あの日の撃退法
私の地元は山と坂の町、車がないとなかなか大変な地域である。中学から始めた陸上は、高校でも一生懸命に続けていた。なんなら陸上のために受験した進学校だったので、勉強は二の次で、朝もはよから朝練、試合前であればお弁当を食べて昼練、授業が終わって夕練という陸上漬けの日々を送っていた。
学校まではバスがあったのだが、そのバス停というのが、山の頂上まで上った先か、ふもとまで下った街まで行かなければならず、なんとも遠かった。
甘えに甘えていた私は、朝練をする日、学校まで母に車で送ってもらっていた。
ところがこの日、母は用事があり送れないとのことで、ふもとの街まで下ってバスで行くことになった。
早朝過ぎたため高校への直通バスはなく、最寄りの停留所までいく便しかなったので、仕方なくそのバスに乗り込むと、同じ高校の制服を着た男子高校生が一人、運転席の後ろに座っていた。それを横目に、私は乗車口からいくつか前の二人乗りの席に着いた。
しばらく山の方に向かって、停留所をいくつか過ぎた時、新しい乗客が1人乗りこんできた。私と前方に座った男子高校生だけで、席がガラガラの車内なのにも関わらず、なんと、その男は私の席の真横に立った。
もうそれは本能的に、瞬間的に、なにか”ヤバイ”空気を感じたのは間違いない。
その頃の私といえば、「風の抵抗をなくしたい」という不思議なこだわりが募り、当時ベッカムヘアと呼ばれていたソフトモヒカンを頭に施していた。女子高生の制服に立派なソフトモヒカン。そんなヤツの横に、何を思ったのか、ただならぬ空気を出して立ちすくむ男。
私は息を殺して、脳内で作戦を練った。
”もし…なにか動きがあったら…、私は一体どう動くかべきか。”
手を出すか、立ち上がるか、声を出すか…。
この間、ものの数秒だったのではなかろうか。男の背が急に縮むような気配がした。
その瞬間の己の瞬発力。ヒョウに追われるジャッカルの如し。男の座ろうとした位置にとっさに右手が出たのである!
肘を立て、突っ立てた上に手の平を大きく開いて、男の尻を押し返そうとした。ところが私の手の形たるや、森林に自生するサルノコシカケ。
男が私の手の平に腰かける状態になってしまった。
もしかしたら、ソフトモヒカンの女子高生の尻を触ろうと企んでいるかもしれない男の尻を、思いっきり掴む形になってしまっている。
まさかの事態なのだが、とびきり高い座席に座ったはずの男は動じる様子もなく、むしろ私の右手を座席にねじ込む勢いで座ってきたのである。
緊急事態だ!!!!
私は男が座ったと同時に立ち上がった。
「すみません。退いてください。」
はっきりと伝えたにも関わらず、男はまるで眠っているような素振りで目をつぶって下を向いている。
お前のような人間が1秒以内に熟睡できるとすれば、痴漢しようとしている今だけなんだろうなぁ!!!
非常にイライラした私は何度も「退いてください。」と連呼した。
それでも頑なにタヌキ寝入りを決め込んで動かない男。
その時だ。急にバスが停車するのがわかった。
「どがんしたとね?!」
停留所でも何でもない場所で、異常事態に気づいた運転手さんがバスを止めて話しかけてくれたのだ!!!!
その瞬間、男は新しくバネの備わったロボットのように目を見開いて立ち上がり、あっという間に、それはもうすごい速さで降り口へ歩いて行ったのだ。
「…降ります。」
その出来事に唖然とする私。
「お前、なんばしよっとか?君、何もされとらんね??」
「あ、はい、大丈夫です。(私の手にそいつを座らせてしまいました。)」
気づいてくれた運転手さんのおかげで、一応は何事も無く、無事に朝練に辿り着くことができたのだが、
微動だにしなかった男子高校生。
モヒカンに欲情した男。
痴漢の尻を触ってしまったモヒカン。
色々な事に釈然としない出来事だった。
きっと、読んだ人は笑っていいんだか、笑ってはいけないんだかわからないと思うのだが、当の本人もそんな心情のまま書いているので、どうか笑い飛ばすと同時に、こんな悪いヤツがいた時は、困っているのがソフトモヒカンの女子高生であっても、手を差しのべて絶対に助けてあげて欲しい。
運転手さん、ありがとう!!!!
---おわり---