宿題って必要?1 しゅこうの学ぶ教員 (for teacher)
もうすぐ学校生活が始まる。もう始まっている学校もあるだろう。その前に、宿題(課題)が終わっていない人もいるかも知れない。そこで、何とか終わらせる人・やらない人・途中まで頑張った人など様々だと思う。
それ以上に、学校が始まる前に子どもの様子が気になると思う。毎年8月後半、子どもの事件や事故のニュースはとても悲しい気持ちになる。その一つに宿題(課題)も関わってることもある。
そこで、宿題の在り方を考える学校が出てきた。宿題をなくす学校も出てきた。これについては賛否があるだろうが、そもそも宿題を出す意味は何かを考えて欲しい。
夏休みの宿題においては、単に募集があるから仕方なく出している学校もある。やりたい子どもに自由に取り組ませるのはよいが、ノルマや強制はよくない。
読書感想文などは、今は学校で書き方を教えているが、しばらく前はそんな指導すらなく、読んだ感想を書けというものだった。さらに、添削をして表現方法を変える指導をする教員もいた。作品のもつ権利が、子どもだからと言って勝手に変えることが、当たり前にようにあった。
審査員の立場になり、更に都道府県の代表になって審査をした時もあった。審査基準にないことが慣例で行われている場合やいいことを書いている作品が選ばれる審査もあった。他に、盗作や代筆などの不正もありかなり困った問題もあった。今はAIによる作品もあり、審査には本人の申告以外に判断出来ないように思える。
この感想文で考えて欲しいことは、何のために出すのか。出すとしても、400字詰め作文用紙で3枚などの制約は必要なのかである。学校の規則で出さなくてはならないとしても、枚数を増やすためにあらすじがたくさん書いてある感想文が多い。そもそも本を読んで感じたことなら何でも感想文になることが忘れ去られてしまっている。もっと自由に感想を書く指導をしていいいのだが、あまり広まらなかった。授業の延長のように内容をしっかり理解しないといけないと思うから、子どもは「辛い」と感じているのではないだろうか。また、途中で辞めてもいいと指導できる教員は少ない。何でも完成させなければいけないと思い込んでいる教員や子どもに、途中でもよいことを教えることは大切だと思える。
現実に生活している社会では、うまくいかないことや途中で終わってることなどたくさんある。何でもしっかりやる事にとらわれると辛くなる。教員になった人の中には、何でも頑張ってきた人もいるであろうが、努力が出来ない人や難しくてやれない人もいることに気づいて欲しい。
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