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貧乏旅行記#1〜ラトビア編〜


リトアニアに留学に来て初めてのヨーロッパ旅行は、リトアニアと同じバルト三国の一つであるラトビアであった。
はじめに言っておくと、大学生のうちにヨーロッパを二十カ国以上周り、旅行記まで書きはじめた(書き始めたばかりだが…)となると、よほど行動力のある学生に聞こえるかもしれないが、私は超がつくほどフットワークが重い(そのくせプライドが無駄に高いので、別に旅行目的でリトアニアに来たのではないし!と旅行に行かない言い訳を考えては旅行の計画を先送りしていた。)今回ラトビアに行こうと決めたのも、たまたま仲良くなった日本人留学生のあおいさんと、そのルームメイトのカザフスタン人のダイアナに誘われたからである。

あおいさんは私と同じリトアニアのヴィリニュス大学に留学している三つ上の女性である。彼女は歳こそ三つ上だが、都内の大学の放射線科に通う四回生である。というのも、彼女は高校時代にイタリアに留学、そして日本の大学で卒業に必要な単位を全て取り終え、ギャップイヤーでこのヴィリニュス大学に実費で(鬼のようにアルバイトをしたらしい)留学しに来たという、私とは比べ物にならないほど行動力のある人である。今では彼女とは友達であるが、彼女が三つも年上だと知った時は(てっきり同い年くらいと思っていた)、このままタメ語で話しても良いものかとドギマギした。結局さん付けで呼ぶことで心ばかりの年上を敬っている感を演出している。

ダイアナはあおいさんとアパートの一室をシェアする十七歳のカザフスタン人である。彼女もまたヴィリニュス大学の留学生なのだが、彼女は運悪く寮に部屋を借りることができず(大学の学生寮は月七十ユーロと破格であった)、一人でアパートを借りるとなると六百ユーロはするため、どうしたものかと困っていたところ、たまたまオリエンテーションで同じく住むとこなしだったあおいさんと出会い、そのまま一緒に住むことになったのである。私もダイアナとはオリエンテーションで出会っていて、とても話しやすい人だなと思っていた。(のちにダイアナがカザフスタンへ帰る前にもらった手紙に、はじめ私が彼女とあまり話したくないのではないかと思ったと書かれていて、少し申し訳なくなった。)どこに住んでいるのか聞かれた際に、まあ知らないとは思うけどと前置きした上で「Saitama」と言うと、知ってる! マンガのキャラだよね!と言われ、ワンパンマンってすごいなと思った。
そんなこんなで初めてリトアニア以外のヨーロッパの国に旅行に行くことになった。私がラトビア行きたいなーと言っていたところ、実は明日行くんだけど行かないかとあおいさんに言われ、前日に決定したのである(amazing!)。明日急遽ラトビアに行ってくるとルームメイトに伝えると、「You are crazy!!!」と言われた。こうして急遽リガ旅行が決まったわけだが、前日に違う国に行くことを決めるなんてことは島国である日本にいてはあまりないことなので、わくわくした。

朝7:30のバスに乗る。12ユーロ、片道約四時間半の旅。二千円以下で違う国に行くことができてしまうのだから、やはり大陸はすごいと思う。陸路で違う国へ行くというのが初めてだったから、ウキウキしてずっとGoogleマップで自分の着た道をGPSで確認する。国境に差し掛かると、いよいよ陸続きで違う国へ…とドキドキする。しかしいざ国境を超えてみると、それはなんともあっけなかった。国境を越える自分の位置情報をわざわざGPSで確認しているのなんか、周りを見渡しても私だけだった(さすが島国出身)。リトアニアとラトビアの国境付近は畑しかなく、こんな大型バスが通っても大丈夫なのかと心配になるほどの道幅しかない畑道をずっと進んで行った。

リガのバス停は大きな市場のすぐ横にあった。ラトビアはヨーロッパの中でもあまり大きい国とは言えないが、リガの市場はヨーロッパ最大であるらしい。近くには大きなショッピングモールもあり、建物も大きかった。
着くとすぐホテルにチェックインした。ホテルはバスターミナルから歩いて15分ほどのところにある無機質なビルの中に入っていて、受付の人も誰もいなかった。ホテルはダイアナが予約してくれていて、ネット予約すると、外から入る時のドアのコードと、部屋の鍵が入っている箱を開けるコードをメールで教えてくれる仕組みらしい。部屋には二段ベットが一つとシングルベットが一つ、机といった簡素な作りだったが、2日ほど泊まるには十分だった。

さっそくホテルに荷物を置いて、街をふらふらすることにした。googleマップで周辺の観光スポットを探していると、ホテルの近くに教会があったので行ってみることにした。その教会は白を基調としていて、てっぺんがドーム状になっていた。(のちにこのドーム型の教会は正教会の特徴だということを知った。)中に入ってみると、私が思い描いていた教会とは少し雰囲気が違っていた。まず壁に描かれているキリストやその他宗教画がなんというか、カトリックの壁画と比べると陰影などがあまり描かれておらず2Dという感じで、使われている色も原色に近い色でカラフルだった。中には私たちと同じで観光で来ている人、クリスチャンでお祈りに来ている人など様々だった。たとえその人がお祈りをしていなくても、その人の雰囲気で観光客なのかクリスチャンなのかがなんとなくわかった。

教会を出ると、お腹が空いたのでレストランに入ろうということになった。そこは「LIDO」という名前のビュッフェ形式のレストランで、好きなものを取ることができた。メイン(魚か肉)、サイドメニュー、サラダ、飲み物を含め8ユーロほど。私はバックウィード(茹でた蕎麦の実)とチキンのグリル、にんじんのサラダ、春巻きのような形をしたクレープを頼んだ。レストランでは仕事のお昼休憩と思われる人や、中学生くらいの子供たちなどいろんな人がおのおの食事を楽しんでいた。料理もとても美味しかった。

お昼を食べ終えた後、「自由の記念碑」というものを見に行った。自由の記念碑は、1918〜1920年のラトビア独立戦争で亡くなった兵士たちに捧げられたもので、その塔の前には、まるで護衛みたいな感じで、兵隊のような格好をした男性が二人微動だにせず立っていた。その日は快晴だったので、塔のてっぺんの、三つの金色の星を持った女神像が青い空によく映えていた。塔の下には、人の彫刻が施されていた。塔の前は広場になっていて、ベンチでまったりしたり、写真を撮っている人がいたりと、各々がお昼のひと時を楽しんでいた。

しばらく歩いていると、無料の博物館があったので、ちょうど他にやることもなかったので行ってみることにした。そこは軍事博物館で、昔利用されていた火薬庫と隣接しており、主に第一次世界大戦から第二次世界大戦までのラトビアの歴史が展示されている。ラトビアはこの期間に受けたソ連の影響が強く、(これはラトビア以外の旧ソ連諸国にも言えることだが)国民の多くがロシア語をはなすことができたり、建物の形状がソ連式だったりといった形で今日にもその影響が見える形で残っている。博物館には戦時中の、例えば実際に使われていた兵服、銃、戦時中の人々を収めた写真などが展示されていて、兵として国民が徴兵されたり、ソ連の同化政策の元で弾圧を受けたりといった悲惨な歴史を物語っていた。建物は元火薬庫ということもあって煉瓦造りの四階建てで、各フロアに展示があったので見て回るだけでかなり疲れるというのと、まあ展示自体は明るい内容のものではなかったのとで、出る頃には三人とも少しどんよりとして疲れていた。

その後はフラフラとお土産屋を巡ったりした。ラトビアの建物は、白や薄いピンク、薄い黄色といった、メルヘンな色や作りをしたものが多かったのだが、その中でも特にメルヘンな見た目をした教会があり、その下がお土産屋さんになっていた。お土産屋にはマグネットやポストカード、雑貨などがたくさん並んでいたが、特に編み物が目を引いた。デザインがどれも素敵で、帽子やミトン、セーターなど魅力的なものがたくさんあった。散々迷った末、あおいさんはてっぺんにボンボンの着いた赤いニットの帽子を買っていた。

 ラトビア(のちにこれはバルト三国に共通すると知った)には、これといって「これはラトビアの料理」というものがあまりない。昼にビュッフェにも行ってしまったので、もうラトビアの料理じゃなくてもいいということになり、インドとか多分そこら辺の人がやっているカレー屋さんに行った。英語のメニューがあったけれど、読んでもよくわからないので、とりあえずちょっと変わった名前の料理を頼んだ。しばらくすると、カレーと、味付きのナンのようなものが運ばれてきた。それが本当に辛くてびっくりした!味はとても美味しいのだが、スパイスが効いていて、鼻水が止まらなかった。ダイアナは辛いものが得意ではないので、とても辛そうな顔をしていた。

 次の日、川の上をかかる橋の上を電車が通っているということで電車に乗った。日本の、たとえば都内の電車は、大抵座席が通路を向いているけれど、リガの電車は普通車でも座席が新幹線みたいになっていた。しばらく行くと、お目当てだった橋に差し掛かった。大きな川が目の前に現れて、電車がその上を進んで行った。それで私たちは電車に満足したのだけれど、何を間違えたか、私たちはよくわからない駅まで電車に乗ってしまい、なんだかよくわからない駅で降りてしまった。少し民家がある以外は、本当に何もなかった。それで、仕方がないので散策がてら歩いてリガの中心街へ向かった。かなり電車を乗り過ごしてしまっていたらしく、中心街まではかなりの距離があった。おまけに雨まで降り出してきて、あたりは一気に冷え込んだ。そのままトボトボと歩いていると、急に雨が止み、特大の虹がかかってドラマみたいだった。それまでどんよりしていた気持ちが一瞬で光を取り戻し、私はとっても単純な人間だなー、と思った。
なんとか中心街へ辿り着き(結局途中で路面電車を使ったのだが、路肩に設置されている専用の券売機を使ってチケットを買わなくてはならず、かなり手こずった)、お腹が空いたのでまた1日目に行ったビュッフェのレストランに行った。今回はトマトベースにサラミの入ったスープ、ピラフ、鶏肉のクリームにを頼んだ。今回も全ての料理が美味しく、歩きつかれ冷え切った体に染みわたった。

 3日目、帰りのバスが11時ごろだったので、朝はバス停の近くの大きな市場に行くことにした。市場はとても大きく、観光客だけでなく地元の人でも賑わっていた。ハムやナッツの量り売りの店、パン屋、ケーキ屋、乳製品の店などが並び、活気にあふれていて見ているだけでも楽しい。市場の商品はどれもお手頃で、少しのお金でお腹いっぱいになることができた。
特に私をときめかせたのは、50セントの揚げドーナツだった。揚げたドーナツに粉砂糖をまぶしたもの、揚げドーナツの中にジャムやカスタードが入っているもの…ドーナツ自体はとてもシンプルなのだが、生地がもちもちしていて病みつきなるだった。それぞれがお店でドーナツを揚げていたおばあさんを日本にご招待し、是非とも日本で出店してほしいと、本気で思った。

市場で腹ごしらえを終え、バスに乗り込む。行きと同じ道を四時間半。日本にいる時、海外の交通機関は遅れるのが当たり前だ、と聞いていたけど、時間通りというか、なんなら時間ぴったりに出発するのだな、と思った。ラトビアの国境を越えリトアニアに入る時は、行きの時ほどウキウキしなかった。夕方にはヴィリニュスに着き、二人と別れた。初めてのヨーロッパ旅行は、まったりと、ゆったりとした週末の小旅行といった感じでとてもよかった。


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