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なんでもあり族

父がわりをしてくれていた大好きな叔父が死んだ。

胃がん、大腸がん、糖尿病、肺炎。生死を彷徨う大病をいくつも経験しつつ、いつも不死鳥の如く甦っては「なかなか死なせてくれねえや」とぼやいていた叔父だったが、脚立から落ちた翌日にあっけなく逝ってしまった。
死因は誤嚥性肺炎だった。もともと生きているのが不思議な状態だったらしい。

7人きょうだいの長男でかなりの苦労人。でも、生真面目というよりふざけるのが好きな人だった。

厳密には、韓国で引っ掛けた女性が押しかけて来られたときにおばさん(嫁)にバレないよう逃げ回ったり、私のランドセルに下手くそな文字で私の名前を書いて一人で大ウケしていたり、やばい人ともいう。

最近も白いセーラー×白いコクーンパンツのオールホワイトコーデをしていた私に、「なんだ山伏か?」と満点の笑顔で言っていたのに。

なんだか信じられないなあ。

あまり実感のないまま黒い服を引っ掴み、叔父の家に行った。すでに親戚一同が介していた。当然だが、みんな泣き顔をしている。
叔父は白装束で仏壇のある居間に横たわっていた。おでこが赤い。脚立から落ちた際の傷だという。

それからは『おくりびと』と同じように納棺の儀式が行われた。だが、想像とちょっと違った。

ドーランが塗られておでこの傷が綺麗になると「あらすご〜い」と歓声が上がったり。

三途の川の渡賃(六文銭)を入れるよう促されて、めいめいがそこそこの金額を入れたのちに、納棺師から「現代はリアルなお金は入れなくてもいいんですが」と言われてずっこけたり(本当になんだったんだあれは)。

頭につける三角の布(天冠/てんがん)を手品師のように見せられて、若手が「これ笑っていいやつ?」と顔を見合わせたり(結局頭につけることはせず、袂にしまわれた)。

横たわる叔父の足を見て「あんちゃん外反母趾だったんだ〜」をひたすら繰り返すおばさんがいたり。

「兄貴ぃ〜!」と突然叫んで亡骸をガラケーで撮影し始めるおじさんがいたり。

つけっぱなしの蝋燭を見て「全部燃えちゃえばいいのに」とブツブツ言ういとこがいたり。

とにかくカオスだった。なんでもありだ。
だけどあまりに我ら一族らしくて笑ってしまった。
私の髪がピンクでも誰も何も説教してこないどころか、「いまはピンクか〜目印になっていいな〜」と言うような人たちなのだ。

告別式と火葬を終え、帰りの車の中で姉が言った。

「さっきさ、ひーちゃんがくれたわ」

ひーちゃんとは、叔父の次男。私たち姉妹を実のきょうだいのように可愛がってくれた、大好きないとこだ。
姉が「これ」と渡してきたハンカチを開くと、1cmくらいの白い破片がある。

「頭蓋骨だって。骨上げのとき、なんかやってるなーと思ったんだよ」

なんでもあり族だけど、ここまでなんでもありなのか?
帰宅後、叔父の骨はアクセサリーを入れるような透明の小さい袋に入れられ、本棚に飾られることとなった。
それを見るたび、叔父の口癖と、笑いながら頭をかいている顔が思い浮かぶ。

「みんなどうしよ〜もねえや〜」

たしかに〜。

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