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北へ 行こう ランララン #2

※この記事は前回からの続きとなります。詳しくは前回記事をご覧下さい。

2度目の呼び出し

 前回から1ヵ月程経過した秋口、学生時代お世話になった豊平とよひら大の深佐原みさはら准教授(仮称)から再び連絡が来ました。確かめたい事がある様で休日に落ち合えないかといった内容。その週の土曜に図書館へ向かう事となりました。

図書館にて

創成図書館

 やって来ました、創成そうせい図書館。予定時刻の30分も早く来てしまったので、中で漫画を読みながら待っていると、15分位で先生も来られました。先生が事前に話を通していたので、2階にある資料室を利用する際の手続きは意外にすんなりと済みました。一般図書コーナーにはそこそこ人も居たのですが、資料室には人っ子一人居ない。静けさが際立ってたのを覚えています。
 今回呼ばれたのは調べ物に手伝って貰いたいとの事。前回のトンデモ話が誰にも取り合って貰えなかったらしく、しょうがないから私をまた呼んだそうです。
「一緒に調べて欲しいのは『棟島むねしま 護房もりふさ』という人物についてだ」
昔よりも先生の強引さが増した様な気もしましたけど、まあ楽しそうだし、ご飯も奢ってくれるみたいだから良いんですけど。

ある人物について

 棟島という人物について、先生は軽く説明をしてくれました。

「前回話した『ずっと札幌開発に携わっている人物』が彼だ。職員録にも載っていないから、民間協力者を登用したんだろう」

 まず明治期の史料を検めてみたところ、彼についての記述が殆ど見当たりません。唯一見つけた二次史料を先生に見て貰うと、それは既に先生も知っているモノでした。寧ろその史料の記載から棟島を見出したそうです。島が都市の線引きをした際から計画に携わっているらしく、岩村への計画の引継ぎを、黒田が実権を握った時にも関わっていたとの事。

棟島の名が載る文献

 埒が明かないので他の史料をパラパラと眺めていると、文献の中に棟島の名前を見つけました。棟島はもともと兵部省陸軍部築造局からの出向だったらしく、対露を意識した軍郷としての役割を持たせる為に来たのだと思われます。兵部局は後に陸軍省へと昇華した機関です。
「職員録に載っていなかったのは非公式での出向だったからなのだろう。軍の築造局が関わってるという事は、初期の大通付近に営繕局が置かれたのにもある程度の説明が付くかも知れない」
 どちらも建造に関する出先機関であるので、業務内容に関しても大部分で協力しあっていた上に、軍事機密な建設に関してもカモフラージュで営繕局が名義を肩代わりして建設作業を行う事が少なからずあった様です。棟島は島の都市計画に関わっており、火防線の位置も棟島の助言によるそうです。
「棟島は火防線として確保した空間を何かに利用する使命を帯びていたのではないだろうか。第一たった数ヵ月で開拓資金を使い切るとは考えにくい。島を追い出し、火防線の真意を煙に巻く算段だったのだろうか」
 営繕局が火防線の近くにあったのは、彼がそこで何かを造ろうとしたって事でしょうか。
「この後も偕行社や練兵場が置かれているのを鑑みるに、明治中期以降もこの周辺に軍事的な息が掛かっていたのではないだろうか。近くで眼を光らせておく必要がある程度には重要な何かが」
 しかし火防線(大通公園)の上にそういった怪しげな何かしらが建設されたという事実はなく、当時から現代に掛けて常に平和利用されているのが史実で伺えます。仮に何かあっても市民の目から逃れるのが困難であるは明らかです。加えて積雪が何かと厄介です。そういった諸々の疑問を、先生に軽く訊いてみても「ううむ……」と唸るばかりで結論は出ませんでした。

新たな1枚

 それからしばらくは暗中模索で色々な本を捲っていました。大した情報もなく無駄に時間を過ごしていた気がします。火防線上には何があったのか、棟島がどんな影響を及ぼしたのか、分からない事だらけな上に何処を読めばそれらが分かるのかすらも未知。次第に私達の口数も減っていきました。
 史料漁りも好い加減飽きて来た頃、たまたま手に取った陸軍省札幌支部の小冊子をペラペラと眺めていたところ、この様な地図がありました。

西暦1890年(明治23年) 新軌道拡大構想図

 次ページのキャプションには新軌道拡大構想図と書かれており、陸軍省によって何かしらが計画されていたと分かります。少し気になり深佐原先生にこれを見せてみたところ、不思議そうにしていました。
「これは当時の札幌の簡略地図の様だが……。新軌道の建設計画? 聞いた事がない。馬車鉄道の路線にも似ているがあれは1902年以降の話だ」
見た所練兵局・大通・偕行社(営繕局跡地)・札幌駅の4箇所を繋ぐ予定だったらしいのですが、市街を突っ切って設計されているのは実に不自然です。
「実際この様に建物を無視した建設は行われてない。それにこの破線……。覚えてないし調べるとしよう」
先生はそう言うと1階の一般図書コーナーへ降りていきました。
 10分くらいスマホを弄って待っていると嬉しそうに地図帳を抱えた先生が戻って来て、地図記号のページを見せてくれました。
「これで全部繋がった。破線は地下鉄の線路、四角い破線は地下鉄の駅だ」
先生は続けて捲し立てました。
「市民にバレなかったのは地下に建設した為だ。開拓資金が尽きたのは棟島が地下鉄建設として無断使用使したからで、島はそれを知らされずにクビとなった。当時地下鉄はまだロンドンとニューヨークのみにしかない新技術で短距離の建設にも時間と費用が掛かる、だからこそ火防線という空間が必要だったという訳だ」
この文献の時点で拡大構想図という事は既に幾つかの駅と線路は完成しており、その上での増設するって話ですよね。では最初に建設したのは何処なんでしょうか。と先生に訊いてみました。
「おそらく資材などがあっても違和感のない営繕局を拠点にするだろう。となれば最初は営繕局下に駅のようなモノを造った筈だ。その後、大通の下を通る線路を敷設した。札幌駅や練兵場ができるとそれに繋がる様に線路と駅を増やしていったのだろう」
では今回の増設というのは何処なんでしょうか。
「断定はできないがこの斜めの線だろう。札幌駅から練兵場はL字に繋がっているが、これを直接繋げた方が有用であるとの判断の様だ」
そもそも何故、地下鉄なのでしょう。当時のノウハウでは拙いモノしか造れないでしょうし、資金も莫大に掛かります。
「軍事利用を目的としたモノで市民の目に晒さしてはいけない点。どれ程の積雪であろうと軍需の輸送が可能な点。この2点を解決する方法として地下が選ばれた筈だ。それ故に輸送の要所である札幌駅と練兵場は繋がっているし、かつて営繕局だった所は偕行社になっている」
「資金面に関しても問題はない。訓練も兼ねた敷設である為、材料費さえ工面できれば良い。これは1896年に設置される鉄道大隊も、同様のシステムを採用してる事からも、地下鉄の関係者が携わっているモノだと推測できる」
つまりどういうことなのでしょうか。改めて先生に尋ねてみるとこう一言でまとめられました。
かつての札幌には、現代の札幌地下網とはまた別の、札幌地下網が広がっていたかもしれないという事だ。まだ可能性でしかないがな」

この日の飯

 ある程度の論理構想が完了すると先生は史料や文献を片付け始めました。もう終わりますか? と訊くと「今日だけでは調べ足りないだろうから一度切り上げる」と嬉しそうに笑いました。また進展があり次第連絡をくれると仰るので楽しみに待つことにしました。勿論この日も先生の奢りでした。

奢って貰ったジンギスカン

 さて、この深佐原先生シリーズは次で最終回です。お楽しみに。
前回記事はこちら

※記事タイトルは Four Seasons『北へ』よりサンプリング

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