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工業高校で3年間クラスの女子は私1人だった話【3】-3年間で学んだこと-

この記事は第三弾です!!

まだ前の二つを読んでいない方はよかったら読んでみてください!→

第二弾→

そんな訳で、クラスに39人の男子と女子は私ひとり、なんなら機械科119人の男子に女子は私ひとりの圧倒的マイノリティ側から人間観察をして気づいたこと、学んだことを最後に書き記しておこうと思う。4つ。


1つ目、ひとりでも全然生きてゆける、、、だけど誰かと一緒に何かできるってやっぱり楽しい。

高校三年間を通してひとりでできることがとても増えた。

ひとり映画、焼肉、サイクリング、ヒッチハイクで日本旅行、サッカー観戦、ひとりで富士山だって登るし、初めての飛行機も海外旅行だって高校時代にひとりで行った。まずはひとりでなんでも楽しめるし、自分が本当にやりたいことをやるようになったし、素直に自分自身に向き合うようになった。

だからこそ、今、誰かと一緒に何かする瞬間がとても楽しい。

自分自身と向き合い、自分の意見ややりたいことをまずは明確にする。だからこそ相手のやりたいことや相手の意見も大切にしたいと思えるし、尊重し合えるのだと思う。ただその場の流れを読んでなんとなく同じことをするよりも何倍も充実した時間を過ごせるのだと思うし、関係性として健全だと感じる。



2つ目、みんなそれぞれの立場でそれぞれに一生懸命生きてるってこと。

第二弾の記事で書いたように、私は高校生まで友人に恵まれた人だった。誰かを差別することはなく、みんなと仲良くなりたいと思っていたし、みんなに関心があった。だけど正直、教室の隅っこにいて、自分ワールドにいる人が何を考えてるのか分からなかったし、知ろうともしなかった。それに大多数の笑いをとるために、そういう人たちを「利用した」ことだってないとは言えない。あなたの周りにもきっといるだろう。全体の雰囲気を保つために、笑いをとるために、ある個人を貶めるのに抵抗のない、ずっと勝ち組で生きてきました、ドヤあ、みたいな人が。私はそんな最低な人間だった。

高校生になって逆の立場を経験した。クラス全体の笑いのために自分が馬鹿にされ貶されている時、私は辛かった。周りのみんなは笑っているから笑わないとと思ったけど、きっとあの時の笑顔は引きつっていただろう。今すぐ消えて無くなりたかった。

その時、気づいたんだ。中学生の時私が場を盛り上げるために「利用した」あの人たちは同じ顔をしていた。きっと同じ気持ちだったんだろうと。最低だけど、あの人たちに感情があったのを、こんなに苦しかったのかと、その時になって気づいたのだ。私は今まで人の気持ちを覗こうともしなかった。私以外の人間の感情に無関心で、ただそこに存在するモノのようにどこか思っていたのかもしれない。

クラスのみんなも、街ですれ違う人も、私に怒鳴ってくる変な人も、コンビニのレジの店員さんも、みんな人間だ。私と同じく感情のある人間だ。みんな好きなこともやってることも違うし、生きてきた環境も違うし、世界を見渡せば本当にいろんな人がいる。だけど、一人ひとりがみんなが、それぞれの環境で、それぞれの立場で、一生懸命生きているんだなと思った。みんなに、望む未来ががあって、取り戻したいと願う過去があって、大切にしたい人がいる。みんな一生懸命生きている人間だ。

100%相手の気持ちがわかるなんて絶対にないけど、考えたい。目の前の人の喜び、嬉さ、悲しみ、虚しさ、たくさんの感情を共有できたら幸せだと思う。



3つ目、仲間といると人って強くなれるってこと。悪い方向にも、いい方向にも集団の「当たり前」に左右される

私は高校生の時、ほとんどのクラスメイトがグループでいる時は怖い人間だけど、ひとりでいる時は普通の人で優しくて会話がちゃんとできることを知っていた。それは多分クラスの雰囲気として、私は変なやつ、貶されて馬鹿にされて当然のやつみたいなものがあったのだろう。私と仲良くしたら、自分が今いるグループからハブかれるのではないかと怖かったのかもしれない。わかる。いじめられっ子と仲良くしたらハブかれて次にいじめられるみたいな、漫画とかでよくあるやつ。当事者からしたら意味不明だし、顕著な人ほど、ああ弱い人間なんだって思っていた。中にはグループでいる時と、ひとりでいる時で態度が変わらく普通に会話してくれる人もいた。かっこよかったな。

グループでいる時のあの人たちは強くなった気になっているんだろう。怖い人間になっていた。その「気」が本当に人を強くしていることだって大いにある。人はグループでいると相手の感情に鈍くなるんだと思う。相手を傷つけても、傷つけた責任が分散されるような気がするから。


それにもう一つ、コミュニティの力を知った現象がある。

私は、家族で里親をしていたり、世界中で福島の話をしたり、サンフランシスコでレズビアンカップルの家庭にホームステイしていて性の多様性に興味を持ち、男子の制服で登校して二つしかない制服っておかしいよねって活動とか他にもいろんな活動をしていたのをきっかけに「G1カレッジ」という意識高い系の25歳以下が集まるイベントに当時17歳最年少で、高い倍率の中、参加していた。そこには、起業していたり、大きい学生団体のリーダーだっかり、普段からニュースで取り上げられているような学生や社会人がたくさんいて、大学も東大、京大、早慶上智、他旧帝大、もう聞いたことありまくりの大学から、しかもなんかすごい肩書き付きでやってくる。最年少だったからかいろんな人に可愛がっていただき、イベントのあともよく関連のイベントや、ご飯を食べに行ったり交流を続けていたけど、田舎の工業高校生は確実に迷い込んだと言っていいと思う笑

そこでは、これからの世界の、日本の未来の話をしていたし、みんな夢を持っていて実績もあって、ブイブイって感じでエネルギーに溢れた若者だった。当たり前だけど、普段高校で話してる会話とは全く違う。

コミュニティによって、会話の内容も話し方だって変えないといけなかった。心に刺さる会話がコミュニティによって違いすぎた。その、全く異なる二つのコミュニティを行き来できたのは私にとっていい経験だったと思う。自分の今いる世界での当たり前は、一歩外に出ると全然当たり前ではなくなる、むしろ変人と罵られることさえあると知った。G1イベントの一部でスーパー高校生ともてはやされていながら、地元の高校で人権のない生活を送っていること誰が予想しただろう。

この全く異なるコミュニティにいて感じたこと、学んだことは他にもたくさんあるから、また書いてみたい。



4つ目、一度死んだと思えばなんだってできる。

これは単純だ。私は高2の秋に自殺未遂をしたことがある。橋から飛んだ。比較的大きくて激しい川だったけど深くて死ねなかった。もっと確実な方法を選べばよかったのかもしれないが、確実な方法を選ばな買ったのは心のどこかで生きたいと思っていたのかもしれない。

川から出てきて家に帰ってる時、生きてるけど、私の心は死んだと思った。「私は死んだんだ」そう思ったら、なんでもできる気がした。恥ずかしかったもの、プライドが邪魔をしてたもの、なんでもできるようになったし、怖いものはなくなった。私はもう死んでいる、とか、明日死ぬかも、そう思って今も生きている。だからこそ明日死んでも後悔はないし、どんな挑戦もできるし、毎日毎日を楽しんで生きて行ける。未来に過去に過度に執着する必要もなく、毎日全力で生きてゆけるのだ。

友達が2人自殺したことも、大きく関係している。目の前にいる人が明日死ぬかもしれないと思って生きている。そしたら自然と人に優しくなれるし、明日死んでも後悔しないように関わりたいって思ってる。実際、人って案外あっさりとこの世からいなくなってしまうものだ。

こうやって生きることに慣れてきたけど、毎日力が入りすぎて疲れちゃうのかもしれない。だけど私は多分ずっとこうやって生きていく。



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