グレートデイズ!夢に挑んだ父と子
2014年。90分。フランス製作。
映画を見ている時間が勿体無いと思う傾向は歳をとる毎に強くなっている気がする。映画を見るときに思考の螺旋から解き放たれたいという意思がはたらくのはごく自然なことなので、娯楽として期待した映画から残念な気持ちになることは誰にでもある経験だと思うからだ。しかし、ふと心を落ち着かせて人の心と向き合う時間をとることは大切だ。
映画グレートデイズは父と子、そして家族の話。生まれつき障害を抱えて車椅子での生活をする息子はもうすぐ18歳の誕生日を迎える。父と母は共働きで、父はロープウェイの点検業者として地方を廻る仕事のせいか、家庭では表情が固い。母は仕事の傍ら、息子には人一倍愛情を持って接してきた。そんな時、仕事をクビになったことをきっかけに、父は家のなかにいる時間を前より持てるようになるが、家庭にうまく戻ることが出来ずにいた。
いままで淡々と進んでいく毎日と、交わされる会話自体には強い感情の変化も、周囲に大きく影響を与えるような行動もなかった。しかし、じっと相手を見つめながら交わす一行の言葉のひとつひとつには、父の持つ譲らない未来への責任感、母の持つ現実への透徹した思慮が伝わってくる。それらは無碍に出来ない各人の気持ちとして、唐突に家族という実体のよくわからないものを息子に意識させる。息子は鉄人レースに車椅子で参加した親子の記事を見て、参加したいと父に申し出る。無理だと一蹴する父をはじめとした大人たちの反対をはねのけて、息子はレースへの挑戦への熱意を行動で示していく。
レースに挑戦する父子の姿に、人生を重ねずにいられなかった。それは生まれてから死ぬまでのゴール地点を目指す競走ではなく、人生のなかでいくつもある、レースという競技をはじめるあのとき。誰にでもゼッケンをとり、参加する資格がある何かがある。そして誰もが途中でリタイアする権利を持っている。それは究極には自分の判断で決めること。レースリタイアがはじめたことの終わり方なら、完走というゴールもまた、自分が決めた通過点にすぎない。しかし、だからこそ目標に向かって進むこと、何かに挑戦したいという思いを周りに示すことは、同じようにはじめと終わりを経験した人、する人がお互いに走っている人生を見つめる切欠になる。
映画を見るたびに向き合うのは、それぞれの人生に豊かさを見出だす大きな心の多様な在り方。もし先を結ぶ直線があるなら、進んでいくうえでの点を持って生きていく自由を持ちたい。そんなメッセージが映画を通して視聴者に相対的な感情を生み、そこから会話となって他の視聴者とその思いを共有出来たら、映画に描かれるような理想的な心の通い合う時間を体験できるのではないか。