新学期 何をやる2 しゅこうの学ぶ教員 (for teacher)
授業のリズムが少しずつ出来始めている頃かと思うが、何か困ったことが出てくる頃でもある。注意深く子どもの様子を見ようと頑張った時期もあったが、結局子ども達とよく遊んでいた方が問題があった時など、その発見や対処が早かった。常に子どもを監視するような体制ではなく、触れ合うことで互いに学ぶことがあるといいのだと思う。
子ども達と触れあうと、忘れていた感じ方や予想もしない考え方などが分かる。形にこだわっていた頃は、自由な発想もくだらない考えだと思っていたこともあった。「どうしてそのような発想になったのか」「何を考えているのだろうか」などと考え直してみると、面白い発見につながることがある。単に自分の頭では子どもの考えが理解できなかっただけの時もある。よく考えても分からなかったり、どうでもよかったりした考えもある。それも今の自分には分からないだけかも知れないが。
あるテレビ番組で時間割を自分で考える学校の特集があった。知っている方もいると思うが、学ぶ意識が育っているのだと感じた。
ただ、算数や数学などを夢中になって続けたくなった時はどうするのだろう。やはり時間で切っているのだろうか。知りたいことがあるが、それでも面白い取り組みだ。
決められた時間割があってる子ども、自由に考えたい子ども、そもそも勉強に興味のない子どもなどいろいろだ。
一番困るのは、自由な発想が大切だからと言って、何でも子どもに決めさせる極端な考えだ。どうしたらよいか分からない子どもにも、「自分で決めなさい」という教員もいる。自由に考えたら教員から「それは駄目」と言われる子どももいる。基準がない。
自分の勤めている学校はどうなのだろうと考えると、やれることが限られるかも知れない。
例えば、討論会などをすると基準がないと相手に対して強く言ったり違うテーマに変えたりなど、訳が分からなくなる。自由はその基準がないと難しい。ただ、基準があればそれに沿ってれば正しいことになる。以前は討論は考えを深める為に必要なことだと思っていた。しかし、相手に勝つためだったり論破することがいいことだったりする風潮が高まり、様々な考えを身につけるのに必要だが、何か違和感を感じることが多くなった。
学校の環境によって違うだろうが、授業で自由に考える時間やそのためのルールを自分なりに決めてみてはどうだろうか。
以前、子ども達が授業に興味を持ったことを続けてやりたいと言うので、発展的に続けてやったことがあった。他のクラスに迷惑がかからない範囲だったが、注意を受ける事があった。今では許されることだろうが、教科の枠や規律などと言っていたことを思い出す。
授業の提案として、何でも大きくするのはどうだろう。
国語では、大型の本があるように大きく書いたり大きな声で読んだりしてみては。大声は出せる場所や大きな声に敏感に反応しない環境であればだが。
算数では、図形を大きくかいたり、大きなものを測ったりしては。
社会では、大きな地図に乗ってみたり、写真を実際の大きさに拡大したりしてみては。
理科では、事故に注意しながら、振り子の実験を10倍の大きさにしたり、沸騰の水の量を多くしたり。
大きくすることで想像したよりも大変な事もあるが、小さくやるよりも面白いのではないか。
書いたことはどれもやってみた。準備することがあるが、それも子どもと考えられるといい。もちろん失敗しても、それが経験になるように。何でも成功しなくてもいい。
何か発想をもって取り組むと子ども達も楽しいのではないかと思う。
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