっているだけで本当に分かり合えているの?と思うこともあるのです。

「my sister」という彼が初めて一人で取り掛かった作品は、音楽をつけるにあたり、久々に合流したのは締切も差し掛かった頃でした。どういう作品なのかは、ざっくりとした言葉でしかやりとりはしていませんでした。あとは、編集中の絵も見ながら、その中で浮かんできたイメージをもとに音作りを始め、彼の思いを会話以外のこの作品の画の中からも汲み取りながら、そこに共鳴しうる最大限の自分のコンセプトや思いを結びつけ、最終的に彼に音を渡しました。本当の意味で彼が満足する音に仕上がったのかどうかなんて、実はいまだにわからないのです。本人に、改めて畏まって確認することでもないし、したところで、やはりわからないのです。

でも、今回の展示でこの「my sister」が流されていて、会場にも音が流れている中で、来場される方々に作品のコンセプトを説明する彼の言葉を聞いていると、やはり言葉以上に、作品を通じた根底にある流れがどこかで自分のそれと共鳴していることは自身は実感しています。

今回の立体展示も、彼を知るほとんど多くの方は予想外のもので驚かれる、驚かれたと思います。ただ、自分はそれに驚くということはなくて。もちろん、準備、制作中の段階から彼のそばにいたというのもあるのかもしれませんが、自分が見て感じたものと、彼が日本語で説明する言葉が、共鳴しているのを感じています。言葉が完全に通じ合わなくても、何かが分かり合える。それがあったからなのではと思っています。

同時に、この展示に向かっていく彼の姿を見ていて、初めて見えてきた彼の本質の、それはほんのわずか一片かもしれないけれど、言葉じゃない大きな何かが見えた気がします。まだまだお互い分かり合えていない事だらけだけど、言葉ではない何かがある事は信じています。だからこそ、彼の今後の活躍を願わずにはいられないし、国境を隔てていても、あらゆる方法を駆使すれば、きっとまだ一緒に作品はつくれるし、そうできるようにしなればいけないと思うのでした。

たった三日間の、それでもとても大きな三日間の展示も7日、月曜日で最後になります。最後まで、一人でも誰かの心に何かが届く時がそこで流れれば、彼の思いが見えない形であっても紡いでいかれるのだと思います。

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