多重人格、人間の能力は性格によって決まる

私は人生でのショッキングな出来事を幾万と繰り返し、心が壊れた。壊れたと思ったら、また壊すような出来事が繰り返し、問答無用で襲い、更に分裂を始める。その結果自分の中に考え方のパターンと性格が幾重にも増え、その度にできることが増えたが、同時に人生からの虚脱感と永遠とシャトルランを繰り返すような心の苦しみは増えた。

希死念慮を抱いたのは10歳のころだが、つい1年前までそれはごく普通のことだと思っていた。が、どうやら異常だったようだ。

他者に憧れを抱き、それを越えられないとき、人は何に限界を見るのだろうか。スポーツならば、身長か、体重か。恋愛ならば顔、スタイル。勉学ならば知能と集中力。物事の裏側を見れる人間ならば、その才能をバックアップしてくれるその他者の家族か、金か、そこから出てくる経験の差か。
しかし、おおよそ同じようなスペックの人間なのに、自分より成果を創出する人間がいる。何が最後に分けるのか。それは性格なのだ。

性格とは人を個人たらしめる最後の砦だ。性格を変えるということは、本当に本当に、容易なことではない。それをもしかえてしまったのならば、根源的な自己否定と喪失感を永遠に繰り返し、そして絶対に戻ることのできない洞穴に入り込むことになるのだ。その先は地獄しか待っていない。


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