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満身創痍なわたしたち

母の知り合いが作ったという即席の縁側で濡れたピンクの鼻を乾かすあなたに、すこし傾いた日差しが当たって金色にひかる背中を撫ぜる午後が永遠に来なくなってしまった日。あなたのいるお家から遠く離れた知らない街で電話で訃報を受けて泣いた。
300キロも離れていると年に何度会えるか数えるほどだったけど、フローリングを歩くつめの音を聞くだけで幸福だった。
コーヒーゼリーみたいに黒くて艶のあった瞳が会うたびだんだん霞んできて、身体を支える足取りもよたよたと重たくなっていた。中身が赤ちゃんのままなのに身体だけが先に歳をとってしまって戸惑っているようにも、何も分かっていないようにも見えた。世にも可愛い顔を見るたびにもう次が来ないかもしれないというおそろしさが少しずつ少しずつ浸食し始めた頃、年末のリビングを最後の思い出にうんと遠くへ行ってしまった。
もともと身体が弱かったあなたは何度もてんかんを起こして、お腹を下し、ごはんをもどした。けろっとした顔でおやつをすがるとき、家族みんなで甘やかした。甘えん坊で寂しがりやで弱っちいあなたのことがだいすきだった。いまでも。
あなたがおなかの上によじ登って眠り始めると、あなたやほかの誰かを安心させて愛を与えられるような、頑丈で冷たくない綺麗な何かがもしかしてわたしにもあるんじゃないかと思えた。
アスファルトの熱が冷めた夕方、あなたと散歩へ出かけるとき、かならず途中で得意の甘えた声でおねがい、疲れちゃいましたのわたし、とだっこをせがむあなたを抱えるとき、腕にかかる体重と体温が名残惜しくていつもすこし泣きそうになった。もうすぐあなたと他の家族を置いて遠くへ戻ってしまう。こんなに愛しい小さい赤ちゃんの妹は何も分からないのにわたしだけが置き去りにしてしまう。それでいて、厚かましくもわたしと過ごす浅いかすかな時間をあなたが少しでも恋しいと思って欲しいとも願っていた。
お姉ちゃんなんで会いにきてくれなかったの、わたし頑張ってたのに。寂しがりで怖がりのあなたが今でもそんな風に怒ってるんじゃないかと考えてしまう。お盆に初めてあなたの遺骨を膝に抱いて世界一かわいいと思ってしまった。まだ少しあなたの匂いが残る実家の部屋でぽかんと空いた穴にもう埋まるものはないと、あなたの黄金に輝くといって過言はない毛並みが心底恋しかった。あなたが去って少し欠けて家族ごと傷がついてまだ癒えていなかった。
病気や老いから自由になった天国で幸福に暮らしているあなたをこの世で疲れ果てながら未だに心の拠り所にしてしまうわたし達はあなたに呪いをかけていないか不安だ。
でも許されるならさみしい気持ちはずっとこのまま胸に残っていてほしい。残ったものがあなたならわたしは毎日この胸であなたをだっこしてごめんねとも、愛しているとも伝えたい。

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