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キン肉マン446話をマリポーサに注目して読んでいたく感動した話

初note…ども…

今週月曜、つまり2024年3月25日0時に更新されたキン肉マン446話が「ものすごく良かった」と思ったのですが、なぜ自分がそう感じたのか、恥を忍びつつ、ちょっとここに手探りで書いていこうと思います。
(Twitter(X)での自分の感想を再利用したりもしています)

順序立てて書くと、前提として、私は1月4日の年明け一発目の更新で「手負いでない者がここにひとり残っている!!」まで読んだとき、完全に"""望"""が"""絶"""された感覚に陥っていました。
強大な敵に挑もうとするマリポーサの決意をよそに……。

マリポーサはあの名勝負である(強調)ブラン城戦(つまりVSヘイルマン戦)で持てる要素すべてを出しきったなと感じていたので、もう描くことが無いから作中で闘わされることもないのだろうと勝手に油断しきっていたからです。

正直私のようなカス気味のメンタリティのファンにはものすごく受け入れがたい事態でした。

私にとってマリポーサは「再登場したら最高の名勝負を見せてくれた実力者」「作中最強とは言わないまでも、ある種超然とした絶対的な強さとかっこよさの持ち主」であり、「作品が続く限りずっとそうあってほしい」存在だったので、そんな彼が土をつけられるであろう展開が、たまらなく恐ろしく思えたからです。

もう、「ブラン城の一戦の後は闘うことなくセコンド業とかだけやって一生勝ち逃げしてくれや」とすら思っていました(カス)。

私の中のツバサ兄さんも「お前(マリポーサ)はそれでいいんだ……お前は陽のあたる道を、明るく温かい人生を歩んでほしい」って言ってたし……。

新登場の敵幹部たちとの初戦、闘うのが先日の一戦でおそらく全部の引き出しを開けきって既に勝ち星を挙げてる人、しかも味方が勝った試合の直後という、誰から見てもメタ的に勝ち目が万に一つも無い試合だったんですよね。
敗北フラグしか立っていなかった状態で章ラスボスをボコボコにした前例がなぜかあるみたいですが……。

そういうわけで、2024年1月4日以降、私が心穏やかにキン肉マンの更新を迎えられた日々は試合の始まりと共に(ひとまずの)終わりを告げ、
更新の度にセルフルドヴィコ療法で固唾を呑みながら(というのはみえをはった表現で、正確にはやかましく悲鳴を上げながら)、マリポーサの試合を見守るはめになったのでした。

余談

そんな状態で摂取した試合内容については、ちょっと未だに感情が先行して、冷静で的確な判断力が伴わないため、適切なジャッジが下せない状況にあります。まるで普段なら適切に下せてるみたいな言い方だな
すみません、「完全なるガードだったろ!」(?)とか謎竜巻技バタフライエフェクト(!?!?)とか鱗粉分身(!?!?!?)とか飛翔の神ボコボコタイム(????????)とかのノイズが大きかったのもあり……。

胸から生えた邪悪なハゲのおっさんの顔がイメージ像とかでもなく普通に触れるので念入りにボコボコにされるフェイズに突如として移行するの、それ自体が暴力的に面白いですからね。
マリポーサの(おそらく最後の)試合にそんなオモロは求めてなかったんですよ……😭😭😭と嘆きながら爆笑してました。何度見ても笑ってしまうので私の負けです。

「完全なるガードだったろ!」も、初読時は結構違和感あったんですが、試合中たびたび「マリポーサって思ったよりずっと負けん気強い人だったんだな」と感じさせられるシーン(「ナメられてたまるかーっ!」など)があったため、「なら言うか。言うな」と納得しました。

ちなみに、私にとってアステカセメタリーは「すさまじく強くてかっこいいマリポーサ」を象徴するフェイバリットだったので、
一億パワーのブースト込みとはいえ、パピヨンマンがこの技をフィジカルで受けきるのではなくギミックで外して対処したのは少しだけ救いでした。流石に素で受けるには脅威を感じさせる技だったということのはずなので……いや……破られるのも当然ダメージはありましたが……

話を戻すと、試合の決着回が更新された3月18日以降の一週間、私は案の定、とても暗澹とした気持ちで過ごしていました。

ゆで先生はものすごく慎重に、大事にマリポーサを扱って描いてくださっていることはわかっていましたし、実際最後まで我が身を顧みずパピヨンマンに食らいつく姿は本当にかっこいいと思いました。

そこに至るまでにも、「やれることは全部やる」で本当に全部やったのは称賛の気持ちしかありません(HiGH&LOW THE MOVIE2 END OF SKYのコブラも、そうだそうだと言っています)し、パピヨンマンのフェイバリットを暴いたことは、眩しく思えるほどの功績でした。

そうわかっていても、マリポーサのやることなすことパピヨンマンに通じずついには敗北を喫した展開を目の当たりにすると、前述した「勝ち逃げしてほしかった」という願望からくる無念がつのり、ひとりのときに思い出してはヴーだのグエーだのウグーだのといったうめき声をあげるばかりの生物とならざるを得ませんでした。
パピヨンマンのフェイバリットをまともに食らったマリポーサはあるいは生存すら危ういのではないかという不安もありましたしね。

また、446話について話す前に断っておくと、私はこの試合中ずっと、ある閉塞感を抱えて本編を読んでいました。

さっきも少し触れましたが、マリポーサというとても(とても!)かっこいいキャラクターの、おそらく最後になるであろう試合が、新しい敵の強さを示すための負け戦となることは、身勝手ですが本当に耐えがたいことでした。

(といっても、こんな感覚を持つのはバトルものを読んでいればままあることのはずなのに、今までこんなに苦しい思いをした覚えが無かったんですよね。

悪役キャラや敵キャラを好きになることが多かったためか、負けたり死んだりすることは大前提で、「どれだけそのキャラに即した手厚い敗北をさせてもらえたか」ばかりを問題としていればよかったというか……。

味方側で好きなキャラの、敗色濃厚な闘いを見守らなければならない経験は意外と無く……近いものだと遊戯王デュエルモンスターズGXの139話、140話で似たような思いを味わいましたが、こちらはワンチャンあるでこれと本気で思っていたので……。)

実際、マリポーサが新しい技を披露することもなかったことで、そのまま超人レスラーとして闘う出番はもう与えられないのだろうと思わざるを得ませんでした。

キャラクターとして秘めていたポテンシャルは既に(それこそ)燃やし尽くしていて、だから彼の実力それ自体も頭打ちで、これ以上強くなることはできないのだろうと思いました。

そういう閉塞感が、ずっと重石のようにありました。

だから3月24日24時の時点では本当に、マリポーサという魅力的なキャラクターの、選手生命ならぬキャラクター生命の終幕を、彼の生死に関わらず看取らねばならないだろう(ものすごく勝手にそう決めつけていました)という諦念を、なんとか飲み込む心の準備をしながら、キン肉マン446話を読み始めました。

そうして30分経過したときの私の呟きがこれです。


https://twitter.com/donkidab/status/1771923164513395133?t=cpBqJnYJVMfvjrNwDeAwTQ&s=19

この3ヶ月分の苦悩に対して変わり身早すぎるだろ。

プリキュアの敵みてえに完全に浄化されきった呟きを残して満足げに就寝したので、ここ3ヵ月の月曜0時の私の挙動をご存知の方はなんだこいつと思ったかもしれませんね。ほんとになんだこいつ……

というのも、マリポーサまわりの処理が、事前にはとても想像できなかったくらい秀逸だったもので……。

いや、今回どのキャラも自分の持ち味を活かしきっていて、しかもそれがお互いに邪魔し合わないどころか高め合う方向に作用していてかなり優れた作劇と言えるのではないかと思いますが、特に!という意味で……。
(飛翔の神も良かった。彼がカスムーブで逃げてくれないと今回のマリポーサとパピヨンマンのあの掛け合いもなくなるので)

まず、(前回の時点でそうでしたが)パピヨンマンが完全にマリポーサを認めていて、名前を覚えているのも嬉しいことでしたが、その後に続くマリポーサの言葉でガッツポーズを決めてしまったんですよね。

生きていてくれただけでなく、死力を尽くしても敵わなかった相手の呼び掛けに、ぼろぼろの体で「礼を言いたいくらいさ」と笑って応じる余裕を(空元気だとしても)見せてくれるんですよ、マリポーサという人は。どこまでもかっこいいのう(贔屓目)
(笑みを浮かべて自分を負かした相手と話せるキャラはマリポーサに限りませんが。みんなかっこいいよ!)

だから、それだけでも本当に十分嬉しいことだったのですが……。

そんな彼がゼブラたちとともに見せしめとして処刑されそうになったとき、

「キング・ザ・100トン!」

「そしてバイクマン参上!」

素直に胸が熱くなりました。

うおおお、100トンかっこいい!
とか、
バイクマンがさま付けでこのピンチに駆けつけてくれたってことは、ゼブラ、しっかり慕われてたんじゃん!
とかの感想が頭の中で形になるよりも先に、喜びの感情が心の中でぱっと弾けたように感じました。

そんな急上昇したテンションで読み進めていたら、


以下の場面が目に飛び込んできたのです。



「あの声はまさか100トン…か?」

「振り向くなマリポーサ!
ヤツの覚悟を無駄にせぬためにもいったん ここは退く!
だが これもまた…勝利へと続く道の半ばだ!」

「フッ…そうだ…
そうだったな…
かたじけない…

この借りは必ず…」

ズルいって!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そのセリフと涙はズルいって!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ただでさえ熱い展開だったのに、初読時はこのページの持つあまりの熱量に感無量になっていました。

そうしてこの446話を読み終わったあと、なんで自分はこのシーンでこんなに心を揺さぶられているのか、その理由を言葉にしてみたくなり、これを書き始めるに至ったんですよね(読む前まであんなに絶望していたくせに!)。

ちょっと、今までに書いたことと重複する箇所がありますし、わかりきったことまであらためて言語化することになるので少し気恥ずかしいですが、おさらいとして一応まとめて書いていこうと思います。

マリポーサはこの試合中、二度も「勝利に続く道」という言葉を口にしていました(やれることを全部やる、という旨の言葉なら三度も)。

その前後の言葉も含めた一連のセリフのニュアンスは、明らかに「この刻の神の勢力との闘いにおいて、たとえ自分が力及ばず倒れることになっても、できる限りのことをして他の者が勝利にたどり着くための道を少しでも切り開く」という、命がけの決意を表したものでした。

じっさい、空中殺法の数々やモクテスマ・ディフェンス、マリポーサ式マッスル・リベンジャーを繰り出してパピヨンマンに食らいつき、
それらが通用しないとわかれば、大事にしていたであろう矜持を捨てて1億パワーを手にして、「勝てれば(自分の体は邪悪神に乗っ取られるが)それでよし、敵わなくとも少しでもパピヨンマンの手の内をさらさせれば後に続く者たちへの助けとなる」、そういう方針で闘い続けていました。

そんな「自分がこの闘いの礎となることも厭わずに発した覚悟の言葉」が、
いざ自分の命が脅かされた時になって、「自分を生かそうとする仲間の意思を汲んだ、自分への激励の言葉」としてマリポーサにかけられたんですよね。

「かつての仲間に捨て身で生かされたこと」
「助けられた命で、後ろを気にして歩みを止めてはならないと、自分が口にした言葉で鼓舞されたこと」

この二つの出来事が一緒くたにぶつかってきたため、マリポーサにわけもわからず涙を浮かべさせるに至ったのではないかと思います。

(本当に、ずっと泰然自若としていたあのマリポーサがですよ、自分が負けても笑えた人が、あんなに目に涙を溜めてるんですよ……
ゆで先生も40年前マリポーサを登場させた時は、こんなに熱い心を持った人として描くことになるとは思わなかっただろうな)

もともと持っていた意味合いを反転させたまっすぐな言葉を、ずっと割を食ってたゼブラがここぞというところでマリポーサに語る構図を持ってくるの、キャラの魅せ方が巧みすぎませんか?
ゼブラ、たぶん自分が思ってる以上にものすごくいい仕事してるよ。
掛け値なしの名場面だと思います。

あまり雑にくくるのは良くないと思いますし、正確には少し違うカテゴリーかもしれませんが、
「自分以外の誰かのために発した言葉が、苦境において逆に自分へと向けられる」
構図がとても好き(そう、HiGH&LOW THE MOVIEの琥珀さんがそうだったように……)なので、余計に刺さったのだろうなと思います。

そして、ここからは更に勝手な幻覚でしかない感想ですが。

あのページの持つ全ての要素、特にゼブラからの「勝利へと続く道の半ばだ!」という言葉に後押しされるように、あるイメージが私の中で膨らんでいました。

マリポーサの言っていたこの闘いの勝利へと続く「道」とはまた別に、マリポーサの果てのない「道」が、私の頭の中に示されたように感じたのです。

この時思わずEndless Dream(遊戯王デュエルモンスターズGX4期ED)が脳裏をよぎっていました。
(歌詞は合ってるようでまったく合ってないけど、この曲の持つどこか切なくて、でも爽やかな雰囲気が446話の空気にはすごくマッチしているので……)

先ほど、私は「あんなに強かったマリポーサが、手も足も出ないまま負かされるのも辛いし、リングに上がることはもうなくて、今の強さが彼にとっての限界なのかなあ、それも辛いなあ」というような感想を持っていたと書きました。

でも446話を読んで、それはもしかしたら思い違いをしていたのかもしれない、と感じました。

たしかに、おそらくもうキン肉マンという作品の中で、マリポーサの試合が描かれることはないのだろうと思います(次シリーズがもしあればロビンとのタッグならワンチャン……?とも少し思いますが)。

でも、描かれることがないとしても、たとえそれが本編を外れたところで展開されるものだとしても、「ただそれだけ」のことであって、彼の物語はこれからもちゃんと続いていくのだ、と思えるようになったのです。

なぜなら、「100トンのために熱い涙を溢れさせた彼ならば、きっとこれからも、自分に掴みとれる限りの強さを追求し続けるに違いない」と、今回の話を読んで心底思わされたからです。

たとえばもう二度と自分のせいで、大事な仲間を死地に追いやることのないように。

「かたじけない…この借りは必ず…」と涙ながらに語った、あんなに情に厚い顔を見せてくれた人が、自分にもっと力があれば仲間にそんな役目を負わせはしなかったのに、と思っていないはずがないんですよ。

マリポーサは「これから」もっともっと強くなりますし、なれるんです。100トンがつないでくれた命で、自分以外の誰かのために。

だから、このパピヨンマンとの試合は、マリポーサというキャラクターの「終わり」ではなく、彼の"人生"の新たなステージの「始まり」だったのだと、今なら強く思えます。

今書いてて初めて思ったんですけど、これを一言で表すと、

永遠じゃねえ、無限だよ。

なのでは……?(ちがうよ)

こうして書いてしまえば、あまりにも「それはそうだけどさ……」という結論だったなあと思います。それでも、パピヨンマンの言葉ではありませんが、「そう思わせてくれるような、作品やキャラクターとしての厚みや説得力を伴った素晴らしいエピソードであった」と感じています。

と、ここ数日ずっとEndless DreamをBGMにしながらいい気分で書いてきましたが、実のところ、ここまで清々しく晴れやかな気持ちで語っていられるのは、「言うてきっと今度は本命の対戦相手が駆けつけてくれて100トンも助かるやろワハハ」とタカをくくって過信しているだけなので、100トンが普通に助からなかったらきっと悲しくなりますね……

あと「マリポーサの新たな始まりの話」をするなら、せっかくだから記事の公開は彼(とスグルと運命の王子たち)のお誕生日の4月1日まで待った方が良かったかな、とちょっと思ったりしました。

ともかく、もう2024年3月29日のキン肉マンの日まで30分しかありませんが……
29日からの超人総選挙2024、"""投票"""していきたいと思います 俺はやるぜ俺はやるぜ

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