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【怖い話】 Re:赤い隣 【「禍話」リライト81】
●前
「隣の家には、ご家族が住んでらっしゃるんですけどね」
結婚して数年目のAさんは、そう語りはじめたという。
「そのお隣の、お子さんふたりの様子がおかしくて、そのせいなのか妻まで少し、変になっちゃったような気がして──」
2020年の初頭の話である。
隣の家はお父さんとお母さん、社会人のお兄さん、それに当時、大学受験を控えていたらしい妹さんの4人家族だったそうだ。
つまり隣の兄妹はAさん夫婦より少し下。Aさんが知る限りでは、隣家が事故物件だとかそういう噂はないそうなのだが。
「最初は、妻が妙なものを見たって言ったんですよ」
Aさんは会社勤めで、若いながらもそれなりの地位についている。奥さんは家事をしつつ、在宅勤務をこなしている。将来子供を作るかも、ということで、二階建ての家を借りている。
ある日の夕食のとき。
そういえば昨日さぁ、と奥さんが不安げな顔で言った。
夜に外を見たら、なんか、おかしなことになってたんだけど。
「隣の家が、真っ赤になってたんだよね……」
「真っ赤? なにそれ。どういう状況?」
奥さんが言うことには。
つい先日のこと、旦那さんがまだ帰ってきていない時間に、部屋から外を覗いてみたのだそうだ。
「深い意味はないんだけど。いやカーテン閉め忘れてたんだっけかな……とにかく、大したワケはなかったのね」
2階の一室から、隣家の横を見る形となった。
お隣とは、妙に細くて袋小路になっている変な道を挟んでいるだけ。ほとんど隣合わせと言える。
塀も低いため、隣家がほぼ全部見通せるのだという。
「それで、真っ赤っていうのはどこが? 家全体?」
「ううん。ひと部屋だけ。2階の片方の部屋だけ…………」
「2階ってたぶん、子供ふたりの部屋だよな……。お兄さんか、妹さんの」
部屋の電球を赤くしてるのかなと思ったが、そういう趣味にしては部屋の中のインテリアはごく普通に見える。
第一、社会人と受験生である。部屋を赤くライトアップのがカッコいい、なんて年齢でもないだろう。
それに、夜なのにカーテンが全部開いていたことも気になる。
Aさんは奥さんの話にうぅん、と唸りながら食事を終え、洗い物をはじめた。台所の窓からも隣が見える。見上げてみる。
隣家は闇の中でひっそりとしていた。
「……2階、カーテンは閉まってるから絶対っては言えないけど、」
Aさんは目で奥さんに合図する。
「どっちの部屋からも赤い光が漏れてる感じはしないよ」
奥さんは台所の窓に近づいて、Aさんと並んだ。
「ホントだ。今日は赤くない……」
妻の言うことが嘘や冗談とも思えない。しかし部屋がある一日だけ赤かった、なんてことがあるのだろうか?
ちょっとよくわかんないなぁ。なんなんだろうね。というような曖昧な流れになって、
「まぁ光の加減で、そういう風に見えたのかもしれないしね」
とAさんが言い、話題は終わった。
それから数日は、特に何事も起きずに過ぎた。
ある日の夜中、Aさんはトイレに起きた。用を足し終わってから、
──あぁ、そういやぁこないだアイツ、隣が赤いとかなんとか言ってたっけな……
──ここの窓からも、完全には見えないけど、赤いかどうかくらいは確認できるよな……
Aさんはそんなことをぼんやり考えながら、トイレの小さな窓を開けて、お隣の家を窺ってみた。
2階の一室が、真っ赤になっていた。
うわうわうわ! 赤いじゃん! とAさんの眠気がいっぺんに吹き飛んだ。
アイツの話ってホントだったんだ。
夜中の2時だけど、これはアイツも起こして、ふたりで確認した方がいいんじゃないか?
ひとりで見るのも、おっかないし…………
Aさんは寝室に引き返し、奥さんを揺り動かした。
「おい……起きろよ。隣、今マジで赤くなってるよ」
隣が赤い、と聞いた奥さんはパチッと目を覚ました。
「えっホント? 今?」
ほら言った通りでしょ! と奥さんは起き上がる。そして夫婦ふたりで2階の別室に行き、カーテンを開けた。
隣の家の部屋は、赤くなかった。
しかし、Aさんが赤い光を見た2階のひと部屋には、まぶしいくらいに明かりがついていた。白っぽい、普通の明かりである。
深夜だというのに、カーテンが閉まっていないのだ。
その部屋はちょうど、Aさん夫婦がカーテンを開けている部屋の真向かいに当たる。だから中がよく見えた。
ごくありふれた白い壁がある。窓ガラスはぴったりと閉じている。両脇には寄せられたカーテンが束ねてある。
室内には、誰もいないように見える。
「赤くないけど……でも、いま何時?」
「2時過ぎ……。真夜中だよな」
「赤くないのはいいとしてもさ、2時にカーテンが開けっぱなしで、しかも電気がついたままなのはおかしくない?」
「そうだよな……でもさぁ、さっき見た時は確かに、あそこの部屋、真っ赤だったんだよな……」
そのうちに、向こうに動きがあった。
「え……?」
左に寄せられたカーテンの束の方から、ゆっくりと誰かが出てくる。
異様に大きい。
ちょっと、なにあれ……?
その人影は、全身が窓枠におさまっていなかった。
隣の家の息子さん──お兄さんが出てきたのだ。
誰かを肩車していた。
肩車されている人間の腹から上は、窓枠と壁に隠れて見えない。
寝巻きの色合いや足の細さからして、若い女のようだ。
妹さんだ、と思った。
まったく意味がわからないが、お兄さんが妹さんを肩車しているのだ。
お兄さんの目の焦点が合っていない。進行方向をぼうっと眺めているだけだ。
「ちょっ、あれ……」「なんだあれ……」
Aさん夫婦は身を寄せ合って怯えた。
それに合わせたように、お兄さんの口が開いた。
唇がゆっくりと動く。
一文字。
また一文字。
こちらに唇の動きがわかるように。
あっ、あの人。単語か文章を伝えようとしてる。
こっちに何か、口だけで言おうとしてるんだ。
Aさんはぞっとしてカーテンを閉めた。なに? 今のなに!? と震える奥さんをなだめながら、Aさんは考える。
なんで部屋が、数分だけ赤かったんだ? どうして兄妹で肩車なんかしてる? 夜中の2時、カーテンを全開にして。どういうこと?
頭の中がごちゃごちゃしたものの、「いま考えても怖くなるだけだから……とりあえず、寝よう……」と奥さんと共に、ベッドに戻ったのだった。
翌日の朝は、夫婦の食卓が暗かった。いつもは弾む会話も途切れ途切れで、空気が重苦しい。
不安そうな顔の奥さんを「大丈夫、大丈夫」と励まして、Aさんは出勤した。寝不足気味ではあったものの、これで仕事を休むわけにはいかないのだ。
とは言え仕事中は、気もそぞろといった感じだった。
昨晩のことも嫌だったけれど、考えてみればひとり家に残っている妻が可哀想だ。
「今日はどこか、気分転換に外でコーヒー飲みながら仕事してきなよ」
そのくらいのことは言ってやるべきだったかもしれない。自分の不安ばかりで、伴侶のことまで気が回らなかった。
──悪いことしたなぁ……
悪い想像と申し訳なさが胸に満ちてくる。これは早上がりして、顔を見せてやった方がいいかもしれない。
工夫をしたり作業を明日に回したりした。そうして夕刻、暗くなってきた頃合に、Aさんは家へと戻ってきた。
例の隣家の前を通る。門灯がついていて、庭と座敷を繋ぐガラス戸からは光が漏れている。平和な家にしか見えない。
──普通の家、だよな……。そうだよ。家族でケンカするような声も物音もしたことないし。ここは平穏な家族のはずだよな……
そんなことを考えながら隣の家と自宅の間、細い道の前を通りすぎようとした。
道の奥に、誰かがしゃがんでいた。
「あれ?」
Aさんは隣家の塀の端、細い道の手前あたりで歩みを止めた。
そこは電柱の街灯もなければ低い照明もない。しばらく行くと行き止まり。何故こんなものが存在しているのかわからない、奇妙な小道だった。
その人はしゃがんで、地面を削るか掘るかしているようだ。手に持った物体でがり、がり、とやっている。
夕方で街灯のひとつもない道なのに、電灯をつけたりもしていない。
地面をいじっているのに、作業着でもない。
目をこらしてみてわかった。
隣の家のお兄さんだった。
靴を履いていない。
靴下のままでしゃがんでいる。
「こんにちはァ」
横からだしぬけに呼びかけられた。
振り向くと隣の庭の塀、そこから妹さんが首を出している。
低い塀の上に両手を乗せて、こちらを覗き込んでいるような姿勢だ。
唇の両端が不自然に上がって、Aさんに笑いかけている。
「あ……こんにちは」
と挨拶を返した時に、気がついた。
妹さんは塀の上に出した右手に、尖ったものを握っている。
車の一部を剥ぎ取ったような金属片、鉄クズのようなものだった。
え、なんでそんなものを。
「こんにちは」
今度はすぐ脇から言われた。
細い小道の入り口に、お兄さんがぬっと立っていた。
口には妹とそっくりな笑みが浮かんでいる。
右手に、やはり金属片のようなものを持っていた。
金属は夕日の光を浴びて、不吉な色を反射させていた。
返事もそこそこに、Aさんは速足で自宅に戻った。
門を通り鍵を開け、玄関に飛び込んでドアを閉めた。
「た、ただいま!」
怖いのでいつもより元気に言う。
返事がない。
居間に上がり、台所を回る。ただいま、早いけど、帰って来たよ……などと言いながら。
奥さんは、家にいなかった。
──買い物? それにしてはちょっと遅くないかな?
いやそれはそれとして、外のあのふたりだ。インターホンでも押されたらどうしよう。買い物に行ってるアイツが家の前で鉢合わせしたら。
奥さんのスマホは置きっぱなしだった。やっぱり簡単な買い物かな、と安堵したはいいものの、連絡がつかないのでまた別の心配が発生する。
部屋着になった。しかし居間にいても部屋にいても落ち着かない。
──とりあえず、気晴らしじゃないけど、夕飯の準備くらいはしておこうか……
テーブルに箸や食器を出しておくくらいは先にやっておいていいだろう。
Aさんは台所に行き、箸やスプーンを入れている引き出しをガラリ、と開けた。
中に、車から引き剥がしたような金属片が入っていた。
Aさんは引き出しを押し戻した。
混乱しきって、何も考えられなかった。
そのうちに奥さんが帰って来た。「ちょっとした買い物」だった、と言う。
Aさんは隣家の兄妹のことも、引き出しの中身のことも、言うことができなかったという。
……それから後は、特に何事も起きていない。奥さんの態度や様子、言動にもおかしなところはない。
ただ夫婦の生活に、ちょっとした変化が起きた。
この件の少し後から奥さんが、カルチャースクールに通いはじめたのだそうだ。
在宅の仕事のあと、あるいは休みの日に出かけて、夜の早い時間に帰ってくる。夕飯の用意はしてくれるものの、夫婦で顔を合わせる時間は減ってしまった。
でも、とAさんは言う。
「2020年ってほら、まん延防止とかあったでしょ。だから、カルチャースクールとかやってなかったと思うんですよ……。じゃあアイツ、一体どこに出かけてるんだろう、って……」
Aさんは今でも、奥さんのことが心配なのだという。
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