スズラン
5月1日はフランスでは「ミュゲの日」といって大切な人にスズランの花を贈る日。わたしのいちばん好きな花の日にわたしはとても腹を立てていた。
何もなく1日が過ぎただけなのでここに書き残すほどのこともないけれど、何かあったかと言われればただ約束を反故にされたということである。何となく予想していたことがその通りになっただけで、これまでだって何度もあったことだから、ふたりの間柄で言えば寧ろ慣れていることのはずだった。思い返せば確かにそんなに固い約束ではなかったかもしれないし、「何でもいいよ」言いながらほんとうは憤ってしまうほどに楽しみにしていたのかもしれない。「反故にされた」とはいかにも被害者ぶった言い方だけれど相手に甘えているのは実はわたしだ。これまで散々味方で居てもらっていたくせに少し独りになったくらいでその虚しさの全てをひとのせいにするのはやはり間違っている。と一夜明けたいまなら思えるくらいにはもう過ぎた話だ。次会えるのがいつになるか分からないのはいつものことで、そうしてもらって嬉しかった日があったように君のペースの全てを受け入れるし、君を傷つけない方法でわたしもずっと味方だと伝えるから、この自由な結びつきに終わりが来ませんようにと願うばかりだ。もし君に永久に会えない日がくるとしたら死別がいい。
この「ミュゲの日」だけは不貞腐れたわたしに世界一だいすきな花を贈ろう。貴女の機嫌を直す出来事は目の前に見えなくても、ずっと流れている曲の中に、家族で観た映画の中に、重たい毛布の中に、文章の中に、どこにでもあるからそんなに悲観的にならないでよ、と。偶にはこういう日があって自分で自分の肩を抱きしめていないとやっぱり悲しいかもしれないから。こんなときぴーちゃんが居ればなぁと亡くなったいぬのことを思い出したりしていた。