ヒナゲシ
5月3日。実家の最寄り駅から列車に乗ってわたしの通っていた高校のある街へいく。休日にも関わらずわたしの母校の制服を着て重いスクールバックを肩にかけた生徒が同じ列車に乗った。県北唯一の進学校に休みなどなかったとしみじみ思い出し、心の中でありったけのエールを送った。1両しかない列車がゴールデンウィークの人手で俄かに混み合っていたが、高校3年間乗り尽くした路線なのでわたしは少し我もの顔で空いた席に座る。途中の駅が斜めに傾いていること。その駅を通り過ぎれば田園風景がしばらく続いたかと思うといきなり「街」らしい空間に投げ出される。今は中身が移転してしまいすっかり蔦に覆われている、好きだったひとの母校の横を掠めたらもうそこはあの叫びたいほど懐かしい駅だ。当時より改装が進んでいて多少綺麗になっているようだったが、この令和の時代にICカードの使えない化石のような駅だ。駅を出て左手のトイレの、危険な段差はあるくせに据え置きのトイレットペーパーのない不親切さは相変わらずである。それでもこの駅の全てにわたしの青春がこびりついている。
お昼にここで会おうと約束していたひなちゃんが車で迎えにきてくれた。高校の友達が運転する車に乗るなんて少し不思議な感じだと話した。雰囲気の素敵な老舗の喫茶店でランチを食べながら色々なことを話した。仕事のこと、高校の同級生のこと、お気に入りの思い出、最近の趣味のこと。ひなちゃんが選んで口にする言葉ひとつひとつはいつも宝石みたいに貴重で永遠の価値があるような輝きがある。これは昔から変わらないわたしが彼女をだいすきな理由のひとつだ。わたしの話もゆっくり味わうみたいに聞いてくれて、とても大切にされていると実感できる。小柄な彼女のいる空間はいつも木漏れ日のような、月明かりのような柔らかい空気に満ちている。
ランチの後話し足らず場所を変えてお茶をした。帰りの列車まで時間が余ったので雑貨屋を冷やかして、寄り道したケーキ屋さんで母へのお土産も買った。その道中、車窓から見える景色を話題にまた沢山話した。「この道を入って右に行くと私たちの母校だね。まだあの先生いるかな?」とかそんなことだった。
山の上に高等専門学校が見えた。高専には知り合いは居なかったけど、その山の麓には特別なひとの昔の家と特別なファミリーマートがあって、そこで成人式の前々日の1泊2日を過ごした忘れられない1日が手に取るように鮮明に再生された。そんな風に街のどこを切り取っても言葉にできない思い出がどこかしこに今でも枯れない泉のように湧き出ていた。あぁ、ここは明らかに確実にわたしの生きた街だ。どんなに遠く離れてもどんなに時が進んでも変わらないひとと場所はいつまでもわたしのものだ。記憶も匂いも、今はないあのファミレスも、わたしのものだ。ぼんやりと「いつかまたここで暮らせたら」と祈りのような声が頭で再生された。
ひなちゃんはガラス屋さんで見つけたガラスペンにわたしを思い出して買ってくれていた。「渡せて嬉しい」と言ってくれたけれどわたしの方が嬉しいに決まっている。「納得のいくラッピングペーパーがなかったから」と彼女が打ち明ける手作りのそれはわたしの好きな魔法使いの上着の柄だった。どんなブランドの包装よりもこのラッピングに1番価値があることを知っている特別な女の子なんだと会う度思い知らされる。いつだって、今日も一日中すこぶる素敵なひなちゃんと別れを告げた後、また好きだったひとの母校、田園風景、傾いた駅を辿ってうちに帰った。当時のもどかしさや苦悩も霞んでしまうほど、10年以上も前にこの街で生きていたことをとてつもなく愛おしく思える1日だった。
今日のタイトルをヒナゲシにしたのは単純にわたしのだいすきな女の子の名前からとったのだけれど、偶然か否か今日の日にとても似合う「心の平穏」や「思いやり」という花言葉がついている。わたしたちが好きな映画もヒナゲシの仏名がタイトルになっているし、見た目の素朴かつ華のある感じも相まって本当にひなちゃんを思い出させる花だな。