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人間活動としての実質的な老いと寿命

今朝は悪夢を見て朝5時に起きてしまったが、やけにスッキリと目が覚めたて、「5時起きとかジジイかよw」とふと思ったところから、最近思ったことを書き留めていく。

人生100までと言われ、日本人の平均寿命が約84歳といわれている、このご長寿ご時世。でも、実際に自分の周りの人の年齢と、その活動力を見たらどうだろうか。自分の体感としては、「若者と会話や活動で対等に渡り合えている」と思えるのは、50~60歳で、だいたい3割くらいかな、と思う。3人に1人くらい。そっからはもう「おじいちゃん」って感じ。

自分の上司を思い浮かべてみてほしい。休みの日に職場のことを考えるのは憂鬱だろうが。その中で、自分たちと同じ年代のいわゆる「仕事の主力メンバー」だいたい20~40代の人たちと、同様の扱いで会話や仕事がバリバリできるのはどれくらいいるだろうか。相手の理解力を伺い、「シンプルに」「簡潔に」伝えようとしたり、言葉の省略をせずにゆっくり話したりせずに対応できる人が。

別に高齢者や上司を批判しているわけじゃない。

なんなら自分もその「老い」を感じつつある。現在30手前の中年に足を踏み入れたばかりの若輩者であるが。年々記憶力は落ちていき、考えることを減らし、「過去の経験則」に頼ろうとする。「年の功」とはいうけれども、新しい時代に対応できる柔軟さがなくなっていく。筋肉はついたけど、可動域が狭くなってケガをしやすくなった みたいな。

そういったことを考えたときに、人間活動の実質的な「寿命」って何歳ぐらいなのかなぁとふと気になった。

基準はたくさんあると思う。経済活動、思考活動、運動、性活動。などなど。

経済はまぁ大企業の社長クラスだと高齢パターンが多いし、社長=活動能力が高い わけじゃないから実際わからない。思考の競技である囲碁や将棋は年齢を重ねれば重ねるほど強い、というイメージがあったけど、どちらもトップの方をみると、そうでもなさそう。運動はピークは20代かな。テニスのフェデラーみたいなバケモノもいるけど。性活動は、40代とかで、つい最近、美女の妻を持ちつつ7つの不倫を重ねた性欲モンスターがいたから際限はわからん。

ピークはだいたい想像つきそうだが、「ここで終わり」みたいな「寿命」はわからないね。そもそも「もうこれで引退だ」と引き際を決めて引導を渡すのは自分自身だから当たり前か。

でもピーク時を考えると、50代くらいが限界だと思う。一般的には。

そう考えると、「自分はまだまだ成長できる!」と意欲的に活動できるのはもうあと20年くらいしかないんだな、と思うと、急に焦りを感じた。できるだけ長く右肩上がりで生きていたいのに。

自分の周りでは「家庭を持ったから」「今の仕事でずっと働くから」と、ひとつの「区切り」をつけて、毎日残業しながらそれを何年も耐えしのぐことを受け入れた人も多くいる。それはそれで一つの選択。

でも、自分が自分の力で動けるのがあと20年くらいしかないのに、家庭のため、めんどくさい、大変だから、その他諸々のためと、今の状態を受け入れてしまうのは、時期尚早なのでは?と個人的には思う。

終身雇用だってない、コロナみたいな事態になったって自己責任なんていう時代に、今が大変だから、と自分の成長の歩みを止めてしまっていいんだろうか。そもそも20年後に自分が生きているかもわからないのに。

自分の寿命が50歳だと想定したら、やっぱりやりたいことは今やったほうがいいんだよな。そこまでいろいろやってみて、50まで普通に生きてしまったら、そこで「人生100だし、そろそろ落ち着くか」と考えればいい。

ここまで書いて、自分の思考を文字に起こしてただ垂れ流しただけになったことに気づく。まさに散文。まぁ頭の体操にはもってこいだったか。30分くらい書いてた。

文字におこしたり、言葉にすることも大事だからね。このスタイルもありかもしれない。ライターを目指しているわけでもないし。



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