【雑記】裾上げ
どこに着地するかも分からないまま書き始めますが、
裾上げってすごく良いな、という雑記です。
最近引越しをした。それに伴い部屋の荷物を整理していたら、
わ、懐かしいな、という服がたくさん出てきた。
高校生ぐらいの時に買ったものもあり、本当に自分はものを捨てられない奴だな、と半ば呆れつつ、その反面どの服もいつ買ったのか、どこが気に入ったのかを割と鮮明に覚えていて、押入れの奥に仕舞い込んではいたけれど、確かに残っているそれらへの愛着に、ちょっとした誇らしさのようなものも感じた。
当時を懐かしむ気持ちに浸りながら、私はTシャツを着て、ズボン(パンツではなくズボンといいたい気分だった)を履いてみた。
そこには当時の高校生っぽい服装をした、ただの大人がいた。
別に服装など自由なのだから、好きなものを着れば良い。それはごもっともで、概ね私も同意ではあるけれど、何か例え様のない「コレじゃない」感。
着てあげたいんだけど、どうしたもんかな、と考えた末、一先ず当時の服装をそのまま再現することはやめておく事にした。
それにより私が私に感じた「コレじゃない」感の大半は解消できたものの、今度はズボンのレングスが長すぎたり、絶妙に今の服と着難いな、という細かな事が気になり始めた。
そういえば、テレビや雑誌で見てカッコいいな、と感じた人たちは、惜しげもなくズボンを裾上げしたり、カスタムしていたな、ということを思い出して、当時の私はなけなしのお金で買った大切なズボンに、そんな博打みたいなことできるかっ、と考えていたけれど、偶然に再開することが出来た今こそ、博打…は怖いので、控えめに「裾上げ」を試してみる機会ではないかと思い至った。
早速近所のリフォーム屋さんにズボンを持ち込み、数年前に古着屋さんで買った「変なレングスに裾上げされたグラミチ」(くるぶしがすべて見えるぐらいの、なんとも言えない鈍臭さが気に入っている)を見てもらいながら、これぐらいの長さに裾上げしたいという希望を伝えた。
後日、丁寧に仕上げてもらったズボンを受け取り(今後もプロにお任せしたいと思いつつ、自分でも裾上げをしてみたいな、という気持ちも芽生えた)、それ以来私は懐かしさと新鮮さを感じながら、相変わらずちょっと誇らしい気分でそのズボンを履いている。
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