ゴールはきっとまだだけど/写真がフォトフォト撮れねえ/感想の感想
1年適当に日記を書いていたはずなのに、いざ再開しようとすると今までどうやって書いていたかとんと思い出せなくなってしまった。いかに何も考えずに書いていたかが分かる。とりあえず、ここ最近思ったことを適当に書いてみる。
・4/9、BUMP OF CHICKENのライブに行った。
今ツアーでは3回目、全体を通せば23回目のライブ参戦になる(オタク特有の数字への執着)。5月末まではツアー真っ最中ということもありセトリや演出、考えている事に関する具体的な感想は伏せるが、タイトルである"be there"に相応しいものだったように思う。
どの状況でも、どの人との関係でも当てはまるような普遍的で抽象的な詞がウリのバンドがついに存在そのものをツアータイトルにした、という時は期待と不安でかなり身構えたが、蓋を開ければ何も心配することはなく、いつもの彼らであった。ずっと生で聴きたかった曲も聴けて、ライブでは10年前くらいに聞いたきりの曲も聴けて、藤原基央の誕生日も祝えて、個人的には大満足だった。
このツアーがどういう結末を迎えるのか今はまだ何も分からないが、きっと良いものになるだろうと信じている。5/28が楽しみだ。
・↑の一環で仙台旅行をした。といっても時間も体力もなかったので、仙台駅周辺をひたすらウロウロするだけの簡単観光だ。いくつか写真を撮っているので、ここで公開する。
以上。
お気付きの通り、全く写真を撮っていない。美味いものもそれなりに食べたし、映えるところもいくつか見た気がする。
なんとなく、「撮っても別に意味ないな」というニヒルを気取りたいキショい自意識が透けて見えるようで悲しくなる。厨二病か?
とはいえ、なんとなく(というか疲労で)心が沈んでいて観光ではなく休息を得たい気持ちが強かったのも確かだった。だから写真を撮ろうと思えなかったのだろう。そう思った方が建設的だからそう思うことにする。
来週は北海道に行くので頑張って写真を撮ります。期待していてください。
・「感想を言う」ということは非常に重要なことだと思う。それは自身がどう受け取って何を感じこういう反応になったのか、を程度の差こそあれ筋道立てて考えることに繋がり、状況によっては自身の思考パターンや趣味嗜好を把握する上で最上クラスの行為足り得るのではないか、とさえ思うのだ。
ただ、それをするべきだ!とか、した方がいいんじゃないの?と誰かに勧めることは、俺にはできない(当然そうしている・仄めかしている人に対して文句があるわけではない。それはそれで魅力的な行いであると思う)。何かを聞いて見て感じたことを「言いてえ…伝えてえ…」と思う人もいれば「僕の中では完結したからいいや」と内々に押し留める人もいる。そこを他人が無理やりどうこうしようとする無粋な行為はもちろん、伝えることを喚起するような呼びかけすらも野暮だなあと思う。感想、というより何かを見たとき生じる感情はある種事故のようなものだから、他人がどうこうしていい話ではないと思うからだ。
俺だって人の感想を読みたい気持ちはある。誰かの視点は俺のそれとは全く異なるし、彼らの歩んできた人生をその感想から推察したい。ただそれは、揺れる稲穂が擦れる音のように、自身の預かり知らないところで動く力によって生まれてほしい。生まれなかったらそれでもいい。そういうもんじゃないのかな。
発信が容易な現代だから、なんとなく発信することがマジョリティであり正義のように思えてしまう(これは俺だけかもしれない)けれど、善も悪も良も不可もないんだから、こと感想に関しては自分の適した形を取ることが一番だと思います。
なんだか最近の色々を見て辛抱たまらなくなり書いてみたはいいものの、何が言いたいのかよく分からない仕上がりになってしまったのでまた改めて書き直したい。感想に貴賎はなく、それを煽るも希望するも尊い行為ではあるが、俺は自然発生を待ちたいという話でした。
意外と書けた。段落などの文章ルールはめちゃくちゃになってしまったから改めて学び直して今後に活かしたい、活かせるのか?
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