学習指導要領 評価の現実 しゅこうの学ぶ教員 (for teacher) 12
学習指導要領がどれだけ守られているかを考える前に、違う観点を考えて欲しい。
今の日本の義務教育では、1年ごとに学年が上がる。成績に関わらずほとんどの場合自然に上がる。さらに、学年相応の知識がなくても進級し卒業ができる。当たり前だと思うだろうが、それでは評価は形だけになる。卒業さえできればいいのであれば、児童や生徒は最低限の条件を守ればいいので、学習をする必要さえないことになる。
現実と理想がズレすぎている。
分からなく更に難しい学習になると、授業が理解できず興味がなくなる。そこで、学習指導要領の学年の目標とは別の授業が行われている学校が、現実にある。児童や生徒にとっても、分からないことを理解しようとしても、その時無理なものは辛いだけ。年齢の区分で学習のレベルを決めるは難しい。反対に直ぐに学習が分かり、つまらないと感じる児童・生徒もいる。
義務教育後の高等学校や大学になると、試験によって選ばれるので規準がしっかりしてるように見えるが、そうでもない学校も存在する。卒業しても中学校時のレベルにも満たないような大学もある。それとは逆に、難し過ぎて卒業できない大学も存在した。試験によって入学し、その後努力して勉強をしても単位の試験に受からず卒業できない場合もあった。
学習の評価を強要されるが、本当に必要なのだろうか。ABCの規準がありC判定でも、義務教育では留年はあまりない。いい成績を求める人にだけ必要な気もする。
授業案に沿って規準を決めてるが、そろそろ多様化の授業があってもいいのかも。一部では実施しているが、全体からすればほんの僅かだ。それには偏見の壁や精神年齢の壁などがある。どちらも広く認める多様性の社会に日本もならないといけないと思う。それには、教員がその考えを持って欲しい。
私はいろいろな人と接することでかなり経って、やっと多様性が必要だと感じた。それまでは、学年が自然に上がることに疑問を待つことなく、授業は教員の力で何とかできると思っていた。努力してもできない辛さや簡単すぎてつまらない辛さを本当には分かっていなかったのだと思える。
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