産まれる

陣痛・出血・破水というお産の兆候は全く無く、出産予定日を一週間過ぎた日に予定入院をして分娩誘発をすることとなった。

入院当日の早朝、車で産院まで送ってくれた夫と握手をして別れた。コロナ対策のため面会・立ち会いは謝絶。ベット一つがやっと入れるくらいの陣痛室に横になり、錠剤と点滴を経てやっと陣痛が来た。周期的に痛みの波がやってくる。子宮口が開くのを待っているあいだ触診をしに来てくれた助産師さんによると、まだ遠いらしく、私の子はなかなか出てこない模様だった。しばらくしてNSTの数値を見た助産師さんから、陣痛が起こっている時に赤ちゃんの心拍が落ちており、手術になる可能性が高いので先生に指示を仰ぐと告げられた。自分の陣痛の強さと赤ちゃんの心拍を示す測定装置から記録用紙が送り出されていくのを横目で見ながら、大変なことになったなと思い、でもどこかでこうなることが分かっていたような、不思議と静かな気持ちだった。周囲が慌ただしくなり先生がやってきて、これから陣痛が強くなっていくと赤ちゃんが危険な状態になる可能性があるので、帝王切開で少しでも早く取り出してあげた方がよいと説明を受けた。迷いは無かった。

手術をするにあたり同意書が必要になるので、旦那さんすぐ来てもらえますかと言われ仕事中の夫に電話をかけた。即座に出てくれ、状況を説明して来てもらうことになった。分娩室に移動し、夫の到着を待った。幸い夫の職場は近かったため、程なくして「旦那さん着いたみたいですね。」と助産師さんが教えてくれた。PCR検査を受けた後、分娩室のドアを挟んだ向こうで先生からの説明を聞いてもらった。私も夫も手術をすることが最善という判断で一致した。手術がはじまると30分程で赤ちゃんは取り出されると聞き、想像していたより早くに会えることと、陣痛の痛みから解放されることは少し嬉しかった。

そこからはもの凄い速さで全てが進行していった。いかに緊急を要していたか、当事者である自分だけが理解できていなかった。産院は恐らくその時点で動ける人手を総動員してくれていた。手術室に移動すると言われるがまま裸になり、お腹に近い方の陰毛の一部をバリカンで剃られ、手術着に着替えて手術台に横になった。今からどういう目的で何をするということを先生や助産師さんが要所要所で説明してくれたので、手術自体に不安は少なかった。

術部が緑色のシートに覆われて状況が見えない中、「ここに居ますからね。」と助産師さんの一人が私の頭上の方について経過を解説してくれていた。部分麻酔で胸から下は感覚が無く、何かをされているという感触だけがあった。こんな風にお腹を開いても人間は生きていられるのかと感慨に耽っていると、ハイもう出てきますよーと言われた直後、力強い産声が聞こえた。視界がじわっと滲んだ。無事に産まれてきてくれた。
手術後しばらく、身体が勝手に震えるのを押さえられず、出血により体温が下がっているせいだと助産師さんが教えてくれた。体温を測ると35度前半だった。もう自分はどうなってもいいと思ったけど、母親がいなければこの子にも夫にもきっと苦労をかけてしまうだろうとすぐに撤回した。できるだけ長く生きたいと思った。

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