【怖い話】 長すぎる 【「禍話」リライト 52】
どこかの公園であったことだそうである。
Aさんは彼女と一緒に、夜の公園でデートをしていた。
「広いところで、夜はライトアップなんかもされる公園なんですよ。たぶん昼なら、親子連れやお年寄りも歩いてるんでしょうけど」
時刻は午後10時を回っていて、さすがに人手は少ない。それこそ自分たちのようなカップルが数組、ゆっくりと歩いているばかりだった。
特別な理由も目的地もないままに、広い公園をぶらついた。
秋の中頃だった。夏も終わり、夜になると気温がぐっと下がってくる。
「寒いね」
「うん」
そんな他愛もないことを言い合う。
自販機でホットの飲み物を買った。少し歩いて、池の近くまでやって来る。
池を囲むように点在するベンチのひとつに並んで座って、ふたりで暗い夜空を見やる。
街灯がぼんやりと点いていて、遠くに立つ樹木にイルミネーションが輝いている。
時間はもう11時近かった。
そろそろ帰ってもいいのだけれど、なんとなく、帰りたくない。
理由もなく、どうということのない会話をしているこんな時間が、すごく大切なもののように思える。
池の水面、薄明るく周辺を照らすライト、月の出た空を、身体を寄せあって見つめていた。
そんなふたりのロマンチックな時間に水を差す存在に気づいたのは、それから10分もしないうちだった。
彼女が「缶、捨ててくるね。あとちょっと、トイレ……」などと言ってベンチを離れ、しばらくしてから戻ってきた。
うーんと唸って、妙な顔つきをしている。
Aさんがどうしたの、と聞くと、隣に座り直した彼女は小さく言った。
「あの、向かいにいる人……向こうのベンチの人さ……」
向かいとか向こうとは、池を挟んだ反対側のことらしい。
言われてAさんはチラリと「向かい」に目をやった。
そこにもベンチがあって、人がぽつんと座っていた。
大きくはない池だ。さほどの距離はない。しかし何しろ夜中で、向こうの姿は背格好くらいしかわからない。
……ひとりしかいないな。あと、秋物のコートを着てるみたいだ……。
じろじろ眺めるわけにもいかないので、そのくらいのことしか見て取れない。髪が中途半端に長く、男女の別も不明である。
スマホもいじらず、誰かを待っているという様子でもない。何をするでもなく、まっすぐに座っている。
ホームレスかな、とも思ったが、紙袋などのホームレスらしい荷物は手近にない。
そんな人が夜の11時、ひとりきりで座っている。確かにちょっと気にはなる。
でも人間、そんな風にひとりになりたい時もあるだろう。唸ったり妙な顔つきをするほどおかしな状況だろうか?
「……あの人が、どうかしたの?」
見ず知らずの他人のことを話すというので、Aさんの声も自然と低くなる。
彼女は向かいを見ないようにしながら、より声をひそめてこう言った。
「あの人さぁ……右腕、長くない?」
え?
Aさんは首は動かさず、目だけで再び、池の向かいを見た。
視界に入れたのは一瞬だけだった。けれど、それでも十分にわかった。
確かに、右腕が異様に長い。
両手は自然に体の脇に下ろされている。
ベンチの座る部分から、右手がべろりと垂れている。肩から伸びている腕が信じられないくらい長いのだ。
左の手は普通の位置、腰のあたりにある。右肩を無理に下げているわけでもない。
……右腕だけがすごく長い、みたいな身体的障碍があったりするのだろうか。短いというのはあるけど、長いというのは聞いたことがない。
あるいは義手だろうか。しかし左腕の2倍くらい長い義手などつけてしまっては、日常生活に支障が出るのではないか。
ぐるぐるとそんなことを考えているうちに、Aさんはなんだか気味が悪くなってきた。
「いや、右腕、本当に長いけどさ……なんつーか、そういう人なんじゃないの?」
彼女の頬に顔を寄せてヒソヒソ話す。離れているとは言え、相手の耳に入ってはとても失礼だ。
「いやそれにしても……」彼女も吐息のような囁き声で応じる。「あれは長いよ……長くない……?」
「まぁ、長いよな……あれは……」
「片方の腕が長い、みたいなのってあるのかな……?」
「ないと思うけど……じゃああれって、どういうことなの?」
「なんか、イタズラとか……?」
「イタズラ?」
「ほら、素人を怖がらせるドッキリとか……」
「いやぁ、こんな夜中だぜ? それはないんじゃないかな……」
「でもそうじゃないと、さすがにヘンっていうかさ……」
「そうだよなぁ、どう見てもやっぱりアレって、」
作り物なんじゃないの、とAさんは言おうとした。
「 つくりものじゃないよ! 」
大声が、人の気配のない公園に響いた。
息が止まった。
見ると、池の向こうのベンチにいる人がまっすぐ立ち上がっている。
右腕が長い。
異常に長い。
右手の指先が、膝頭を越えている。
相手はベンチから離れた。
そのまま足早に、こっちに向かって進んでくる。
池のぐるりを回ってこっちにやって来る──のではなかった。
ベンチから直進する。
低い柵を乗り越える。
藪をズルズルと突っ切る。
水辺の草を踏み荒らす。
そのまま、池へとざぶざふ入って来た。
Aさんふたりの方に、一直線に向かってくる。
Aさんは、この池が中央あたりで深くなっていることを知っていた。大人でも立てない深さだ。
しかし、「あいつは絶対にこっちにたどり着く」とわかった。
理屈ではない。
絶対に、ここまでやって来てしまう。
声にならない悲鳴を上げて、Aさんと彼女は手に手をとってそこを逃げ出した。
広い公園を必死に抜け、車に乗ってエンジンをふかして一気に走り出した。
一度も後ろは見なかった。
Aさんのマンションに着いて急いで車から降り、部屋に入ってカギとチェーンをかけてようやく、安堵の溜め息をついた。
「なんなの……あの人……」
「いや……わかんない…………」
心臓の鼓動が元に戻るまで、居間でぺったりと座っていた。
ようやく二人とも落ち着いた頃、彼女がおずおずと尋ねてきた。
「あのさ、ちょっと怖いこと、言っていい?」
Aさんは驚いた。自分の頭の中にも、「怖いこと」が居座っていたのだ。根拠も何もない、怖い想像のようなものだった。
「俺も、ちょっと怖い想像みたいなのが、頭に浮かんでてさ」
そう返すと、彼女も驚いた風だった。
こうなっては仕方ない。
互いにこの「怖い想像」を吐き出さないと、居てもたってもいられないのだ。
「あのさ」彼女がまず切り出す。
「あの人、『作り物じゃないよ』って叫んでからは、何も言わなかったよね?」
「うん。言わなかった」
「黙ってこっちに来たよね?」
「そう、無言で池に入ったよな」
「お前らをどうするとか、こうしてやるとか……叫ばなかったよね?」
「叫ばなかった。一言も言わなかった」
「……私さぁ、すっごく変な話なんだけど、あの人が池を渡って、こっちまで来たらさ──」
「うん、俺らがあの人に、捕まったら──」
右腕をつかまれて、
ちぎれるくらい、
強くひっぱられる。
その想像が、ふたりで一致したのだという。
「もうあそこの公園には行きませんよ。朝でも昼でも行きません。あそこにはね、変なモノがいるんですよ。
調べたりもしてません。怖い事件とか事故とかが見つかっても嫌だし、何もなかったらそれはそれで、怖いですから……」
Aさんはそう言って、話を締めくくるのだった。
公園のある地域は教えてもらったものの、ここに書くことは憚られる。
ただ、関東のどこか、とだけ記しておきたい。
【終】
☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」の外伝、
エア禍話 より、編集・再構成してお送りしました。
☆☆春よ来い! 早く来い! 花粉は来るな! 霊も来るな! 悪いものは帰ってください!
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☆☆☆『禍話リライト』vol.3 、出ております。拙筆も5話くらい載っております。買っておくと魔よせ……じゃねぇや、魔よけになりますよ!