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○歳で恋愛経験ないってまずいですか?について自分の現状と視点を綴ってみた

○歳で恋愛経験ないってまずいですか?

オンラインオフライン問わず、世の中のあちこちで聞くことのあるこの質問。
実は私も、30歳を目前にしてまだ恋人ができたことがありません。

※今のところ、あんまり色々隠しながら生きても仕方ねえわという人生スタンスなので、墓場まで持って行く案件以外はどんどん開けっ広げにしておもしろがっていけたらという考えの下、赤裸々告白しております。
ぬるく温かく見守ってください。


きっとどの年代でも悩んでいる人がいる

この話って、たぶん各年代に同じ悩みを抱えた人がいると思うんですよ。
中学生・高校生のときに周りの友達に恋人ができた、あるいは大学に進学したとき、あるいは働き始めたとき、30歳を目前にしたとき、30代後半になったとき、あるいは40代、50代、、

ただ、近年増加傾向にあるということは間違いない気がします。
あくまで肌感からの予測ではありますが。

以前、政治アイドルの町田さんだったと思うんですが、
「お見合い結婚から恋愛結婚に主流が移っていったことによって、ますます結婚の価値が爆上がりしていてそこをゼクシィはうまく攻めている」
的なことをツイートしてたんですよね。
ゼクシィはあまり読んだことがないのですが、結婚の価値の部分には私もけっこう共感した覚えがあります。

お見合い結婚とか社会の結婚しろ圧力ってのはたしかに一種の抑圧ではあるんですが、逆の見方をすれば自力で結婚や恋愛に挑むのが億劫な人でも、周りがお膳立てしてくれるというメリットがあったと思うんです。
それが自由恋愛とそこから発展しての結婚が主流になる、いわゆる ‘自由化’ によって、自力で這い上がるのが難しい人たちはどんどん落ちていっちゃう構図になりました。
自由はたしかにいいんだけども、その分格差が広がったわけですね。

私は恋愛や結婚の至上主義者ではないので(どちらかというとアンチ至上主義)、もちろん恋愛や結婚に興味がなかったりそこまで関わる意思がないならそれでいいと思うんですが、興味や意思はあるけれど取り残されている人ってけっこういると思っています。

そして、どの年代であっても上の世代からすれば若いし「まだ大丈夫・今からでも遅くない・恥ずかしいことではない」という声を掛けてもらえることが多いかもしれません。


「ストリート」と向き合う

皆が言うように恋愛経験がない=恥ずかしいこと、ではないし、何歳からでも始めればいいでしょう。
ですが、バッサリと言い切ってしまえば、それは理想論です。

スーさん(コラムニストのジェーン・スーさん)のラジオやポッドキャストを聴いていると、よく登場する「ストリート」という言葉があります。

私はこの考え方が好きでいつも共感しているのですが、
ハラスメントやフェミニズムなどを含む様々な人間関係・コミュニケーションの悩みに対して、理想論はもちろん大切だしわかるけど、現実問題として私たちは今日明日という目の前を乗りきっていく必要があるわけで、理想論はそこへの直接的な処方箋にはならない、だからもっとストリートの知恵も語っていこうよ、
というような文脈で使われています。

つまりストリートとは、日々乗り越えていかなければならない目の前のリアルな日常生活のことを指しています。
この概念はとても大事だと思います。

理想論はもちろん必要です。そこまでの道のりが険しくても、それがどんなに非現実的でも、理想を語らなくなったら/目指さなくなったら終わりだと思います。
一方で、理想論一辺倒でもいけません。理想論だけで人は生きていけません。日々何かしらの折り合いをつけながら生きているのですから。
だから理想論とストリートは両方必要なんですよね。どちらが欠けてもいけないと私は考えます。


理想論と現実問題

話を戻すと、恋愛経験がない=恥ずかしいことではないとはいえ、やはりストリートの話でいえばそこはある程度ジャッジされます。
人により重要度の大小はあれど、相手を選ぶ際の判断材料になります、間違いなく。

多様性の時代だといっても、世の中は以前恋愛至上主義であり恋愛中心主義であることは否定できません。
そして、その社会の中で生きている以上、社会における「スタンダード」に対して、何かしらの折り合いをつけて生きていかざるを得ないのは必然です。
その認識は持っていないといけません。

そういえば私もありました。
以前、コールセンターで働いていたときの休憩所で

2カ月前まで彼女いたっていうのも嫌だけど、5年以上いないとか今まで付き合ったことないとかもきついよね~。結局、2年くらいいない人がちょうどいい。

と同期の研修生が話しているのを聞いて、心臓に冷水を掛けられたみたいに感じ、一人で勝手に落ち込んだことがあります。



恋愛経験がゼロなことで生じる様々な不安

ここからは、私が感じている具体的な不安について書いてみようと思います。


1.こんな自分を受け入れてくれる人がいるのだろうか?

まずこれですよね。やっぱり。
恋愛経験がない ⇒ ちょっと変わった人・何か致命的な問題点や欠落がある人、みたいな見方はどうしてもされる傾向にあるので、そこをどう乗り越えていくかという話です。
あとは、若いうちならまだしも、今さら恋愛初心者の相手をするのは面倒くさいという感覚を抱かれるのもあるかもしれません。

女性のうぶさはかわいらしいとしてまだ受け入れられる余地があるかもしれませんが(この考え方も古い?)、男性は引っ張っていく/リードできることをまだまだ求められることが多い中、そこは歯を食い縛って闘い方を練るしかないです。


2.今さら赤の他人に対して時間や労力や気持ちを割いて大切にできるのだろうか?

恋愛というのは、好きな相手とはいえ他人のために色んな手間を掛ける行為です。
感じの悪いビジネスマン風に言えば、他人のために自分の貴重なリソースを割く行為です。

もちろん相手のことが好きなら自然に時間を掛けたいと思いますし、それを手間だとは思わないです。
でも、そんなラブラブな時期ばかりじゃないし、苦しいことや退屈なこともあるのが恋愛です。
恋愛経験がないということは、そういう訓練をほとんど積んでいないということなので、これまで1人で自分のために好きに時間を遣ってきた自分が、今さら赤の他人に時間や労力や気持ちを割いて大切にできるのだろうか?という不安はどうしても出てきます。


3.無邪気に踏み出すのが難しくなっていく

歳を重ねるということは一般的に、恋愛対象となる相手の年齢ゾーンも上がっていくことを意味します。
中学生・高校生・大学生くらいならまだしも、働き始めて結婚とかも意識するであろう年代の人たちが相手になると、色んな配慮を身につけてきてしまった手前、なかなか無防備に踏み出せなくなります。
純粋に好きという気持ちだけで踏み出しにくくなります。

「まずは恋愛」という段階にいる自分が、人並みに恋愛経験を積んできてかつこの先の結婚等を見据え始めているであろう人たちの時間を、むやみに奪ってしまっては申し訳ないのではないかという気持ちすらあります。

他にも、例えば自分の場合、大学時代くらいまでであればまだしも、今から遠距離恋愛はきついな~という感覚があったりします。普通に会える恋愛がしたいと。
好きだけど遠距離はきついな、あれ?じゃあこれどうすればいいんだ? と1人で混乱した結果、結局立ち消えになった(してしまった)経験も過去にあります。。


4.好きという気持ちやドキドキ感がわからなくなってくる

例えば、数年おきにでも恋人がいる状態を経験していれば、それなりに実感を伴いながら自分の気持ちの変化を分析できるかもしれません。

別に恋愛経験がどうであろうと、年齢や環境やライフステージとともに「好き」という気持ちが変容するのは当たり前だと思うのですが、
恋愛経験が少なくていかんせん訓練があまり積めていないので、その変容に対して裏付けというか説明がつけづらいというのはあるかなと。


5.恋愛経験が少なすぎて思考停止しやすい

私も自身の経験を振り返って、なんか思考停止してたな~という心当たりはいくつもあります。

恋人がいたことのない私が言うのもなんですが、恋愛って細かいテクニックとか見た目とかも大事だけど、タイミングとか段取りもかなり重要だと思うんです。
よくある何度目のデートで告白するのか? や、どれくらいのペースで会ってどういう感じで関係性を発展させていくのか、次にどういうアクションをとればいいのか、などなど。

気長に付き合ってくれる人ならいいんですけど、やっぱり段取りとかタイミングが合わないと見切りをつけられることは多いでしょう。
それはそういうもんだと思います。
プロポーズだって、相手の気持ちの把握とかタイミングをミスると、本来実ったであろう間柄でもおじゃんになると聞いたり聞かなかったり・・します。


6.恋愛相談のカルチャーがない

で、思考停止したときに誰かに相談できればいいんですけど、恋愛経験がない人って恋愛相談をするカルチャーがない人がほとんどだと思うんです。

「世の中のことはほとんどカルチャーと訓練でなんとかなる」という内容の記事を今書こうとしていて下書きに眠らせたままなのですが、恋愛相談をしたり恋愛の情報交換をしたりっていうのは、カルチャーなんです。
同じコミュニティーの中にいても、そういう話が弾むグループもあれば恋愛系の話はほぼしないグループもあります。
成長過程でそういうカルチャーに触れてきた人たちは自然と実践し、いわゆる恋愛PDCAのようなものを回していけるのかもしれません。

私は、他人に自分の恋愛情報を話したり情報交換したりする行為については、いまいちピンとこないタイプの人間です。
飲み会で聞かれたら答える程度で、自分からはあまり話しません。
そういう自分のようなタイプの人は、恋愛で困ったり思考停止したときに「相談する」というカードを切れず、結果壁を乗り越えられなくなって頓挫してしまうことが多いのではないでしょうか。


おまけ:カルチャーショックを受けた話

私が今でも鮮明に覚えている体験があります。

私は1人暮らしで家に呼ぶ人もいない生活なので、(元々家にお金を掛けるタイプではないのもありますが)安いワンルームアパートでずっと暮らしています。
あるとき、後輩と話していて住んでいる家の話になったんですが、何気なくうちはユニットバスだよという話をしたときに

え?ユニットバスだと彼女と一緒に入るときどうするんすか?

と聞かれたんです。

これがもう、私にとっては大!カルチャーショックで・・・笑
そもそも住む家を選ぶときにそんなところまで考えるという発想がなかったし、でもたしかにそうだよな狭すぎるよなというのもわかるし、でもこれまでそんなことを本当に考え付きもしなかった。発想すらなかったんです。

とにかく一歩二歩どころじゃない、ずーっと先にいるんだこいつらは。。
カルチャーが違い過ぎる。まじか。そうなのか、そういうもんなのか。。

と心の中でめちゃくちゃ落ち込んだ記憶があります。

だから、同じ日本に暮らして同じように進学して働いているつもりでも、当たり前ですが、それだけ価値観とかカルチャーが違うということが普通にあるわけなんです。


一発逆転はない、地道にトライし続けること

なんだかんだ書きましたが、結局今のところ私の結論はこれです。
こつこつトライ&エラーを繰り返していくしかない。

自分の得意フィールドを見つける、自分のどこに需要がありそうか見極める、自分はどんな人がタイプなのか/相性がいいのかを分析する、アドバイザーをつける、自分磨きをする、、
まだ人生30年も生きていないので偉そうには言えませんが、何歳であっても結局トライを重ねるしかないのかなと。

あと注意が必要なのは、自分の弱みがピックアップされやすいフィールドに身を置かないてことですかね。
これもスーさんが言っていて共感した話なのですが、恋愛においてよく活用されるマッチングアプリというのは、容姿や年齢・経済力・居住地・職業など、様々な条件で検索ができ便利で楽しいです。

一方で自分が条件をつけて検索できるということは、相手も当然ながら同じように検索しています。
自分が相手にそうしているように、自分自身も年収や容姿や色々な条件でいとも簡単に判断され足切りされる世界です。
だから、安易に「アプリなら良い相手が見つかりやすいんじゃないか?」と考えるのは甘いです。
※ただ、見極めるためにも一度使ってみることは大事。

どのフィールドならより勝負できそうか、自分の弱みがカバーできそうか、そういったことを考えながら戦略を練っていく必要はあるでしょうね。


トライする際の注意点

『理想論と現実問題』の章でも書きましたが、理想論は理想論として持っておいてよいとしても、やはりストリートの心構えはしておく必要があります。

相手からその恋愛経験だとちょっと不安/無理と言われたときは、ご縁がなかったと思って引くしかありません。
必要以上にくよくよせず他を探すことが大切になってくるかもしれません。

それと、色々トライしていくこと自体はすごく大切なのでフットワーク軽くやっていけばいいと思うのですが、注意したいのは経験のなさや情報・知識の少なさ、自信のなさにつけこんで食い物にしようとする人が少なからずいることです。
そこはある程度アンテナを張りながらやらざるを得ないかなと。


人生と恋愛の関係性って?

他の人ってどうなんだろう?と思うことが1つあります。
自分の生活の中で恋愛がどういう位置付けにあり、どんな心理状態でそこに臨むのかということです。

私の話をすると、まず世の中の平均よりも恋愛と人生の中心軸の距離が開いていると思います。
つまり生きるモチベーションの本流は別のところにあって、恋愛があると人生は彩られるけどないからといって致命的な空白を感じるわけでもないという感覚です。

そして、私の根底にある性質として完璧主義傾向や、精神的に落ちたときに周囲とのコミュニケーションを絶って閉じようとする傾向があるせいかもしれませんが、自分の中である程度自分自身に及第点が出せていないと、外(恋愛)に踏み出せません。
恋愛って相手に自分の姿を見てもらう行為です。自分を見て!とプレゼンするわけです。
だから、自分自身でみっともないと思っているのに、それをさらに他人に晒すなんて無理すぎるという思考回路です。

マズローの承認欲求の説明でピラミッド型の図が出てきますが、ピラミッドの一段目が「自分自身での合格(満足)」、二段目が「相手へのプレゼン(恋愛)」という感覚です。
一段目が不安定なうちは、二段目を積み上げることが難しいのです。
もちろん今日明日の生活が不満足な状況で恋愛を楽しめる人は多くはないでしょうけど、私の場合特に顕著にその傾向があるのではないかと考えるときがあります。

それもあり、私にとっては積極的なアプローチが苦手どうこうというよりも、そもそもアプローチを仕掛ける気が起こせるような満足なレベルに自分の状態をキープしておくことの方が大変で、課題感を持っている部分です。

こういう恋愛に対する価値観とか思考回路ってけっこう大事だと思っていて、細かいテクニックとか容姿以前に、恋愛と相性の良い思考回路や、良い関係性を築いていきやすい価値観の傾向がきっとある気がします。


多様化が進み選択肢が増えてきたと言われる現代、それ自体はいいことなのですが、その反面自分で切り開いていかないといけない、ロールモデルを見つけるのが容易ではない、みたいな難しさも出てきます。
まあ折り合いつけていくしかないですね。


'22/03/19 最終更新

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