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逃げて逃げて、その先に正解を創り出す

私の人生は「逃げる」ことと隣り合わせかもしれないと、最近ふと気づいたことがあった。

私は、逃げることをそれほど恥だとは思っていないタイプの人間だ。
脅威や危険が差し迫ったときに逃げるのは動物としてのごく自然な反応であり、そこから逃げないことはむしろ自分で自分を見殺しにする行為だとさえ思っている。

私には

心がワクワクしないのは死んでるのと一緒

というポリシーがある。

だから、「なんてつまらないんだ(おもしろくなる兆しが見えない)」「ここにいたら心が腐ってしまう、死んでしまう」と感じたら、今も逃げ出してしまうことがある。


振り返ってみると、人生においてキーになったと思われる経験を、私は高校時代にしている。
中学生・高校生といった思春期は誰もが他人に言いづらいようなそれぞれの悩みを抱える時期だと思うが、私は「おなら」の悩みを抱えていた。

いまだに何が原因だったのか不明なのだが、ある日を境に突然ガスが溜まりやすい体質が加速したのだ。
60分授業(記憶が正しければ通っていた高校では45分ではなく少し長めのコマ割りとなっていた)の間耐え続けるのが本当に苦痛だった。
早退してパン屋でパンの詰め合わせセットを買い、駅のホームでポツンと1人電車を待ちながら、どうしようもない気持ちをやけ食いで紛らわせたこともあった。
部活もしていたし友人にも恵まれたが、勉強も恋愛も趣味も、もっとアウトプットして高校生らしくはしゃぎたかった。でもそれは叶わなかった。

高校ではくすぶっていたとしても大学で花開いてやるんだと、ずっと歯を食いしばって耐え、運良く第一志望の東京の大学に進学した。
大学は楽しかったが後半でつまずいてしまい、残念ながら卒業はできなかった。おもしろい経験もたくさんできたが、5分咲きというところだ。


今思えば、困難や脅威が立ちはだかったときに我慢したり逃げたりする ‘癖’ は、高校時代の経験が影響しているのかもしれない。

もちろん、逃げることによって見えたこともある。

逃げてもだいたいなんとかなることがわかったし
アルバイトだったけど人生を変えるくらいおもしろい会社・職場環境を経験できたし
逃げるたびに自分を見つめ直し自分自身に対する解像度が少しずつ上がってきたし
人の弱さやもがき苦しんで生きる人たちへの想像力が養われた。


差し迫る危険が物理的なものか精神的なものかに関わらず、タイミングや自分の状態を見極めて「効果的に逃げる」のは、非常に大切なことだと思う。
ただ一方で、ものごとに対処するには、逃げる以外にもたくさんの手法がある。私はまだそこが未発達だ。

特に、言いたいことを言えずに胸の中にしまって、自分の中だけで反芻・咀嚼しようとするのはやはりよくない。
良いことも悪いことも、言いたいことはその場で口にする・表現する・伝える練習をしようと思う。


そんなこんなで、
期待に胸を膨らませて行った大学でモチベーションが途中で折れ、
働きながら新たなワクワクや生きる大変さを知り、
最近はまた本気で勉強がしたくなってきた。働くのに飽きてしまった。
(「お金」という大きな障壁と対峙せざるをえず、どよんとした気持ちではあるが…)


人生は一筆書きだ。

選ぶ時点で正解とそれ以外が決まっているわけではない。
選んだ後に自分で正解にしていけるかどうかが大事だ。

とよく言われるが、その通りだと思う。
私は身をもってそれを感じてきた。

何度も逃げてきた私も、野心が心の中から無くなったことは一度もない。
落ち込むことは何度もあるが、どうにかなる、なんとかしてやる、このままでは終われない、という精神はずっと持ち続けている。


ぶっ飛ばすぞ (睨み)

※他人に対してというよりも自分の野心に立ちはだかる数々の障壁に対して

とでかい口を叩きながら、逃げた先で色んなものを拾いつつ、自分なりの野心を形にしていきたい・創り上げていきたい。


'22/11/22 最終更新

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