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「魔女見習いをさがして」雑感

おジャ魔女どれみという器の上にのった等身大の大人のドラマ

アニメ「おジャ魔女ドレミ」はテレビの前で見てくれる子どもたちに向けて、どういう風に友達と接すればいいか、学校生活を送ればいいか、親や兄妹と付き合えばいいか、どれみたちなりの答えを出していた。それが当時の子供たち(私を含め)の気持ちやリアリティ、現実に沿っていたから多くの共感を呼んだのかもしれない。

以下ネタバレありです。




BGMってこんなにかっこよかったっけ?

この映画は、アニメのおジャ魔女どれみで培われた、演出やBGM、効果音を借り、当時見ていた子供が大人になったときの現実に沿うように作られている。

私は、当時アニメで流れていたBGMが流れただけで感動してしまった。ああこんな曲だったかと。なんとなく当時は見ていたが、今聞くととてもカッコいいスムーズジャズ。90年代から〜00年代に流行ったが、程よくアレンジされていて今聞いても古く無い。

また、わかりやすい記号的表現も、アニメっぽくて良いが、大人のドラマになるように映画的演出が散らばっていたので鑑賞にも耐えうる。その絶妙なバランスも良い。

また「トクサツガガガ」との類似点もいくつかあった。

おもちゃ産業との関わりによって物語が束縛されてしまう側面が昔はあったが、今はその必要が無いのでつくり手は自由に作れたのでは無いだろうか?

アニメと異なる点、気になる点

・3人の親が出ない。出たとしても否定的にでる。
・3人とも一人暮らしである

川谷レイカ
・シングルマザー
・ヒモを抱えている
・父が実の娘に対して知らないふりをする。なのに父の絵を修復するために美大に行こうとする。健気すぎる。

長瀬ソラ
・親に人生決められっぱなし。障害児に対してどう接すればいいか、教員になろうかも迷っている。

吉月ミレ
・帰国子女で日本に帰ってきたのはいいものの、周りからの嫉妬と人間関係に悩む。

川谷レイカの金銭面での解決方法がガールズバーでのバイトは、皮肉な解決方法だが、安直すぎるのでは?と疑問に思った。制作のアルバイトとかもあったのでは?とも思う。が、アニメとの吹っ切れ具合(女児向けに考えなくていい)からするといいのかもしれない。

ゲド戦記と魔女見習いの"wizard"

清水真砂子氏はゲド戦記の翻訳のとき、wizardの訳を魔法使いにするか迷ったそうだ。それは日本では魔法使いのステレオタイプが出来すぎていたため、ゲド戦記の物語を端的に表す訳としては不適切だと思ったらしい。

清水氏は賢者という訳をつけた。元々、wizardの語源がwise賢いことからきているためだ。

魔女見習いを探しての3人はそう考えると十分wizardである。スマホを使ってバスや新幹線の予約はする、あっという間に遠くにいける、映画で描写が多かった酒席でお酒を楽しんだり慰め合ったりするのもある意味でストレス解消のためのwizardである。特に消費をとても肯定的に描いているのは見ていて楽しい。この消費を積極的に描くのもニチアサの産業の歴史ならではである。

そして最後には自分たちの夢を達成するための拠点をつくるシーンは、ドレミたちが辿った道を大人になっても歩もうとする3人に希望を感じた。

これは見ていた観客、特に私に元気をくれたのだ。

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