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【怖い話】 草むしりのマンション (後編)【「禍話」リライト90】

【前編】



 その日の夜のことだった。
 院生であるMさんは真面目な性格で、夜まで参考文献を開いたり調べものをすることがあった。研究が好きなので、大学院に行くのである。
 昨晩はすぐ寝てしまったが、今日は多少、元気が残っていた。
 寝巻き姿で自室の机に向かった。時折スマホを覗いて気晴らしをしつつ数時間、ふと時計を見ると結構な時刻になっている。
 いかん、明日も肉体労働だ。休まないと。
 Mさんはベッドへと移動し、横になって夏用の布団を腹にかけた。
 さて寝るか、と目を閉じた矢先。

 ぽん。
 とんとんとん、とん……

「えっ」
 あの、バイト先で聞くボールの音がした。
 壁の向こう、妹の部屋から。
 ……妹がボールで遊ぶわけないし、気のせいかな。

 ぽん。
 とんとんとん、とん……

 今度は間違いなく聞こえた。隣から。
 Mさんは起き上がってかぶりを振った。
 いや、いやいや。これは別の物音がそう聞こえるだけだ。
 しかしこんな夜に、妹は部屋で何してるんだ?

 廊下に出てみる。が、深夜に妹の部屋をノックする気にはならない。

 ぽん。とんとんとん…… と廊下でも音はかすかにする。
 どうしようかな、と廊下の反対側、居間の方に目をやった。
 居間のドアの向こうで、明かりがついている。

 え? と廊下を進んで、ドアを開けた。
 妹さんが膝を抱えて椅子に座り、ぼんやりしていた。手にはスマホを持っている。

「お前。こんな夜に何してんの?」Mさんは聞いた。
「う~ん」妹さんは首をかしげる。
「なんかさぁ、寝ようと思ったらね。部屋に誰かいるような感じがして」
「誰かって、誰」
「いやわかんない。わかんないんだけど気味悪いじゃん? 嫌じゃん。だからここに来て、ボーッとしてたんだけど」
「……っていうことはさあ、」

 お前の部屋って今、音を立てるような人、誰もいないんだよな。

 聞く必要のない質問だったので、Mさんは途中で口をつぐんだ。

 30分ほど兄妹でどうでもいい話をしてから部屋に戻った。
 妹さんは自室のドアを開けて顔を入れると、「あ、もう大丈夫っぽい」と言った。

 Mさんも部屋に戻ったが、そわそわしてなかなか寝つけなかった。

 例の音はもう、聞こえることはなかった。


 翌日のマンション、緑に埋まった裏庭で、Mさんは作業に集中しようとした。

 ぽん。
 とんとんとん、とん……

 相変わらず朝からボールが弾んで転がる音はしていたものの、昨晩のことは気のせいだと自分に言い聞かせて不安を押し込んだ。
 隣が変な土地で、変な音がするからだ。
 疲れとか、勉強に根をつめすぎたせいだ。別の音がこれに似て聞こえただけだ。

 ぽん。
 とんとんとん、とん……

 この音だってきっと、あそこに入り込んだおとなしい子供が遊んでいるだけなんだ。
 Mさんは心を閉ざして、目前の草木にだけ意識をやった。

 ぽん。
 とんとんとん、とん……

 三日目が終わり、四日目、五日目、六日目と日々を重ねた。
 昼前に出かけて、無心で草をむしる。地べたのツタを引きちぎる。
 むしった草は袋に詰めて、溜まったら台車に乗せて、狭い通路から運び出す。
 休憩をとる。メシを食べてスマホを眺める。
 戻って草やツタをむしる。袋を運び出す。
 隣の岩の存在やボールの音は心から追い出す。考えない。
 夕方、くたくたになって帰って、家で風呂に入って、ご飯を食べる。
 夜になったら眠る。
 
 作業は滞りなく運び、マンションの裏庭は目に見えて綺麗になっていく。
 先輩の褒め言葉通り、7日目には終わりそうだった。
「いやぁ、スジのいい奴に声かけて正解だったわ~」
「短期とは言え汗水流して自分で稼いで、偉いもんだね」
 先輩にも家族にも褒められて、悪い気はしなかった。

 隣の妹の部屋から、あの音は二度と聞こえてこなかった。
 やっぱりあれは空耳だったんだな、とMさんは安堵した。


 7日目、最終日となるこの日は、朝から薄曇りだった。
 青空に太陽の照る毎日だったので、少し涼しいのはありがたいことだった。外仕事がやりやすい気候だ。
 先輩の言う通り、今日で草むしりは終えられそうな様子だった。

 背丈ほともあった無数の雑草が刈られ、短くなり、足首くらいの高さになっている。
 こうなると、三方が壁に囲まれて圧迫感がある以外は、ごく普通のマンション裏に見えた。

 夕方、草でいっぱいのゴミ袋の最後のいくつかを外に出した。
 道具の数々を、初日に立ててあった壁際に戻す。

「……はいっ! お疲れ!」先輩が言った。
「ありがとな! バイト代は明日か、遅くても明後日には渡すから! マジで助かったわ!」
「いやぁ先輩もお疲れ様でした。あの、草のゴミ袋とか、ここの道具は……?」
「両方ともあそこと、」狭い通路の外を示す。
「ここの壁に置くと、業者さんが明日、回収してくれっから。お前はもう何もナシ! 完全終了!」
「あ~、そうッスか。いやぁ……」
 Mさんの身体、特に腕と腰と足に、一週間ぶんの疲れがどっと来たような気がした。
「ご苦労さんだったなぁ。こういう外バイト、はじめてだろ?」
 先輩はMさんの肩を叩く。
「あと俺が業者さんに電話入れるだけだから。いいよお前、先に帰っちゃって」
「えっ、いいんですか? じゃあお言葉に甘えて……」
「あぁ、でもさぁ」先輩は顔を寄せてきた。
「忘れ物、しないようにな」
「忘れ物ですか?」Mさんはポケットを叩く。
 持ち物と言えばさっきポケットに戻した財布にスマホ、あとは首に巻いたタオルくらいだ。
「大丈夫ですよ、持ち物自体少ないし。軽装で来てるんで」
「本当に、忘れ物ないか? 忘れ物するなよ?」
「いや大丈夫ですって!」Mさんはポケットから財布とスマホを出してみせる。
「これだけですから。はい、これをポケットに……」入れて見せた。
「これでもうおしまいですから。ね?」
「そうか。じゃあいいんだけどな」先輩はしつこかった。「でも万が一があるからな、気をつけろよ?」

 Mさんが先、先輩が後ろになって、この一週間何度も出入りした狭苦しい通路を抜ける。
 通路の出口で別れることにした。
 夕方の空に雲は厚くかかり、太陽が見えない。
 Mさんは「じゃあ、明日あたりまた」と言い残して、坂道を下っていった。
 先輩は通路の前に立ったまま、Mさんに手を振っていた。

 そういえば今日、音が一度もしなかったな、とMさんは曇り空の帰り道で思った。
 あの ぽん。とんとんとん…… という、弾むボールの音が。

 帰宅して、妹を説き伏せて先に風呂に入り、夕飯を食べる。
 居間のソファに腰を下ろすと、自然と横になっていた。一週間の労働の心地よい疲れがあった。
「ねぇやっぱり、お兄ちゃんの後だとドブみたいな……」
「そんなこというもんじゃないでしょ。働いて来てるのに」
 母親と妹のちょっとした口論も、耳に入るが抜けていく。
 夜の早い時間なのに、眠気が来ている。
 まぶたに重みを感じている時に、庭に面した窓をサッと撫でつけるものがあった。
 雨が降ってきたのだった。
 小雨か霧雨のような軽い音が、Mさんを眠りの世界に引き込んだ。

 目覚めると、夜の8時を過ぎていた。
「あ~、寝ちゃった」と言いつつ身を起こす。
 とは言え風呂も食事も済ませてある。あとは歯みがきと、そうだ、スマホにメッセージでもないか確かめて……
「あれっ」Mさんは周囲を見やった。
「スマホ、どこやったろ? 俺のスマホ知らない?」

 妹は「知らなーい」と答える。母親も同様だったし、今さっき帰ったらしい父親も同じ答えだった。
 財布はある。居間のテーブルに置いてある。
 帰宅してズボンのポケットから出したのなら、セットで置いてあるはずだ。
 記憶を辿るが、思い出せない。
「忘れ物するなよ?」と先輩に言われて、「大丈夫ですよ」と出して見せて、またポケットに入れた。
 そこからスマホ本体を見た記憶がない。

 居間、風呂場、洗面所、台所、家の中をくまなく探す。帰宅してから戻っていない自室も一応、探す。
 しかし見つからない。

 ……帰り道で落としたのか?
 ありえないことだがそうとしか考えられない。家の中にないなら外しかない。

「……まったくよお……」
 Mさんは寝巻きから私服に着替えた。
 そうだ雨が、と窓の外を見る。幸いなことに雨はもう止んでいた。

「最終日にケチがついちゃったな……」
 Mさんは懐中電灯を持って、玄関から外へと出た。

 夏でも、10時となればもう暗い。
 濡れた路面を照らしながら、Mさんは今日、帰ってきた道を遡っていく。
 夜の道、街頭が点々とつく中の、あのマンションの方への戻り道だ。

 寄り道せずに帰った道だ。このルート以外はありえない。
 人通りの少ない住宅街なので、拾われた可能性は低いと思う。
 丁寧に足元を照らして探し続けたけれど、スマホは見つからなかった。

 ゆるい坂の下に出た。ここを上ると、7日間通いつめたあのマンションがある。
 下っていった拍子に落ちるってことも……と希望を持ちながら一歩一歩探っていく。
 が、ない。

 ……じゃあマンションのそばか、通路か、あの裏庭しかないよな……

 しかしあそこで落とすか? しっかりポケットに入れ直してから出たのに。
 それはそうと、「忘れ物すんなよ」って注意されたのにな。
 先輩にバレたら呆れて笑われちゃうよな。

 いろいろなことを考えつつ坂を上りきって、マンションの見える場所まで来た。

「……え?」

 Mさんは昼に来て、夕方には帰宅する。
 夜、ここに来るのははじめてだった。

 夜のマンションは、真っ暗だった。
 玄関口やエントランス、明かりがついていない。1階も暗いまま。
 上に目をやる。2階、3階、4、5……
 どの部屋にも、ひとつとして電気がついていない。外廊下にすら光がない。

 雨で湿った夜の中に、明かりひとつないマンションが建っていた。

 ……ひと、住んでないのか? 廃墟?
 でも草むしりしたし。1階はともかく、上のベランダには人がいたし……
 
 混乱しつつもMさんは路面に懐中電灯を当てる。7日通って、帰ってきた道を辿る。
 別の日はともかく、今日はまっすぐ帰った。ほぼいつもの足取りで……

 しかし、スマホはない。

 とうとうMさんはマンションの脇、あの狭い通路の前まで戻ってきてしまった。
 ライトを向ける。通路の下のコンクリートは、雨が落ちなかったのかあまり濡れていない。
 その奥に光をやる。
 短く刈り込まれた緑色の草が見える。

 ……ここか? いや、でもな……。
 だが一応、この場所も探すしかない。
 
 通路も奥の裏庭も無音で、自分の心臓の鼓動が聞こえるくらいだった。

 先輩に連絡して、謝って、探すの手伝ってもらって、とまで考えた。
 が、連絡をとるその肝心のスマホがないのだ。

 一人でやるしかない。

 Mさんは通路に光を差しこみながら、足を踏み入れた。
 幅1メートルかそこいらの通路、その地べたに、目当てのものはない。

 間もなくマンションの裏へと出た。
 ライトの光、月の明かりの下に、綺麗に刈られた草が広がっている。
 霧雨を含んだ草が、一足ごとにクチャッ、と鳴った。

(ここを探すのは大変そうだな……)
 マンションの裏、右の壁、左の壁に電灯を向ける。
 壁も雨で濡れて、灰色から黒に変わっている。
 Mさんは裏の壁にライトを向けた。左から右に振っていく。
 と。

「うわっ!?」

 Mさんは腰を抜かしそうになった。

 向こうに「岩」が囲われている壁、その前。
 人がひとり正座していた。

 先輩だった。昼の格好のままだった。
 壁の方を向いて顔を伏せ、身じろぎしない。ライトで照らしたのに反応がない。

「あの、先輩?」
 足が震えるのを感じながらMさんはそちらに進む。
 水を含む草を踏みながら、先輩の斜め後ろまで来た。

 先輩は背中も、腰も、頭も、びっしょり濡れている。
 夜の雨からずっと座っていたのだ。

「先輩、あの」Mさんは小声で聞いた。「どうしたんですか?」

 相手は無言だった。ぴくりとも動かない。
 背中がかすかに上下しているので、息をしているのだけはわかる。
 何かが破裂しそうなくらい静かだった。

「あの俺、すいません」耐えきれなくなって独り言のように言う。
「あんだけ言われてたのに忘れ物っていうか、スマホ、落としたみたいで」
 懐中電灯を左右にやって地面を照らす。できるだけ明るい調子で続ける。
「いやぁすいませんホントに。それでずっと、家からここまで戻って、探しに、」

 光の輪の中に見慣れたものがかすめた。
 正座する先輩のすぐ隣に、Mさんのスマホはあった。

「あ~あったあった……こんなとこに……」
 息を詰めながら近づいて、腰を落とす。
 顔を覗きこんだがやはり先輩だ。顔を伏せて、無表情だった。

 草の上のスマホをそっと広い上げる。
「いや本当に、なんでこんなところにあるんだろ? もうこんなに濡れちゃっ……あれっ」

 拾ったスマホの表裏を撫でたMさんは、違和感を持った。
 下は濡れている。濡れた草地に置いてあったのだから当然だ。
 しかし、上は濡れていない。まったく乾いている。
 まるで今さっき、そこに置かれたように。
 
「先輩、あの、これ……今、そこに置いたんですか?」
 スマホを差し出しながら尋ねた。

 先輩は何も答えなかった。
 ……もう一度聞こうか? それとも帰ろうか?
 Mさんが迷っていたその時だった。

 ぽん。
 とんとんとん、とん……

 ボールの弾む音がした。
 Mさんはそのまま、動けなくなった。

 音はいつもの、この壁の向こうからではなかった。

 Mさんの背中、後ろ。
 狭い通路の方から響いてくる。

 ぽん。
 とんとんとん、とん……

 夜の裏庭に、ボールが跳ねる音がする。

 それだけではなかった。

 ふふっ。へへへ。あは、は。

 男の子の低い笑い声も一緒に聞こえてきた。

 ぽん。とんとんとん、とん……
 へへへ。あは、はは。あはは。

 ポールの音と子供の声が近づいてくる。
 あの細い通路の左右にはね返って前進して、ボールが裏庭の方へ、こっちに来る。
 ぽん。とんとんとん……

 えへへ。ふふふ。ふふ。あはは。
 べとつくような声で笑う子供が、それを追いかけてくる。

 ぽん。とんとんとん、とん……
 あは、あははは、んふふふ。
 ぽん。とんとん。
 ぴしゃっ。

 Mさんの後方で、水が跳ねた。
 雨水を含んだ草にボールが落ちた音に違いなかった。
 なにかが、草地にあるボールを拾い上げているような気配がする。
 あは、ふふふ。へへ、えへへへ。

 遊んでいるものは左右の壁にボールを投げる。
 跳ね返ったものは湿った草地に落ちる。

 ぽん。
 びしゃ、びしゃ……
 あはははは、あは、へへへへ。

 動けない。
 隣の先輩も座ったまま、死んだように動かない。

 ぽん。びしゃ、びしゃ……
 へへへ。あはは。んへへへ……

 ぽん。びしゃ、びしゃっ。
 ははは。あはは、はは。うふふ……

 ぽん。
 びしゃ、びしゃっ……

 Mさんの足首あたりの空気が動いた。
 丸いものが地面を転がってきたような気配がした。

 へへ、あはは、あははっ。
 背の低いものが来る。
 ぬっと屈んで、丸いものを持ち上げる。

 えへへへへ。あはは、あは……

 つん、と鼻を刺す臭いがあった。
 ドブ川のような臭い。

 心臓が止まりそうだった。

 あははは。あはは、ふふ。ふふ……
 ぽん。びしゃびしゃっ。

 はは……あはは……へへっ……
 ぽん。びしゃ、びしゃっ……

 ぽん……

 遊んでいる小さなものは、Mさんの背後から引き返しはじめた。

 ぽん、びしゃつ……
 あはは……へへ……

 ボールはどこにぶつかるのかあちこちに弾みながら、離れていく。

 ぽん。びしゃっ、とんとん……
 ふふふ……あは……

 通路まで戻った。
 そのまま逆再生のように、声を音は外へ、外へと出ていく。

 ぽん。
 とんとんとん、とん……
 はは…… あはは……


 どれだけそうしていたかわからない。
 声も音も気配も、完全に消えた。

 Mさんはようやく息をついた。頭がくらくらする。硬直していたせいで、体が痛い。
 二、三度深く呼吸をしてから、横を見た。
 ずぶ濡れの先輩は壁に膝を向けた正座で、顔を伏せたままだった。

「あの、先輩。い、今の、なんですか」
 Mさんは動悸を抑えるように言った。

 先輩の伏せている顔の下で、唇が動いた。

「俺、言ったよなあ。住んでる人と揉めたら教えろ、ってさあ」

 Mさんは首を振った。
「いや、あの。自分は特に何も」

 先輩の体の中で唇だけが動く。
「怒ってるよ。住んでる人。すごく怒ってるよ」
「でも何もしてないですし、怒られるようなことは」
「怒ってるよお。ほらあ」
 先輩の顔が上がり、顎がマンションの上を示した。

 Mさんは思わず視線と、懐中電灯を向けた。
 ライトがちょうど、それのいる場所を照らした。

「えっ」

 マンションの2階、雨に濡れたベランダだった。
 人が、今にも落ちそうなくらいに身を乗り出している。

 真っ白な顔でMさんを見下ろし──
 違う。顔ではない。

 ベランダから2本、腕が突き出されている。
 腕の先、ふたつの手の間に、白いボールが挟まっている。
 ボールには目、鼻、口が。
 子供が落書きしたように、ぐしゃぐしゃに描いてある。

「おい、落とすなよ」
 隣で先輩の声がした。

 腕は伸びきっていて、ここからでもわかるくらいに手が震えている。
 今にも滑り落ちそうだ。
 この位置だと、自分のまん前に落ちてくる。

「落とすなよ、地面に」
 先輩の言葉が耳に刺さってくる。
「フクダはなぁ、落としちゃったんだよ。だからさあ、地面に落とすなよ」

 ベランダの腕、顔の描かれたボール、先輩の言葉が頭の中で混線する。
 
 手の間から、ボールが抜けた。
 落ちてくる。すぐ目の前に。

 Mさんはそのボールを、
 反射的に手で払い飛ばした。

 ボールは壁に当たって、濡れていないあたりの草地を転がった。

 ぽん。
 とんとんとん、とん……





「で、あとはそこから走って逃げたんですよ」
 Mさんは言った。

 ……ボールは、受け取らないのが正解だったんでしょうか? と聞く。

「たぶんそうなんでしょうね。こうやって今、無事なんで」

 後日、聞くのは怖いがどうしても気になったMさんが他の先輩に聞くと、確かに以前、フクダという院生はいたという。
 彼は夏頃から急に大学に出てこなくなり、そのまま退学となったらしい。

 ただ彼が先輩の言った「フクダ」であるのか、彼がボールを弾いたのか受け止めたのかは当然、わからない。

「結局その後は先輩と連絡がつかなくなって。バイト代も貰えなくて……。本当にひどい目に遭いましたよ」
 と、Mさんは話を結んだ。


 しかし。
 最後にいくつか、気になることがあった。

「あの、ベランダから落ちてきたボールなんですけども」
「はい、なんですか」
「それって本当に……ボールだったんですか?」
「……えっ?」

 聞かれたMさんは顔を曇らせた。
「いや、ボールだ、って言ったじゃないですか。白いボールだったって」
 強い口調で否定した。
「目とか顔が描かれたボールですよ。言ったでしょボールだって。言いましたよね俺? 言いましたよね?」

 声が怒気を含みはじめたので謝ったが、Mさんはしばらく口の中で
「ボールだよ……。ボールだって言っただろ……。あれは……」
 と呟いていた。

 雰囲気をとりなそうと、別の質問をした。

 周囲の人に、マンションや岩の話を聞いたりは……
「いや聞かないですよ。怖いじゃないですか。フクダって人のこともだいぶ経ってから聞いたくらいですよ?」

 ご家族や周辺で、その後変わったことは……
「ないです。それはもう、自分も含めて何事もなかったのはよかったですよ、ええ」

 ……先輩はその後、大学には来たんでしょうか?

 Mさんに尋ねると、彼は眉間に皺を寄せて、視線を遠くにやった。
「……いや、来てないです。連絡はつかないし大学でも見かけないし。
 先輩最近来てないよね? って聞かれたこともあるんで、大学とか街には出てないみたいです。
 だからまぁ、あの人──」

 Mさんは最後にこう言った。

「まだあそこに、座ってるんじゃないですかね」




【完】



👧👻急告👻👧
 皆さん、大変です!
 Vtuber・椿ののさんを挟んで、「禍話」があの名ホラーマンガ、『裏バイト 逃亡禁止』とコラボします!!

 要約:『裏バイト 逃亡禁止』フェスの前夜祭イベントに、「禍話」のかぁなっきさんがお呼ばれしました。
 同イベントには実力派Vtuberさんたちのほか、納棺師芸人・おくりびと青木さんミスター事故物件こと大島てるさん、現代怪談学と語り手としてはトップを走る吉田悠軌さんらも参加されます。

 つまり、


 主宰・椿ののさんのチャンネルはこちら↓ 「禍話」かぁなっきさんの出演は、9月21日(水)の動画です。


☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」
 シン・禍話 第二十四夜 より、編集・再構成してお送りしました。


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