【家賃からの解放】 僕の家賃遍歴②
目が覚めると、そっくりな男の子2人がベッドで跳ねまわっていた
頭がガンガンする…それもそのはず、昨晩、一本50万はするとされる高級ブランデーを…ボトルごと一気呑みさせられた…いやさせていただいたからだろう
そこらの酒屋で買っても数万円はするかとは思いますが、それが「銀座価格」になると、いきなり「50万円」とかに跳ね上がる
要するに「クラブ」ではなく「倶楽部」と呼ばれるお店…あの業界…いやあの世界…
震災後のこの10年…2011年以降はキャバクラも増えて…ここ最近は、さらにコロナ禍で冷え込みに冷え込みきっているであろう「銀座」
でもこのとき…いまから25年以上前…もう四半世紀になるのか…1990年代は、高度経済成長を経て土地バブルこそ終焉したとはいえ、新たに「ITバブル」の訪れもあり、まだまだ「ザ・銀座」は健在だったんですよ
僕は青山学院大学の経済学部に通う生徒でした
この頃の1、2年生のキャンパスは厚木の山奥…隣は七沢温泉♨️という温泉郷でした…にありましてね
そういえば隣には小泉今日子さんが卒業されたという高校がありましたね…
いずれにしても本厚木の駅からバス🚌で30分以上…
クルマでの通学が許されていたので、めんどくさがり屋な僕は真っ先にクルマの購入を…お金を稼ぎたい…
内部進学、高等部から青学だったものですから、おかげさまで大学受験もなく、大学進学も決まった3学期あたりからは、みなすることがなく浮足だつ…
僕も例に漏れず「合宿免許」…運転免許を集中して取得するサービス…を活用、2週間ほど学校を休み会津若松へ…昼のチケットは「喜多方ラーメン」ばかり食べてた記憶が
「車の購入」に「合宿免許」に…なんでそんな金があったのかというと、高校時代に割の良いバイトをしていたんですよ
最高時給¥2750!
残業や深夜手当もつくと¥3000を超えました
渋谷のイタリアンのお店
最初は学校の近くで美味しい「まかない」が食べれたらいいな、程度で始めたバイトだったんですよ
あとは家に帰りたくない…その当時の実家は横浜の「青葉台」という東急は田園都市線の駅から…さらにバスで30分の「若葉台」という新興団地にありました
新興団地とはいっても昔ながらの団地の風情ではなく、建物自体は高層のしつらえも高級マンションなものでしたが
渋谷の学校までの通学…なんだかんだで片道1時間半…これが嫌で嫌で…
原チャリを買うなどいろいろと帰宅する努力もしたんですけどね…この原チャリを買うお金なんかも必要でしたし…
で、バイトを始めたわけです、その渋谷のお洒落なイタリアンで
そうこうしてたら「イタめしブーム」というのがきましてね
シェフたちがすぐにいなくなってしまうようになったんですよ…すぐに独立だとか、もっと良い条件のレストランだとか、そういうね
え?というようなレベルでも、兎にも角にも「イタめしブーム」なので引くて数多だったんです
ある日、出勤すると…誰もシェフが来ない…慌てるオーナー…そこのお店はですね…「オープンキッチン」スタイルだったんですよ
「シェフ」でなくても「シェフっぽいなにか」が立ってないとおかしいわけで
で、白羽の矢が立ったわけなんですよね、僕に
皿洗いから入って…普通ならそれで「おいしいまかない」をいただいて終わりですよ
でもそんな背景がありましたから、気がつけばデザート番…デザートを担当する人のことですね…で、サラダ番…パスタを茹でるだけでなく、実際に仕上げるパスタ番…
他のイタリアンはまったく知りませんが、そんな風に昇格していくシステムでした
肝心カナメのその「まかない」もですね…そのときはほとんど僕が自由につくってたんですよ…他のスタッフさんの分も含めて
そんなこんなで白羽の矢が立ち、いきなりの「シェフ」…「ウィ、シェフ!」それはフランス語ですね…イタリアンだったんですけど「シェフ」でしたね
そういえば…「料理長」だとかも…ほとんどが名前で呼ばれてましたけどね…なにせ…いっても高校生ですし
それでもなんとかなった…いまではもう皆さん舌が肥えてますし、イタリアンもそこまで「ブーム」ではありませんから、そんな「にわか」は許されないのでしょうが
おかげさまで時給も跳ね上がり、何より「環境が人をつくる」とはよく言ったもので、その「環境」がゆえに「腕」もたしかに上がったとおもいます
あのテノールのパバロッティさんが近くでコンサートをしていて、その楽屋まで「ピザ🍕」を届けたことも…気に入っていただけたみたいで
イタリア人…しかも本場イタリアンを食べ尽くしてるであろうパバロッティに…?!
あ…「和風ピザ」…日本らしくアレンジしたピザですよ
あとはですね、オーナーさんがかなり気合い入った方で、それこそ「本場イタリア」から監修のために一流のシェフを招聘されたりしてたんです
僕もおかげさまでその方の(名前を忘れてしまいました…)指導を受けられましたし、基本的なピザ生地や粉へのこだわりなど、レシピはもとよりそのシェフの弛まぬ指導の果て
それがゆえに人材が人財となりやすく、すぐに巣立って行ってしまうという結果を招いていたわけなのですが
一世を風靡した「料理の鉄人」という番組をご存知ですかね?…その番組からも出演のオファーをいただいたり…そういえば結局、有耶無耶になってしまった…なんでだったかな…
まぁ、それはさておき、そんなこんなだったので、妙齢の…とはいえ当時17歳の僕にはもう「二十歳以上」の女性は皆さん「妙齢」だったわけなのですが…にモテました、はい、モテました
とにかく往復3時間の通学がいやで始まったバイト…さらにはこのバイトに部活に…そういや部活の朝練もありましたね…いま思えばホントに元気だったなぁ
そういや卒業アルバムに「授業中、寝てる姿しか印象にありません」と…
その通学問題も、この「モテ期」も相まって…同じバイトの歳上の女性の家に転がり込むことで貝決にイタリアン…もとい…解決にいたり…
渋谷には通学しやすい桜新町駅近くのマンション…なんだかんだでまだ高校生ですし、実家にも帰りやすい同じ新玉川線…要するに田園都市線沿線
僕はこの女性と結婚するんだ。とばかりにまで思っていたんですけどね、ある日突然に「地元に戻って結婚することになったから」と…
このイタリアンは大学進学とともに厚木に通わないといけないこともあり、スッパリと辞めて
とはいえ、このときに培ってしまった金銭感覚は、そう簡単には元に戻らない
時給800円のアルバイトでは「浪費癖」についていけないわけです
青学は本当に恵まれてましてね、SONYの大株主だったこともあるのか「IT化」も充実してました
同時期に発展し栄華を極める慶応大学の「環境情報学部」ほどではないにしろ、機材に恵まれていたのです
さらには当時、珍しかった「マッキントッシュ」…アップルコンピュータもあったんですよ
インターネットをするならば圧倒的にマイクロソフトのWindows、IBMや NECのパソコンでしたが、それはいくら台数があっても人気でした
ところが、その「マック」はそこまで人気なかったというより、誰も触ってなかった…のにかなりの台数が
当然インターネットもできたのですが、差別化があるとすればそれは「画像処理ソフト」
イラストレーター(Illustrator)とかPhotoshopに代表される…そういうアプリケーションたち
いまから25年前…当時は「アイコラ」をつくれるだけで一枚「3万円」とかで売れたんですよ…いまではスマホで子供でもできることが「特殊技能」な時代だった
そんな使われていないパソコンを活用させてもらって…同じく暇な学生たちを束ねて、そんかアイコラ業なんかを…
そんな取引先の会社の…ITバブルってる会社の方から「ご褒美」に「なんでも好きなもの,食べさせてあげるよ」と言われまして
そのとき、一番気になっていたことは「なんで銀座だと千円のお酒が三万円になるのか?」でした
とにかく「お金儲け」がすべて…「お金持ち」が正義みたいな価値観だったんですよね
「銀座の倶楽部に行ってみたい」と
そのITバブルってた社長さんも、当時、まだ20代後半くらい…直接は行ったことがないから、自分も行ってみたい!と、そういう伝手のある「富士通」の重役さんが登場します
その重役の方は「接待」で良く使うのだという
その方に連れられて、人生ではじめての「銀座の夜」を味わえることに
その初夜…僕は調子に乗って「50万円」なブランデーを一気呑みするなど大暴れして…
目が覚めたら…双子の男の子がベッドで飛び跳ねてた…
そこは…その…そのお店のママのマンション…ママの部屋…のベッド…
なんで?と聞くと「体臭。石鹸の匂いだけしかしなかった。強い遺伝子を持つ男性は臭くないのよ」とか
まぁ、いずれにしても、僕はこのママのマンションに転がりこんで、この4歳になる双子を育てたりするわけなんですが…
ママとは言っても当時27歳…ものすごく「大人」に思えたし「列強の強者な男たちを手玉にとる」「そんな大人な女性」を「好きにできる優越感」とかも…
のちにこの双子の父親が、その富士通のおじさまだとわかったり…とかいろんなドラマがありました
一晩で何十万円も使える人たち…下手すると人生の大半の学びをここで得たと云っても過言ではないくらい、本当にいろいろな体験をさせていただきました
あ…「黒服」という銀座の倶楽部の女性やお客様をサポートする仕事があるんですけどね、その「黒服」にもなって「なんで千円のお酒が三万円になるのか」の謎も無事解けました
そうそう、銀座だけではなくて、京都の先斗町とか祇園、大阪の新地とか、博多の中洲とかもそうですけど「個人名」のクラブだとかスナックだとかが乱立…たくさんある(あった)秘密も気になってたんですよ
その謎もね、解けたんですよね…仕組み(システム)としては単純でした
財源は「接待費」
2021年の今となってはもう「夢の財源」であったり「幻の財源」でありましょうが、当時は「接待」って当たり前で、その「ホステス文化」は遠く欧米にまで波及してたんですよ…ニューヨークから「クラブをつくりたい」と研修にきてましたからね
あのTBSの記者さんがレイプしたとかしないとかの事件も「ニューヨークの倶楽部」が出会いの発端だったとか
あくまで仮の話ですよ、仮の…
たとえば富士通の部長や重役クラスの人の愛人になってお店を持たせてもらうとします
そのお店を「接待に使う」わけです…一晩で何十万円とか何百万円とか…
富士通の方も、言ってもサラリーマン、雇われですから給料などは限られている…隣ではサポートしていた若いIT社長が上場していったり…
その羨ましさや嫉妬もあってか…そういう仕組みをつくって、その「接待費」を「くすねる」…だから接待の数だけ「個人名のお店」も乱立していった…
高校生から大学生でのバイトからの「コロガリコム(転がり込む)」という「家賃からの解放」手段が見えてきたところで今日の一旦〆たいと思います
「住み込み」とはまた違い「人生勉強」そしてなによりも…男性冥利に尽きる「女性とのアレコレ」が…それが「コロガリ.com」
高校から大学にかけては本当に元気でしたね…これ以外にも「大好きな祖母の介護」だったり「それなりに本気でテニス」だったり…
起きて介護にいって、テニスして、夜の銀座に…みたいな日々…おいおい学校は?授業はよ?・・・
いまでこそそれこそ「IT化」されて出席とかも個人IDとかで管理されて…「代返」なんて言葉はもはや「化石」かもしれない
このあと大学を卒業して、一部上場企業の社長の娘さんと結婚…そして離婚などなど、これまた違う「家賃からの解放」が待っているわけですが、それはまた別の章で語らせてください
この連載を機に僕が生まれてはじめて書いた本をKindleにアップしてみました…無名にして宣伝なし…にも関わらず4000部以上売れたという…
この銀座でのことや、そこで始めた焼酎ビジネスことなどもさらに詳しく書いてます…Kindle Unlimitedを契約されている方なら無料で読めます☟
それと「家賃遍歴①」はこちらになります☟
さらにこの「家賃からの解放」は連載してイキたいのでマガジンもつくりました☟
それではまた第3章でお逢いしませう
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