阿武町の誤振込事件で「使い込む奴が悪い」論にピンとこない私はズレているのか・・?
久しぶりにあのときの話題を耳にしたので、またふつふつと払拭できない違和感が蘇ってきた。
先に結論を言うと、私はあの事件において誤振込を起こした町側が95%以上悪いと思っている。
だから、世間がこぞって振り込まれた側の20代前半の若者を叩こうとする風潮に恐怖すら感じたのだ。
いや、もしかすると私の感覚が(相対的に)おかしいのかもしれないが、私はこの一連の騒動に日本社会の気持ち悪さを感じ取らずにはいられなかった。
※かなり書き殴り度高めのため、法律面など誤解や認識不足があるようであれば申し訳ない。異なる意見を攻撃する気はないので、コメントしたい方はご安心を。
多くの人がその金額の大きさと『公金』という魔法の言葉で正常な判断能力を失っているが、まずは一般的な私企業対個人あるいは私企業対私企業で考えてみよう。
銀行で振込先を誤った際の手続きに『組み戻し』というものがあるが、あの手続きも先方の同意がなければ当然実施してもらえない。もしも相手がいやそんなお金は知らない、あるいは返す気はないといったら、そう容易くは取り戻せないはずだ。ドラマVIVANTではないが、海を飛び越えてでも床に這いつくばってでも交渉して取り返すしかない。
私も法律に詳しいわけではないが、民法上誤って振り込んだ金に対して正当な所有権を主張する(‘対抗’する?)手立てはあるのだろうか。基本的に各口座とその中の残高は、その個人や法人の私有財産の範疇のようなイメージを私は持っているので、阿武町のニュースを見たときにずっとこう思っていた。
それがどうだろう。勝手に振り込んでおいて返さない素振りを見せた途端「許せない奴だ!」なんて、街中でいきなり1万円札を手渡しておいて、相手が受け取った途端に「うわ〜泥棒!こいつに金を盗られた!」と叫ぶ悪どい ‘当たり屋’ のようである。
また、人んちの庭にいきなり金塊を放り込んでおいて、「私の金塊を返せ!」とブチ切れる狂人のようでもある。
たしかに今回は、コロナ禍の町民に届くはずの貴重なお金だった。そしてそれは税金から拠出されているものだった。
でもそれだけで、ただの民間企業のお金じゃないからってだけで、そんなに強制的に没収されても困るとも思う(今回の返金は何か強制力が直接的に働いたわけではないらしいが)。
私有財産権の観点で個人の(領域に入った)お金に容易く手を出されては困るし、そもそも誤振込を起こした時点で、金を道端に捨てたのと同じ感覚になってもらわないと困る。返ってくるだろうなんて甘い考えでいたのだとしたら、その態度自体があり得ない。
ただ、調べてみるとさすがに私有財産権も公共の福祉とのバランスをとろうと定められているようである。まあこれは財産権に限らずそういうものか。
多くの人が、「これだけの大金を私利私欲のために使うなんてあり得ない」という反応を示す。たしかに私も、これだけの大金がいきなり振り込まれたら怖すぎて手を付ける勇気が出ないような気がするし、実際に使える人はそれほど多くないと思う。
一方で、10人いたら1人2人くらいは魔が差したり欲が勝ったりする人はいるし、人間ってそういう生き物だとも思う。そして、その行動が極端な異常値かというと私はそうは思わない。良いか悪いかは別としても人間そんなもんでしょ、みんな期待値が高すぎるのよ。
それよりも、とんでもない大ポカをやらかした町側の責任や体制改善の方が大きな問題ではないだろうか。
トラブルシューティングを人の善意や個人的な努力・能力に依存するのではなく、仕組みやルール整備や対話と交渉で切り開いていく姿勢がもっともっと必要だと思う。
私は今もなお、あの彼を責める気にはなれないでいる。嵐のような出来事に見舞われた彼は、今どのような心境で、そしてこれからどのように生きていくのだろう。どうか理解ある職場で元気に働いていてほしい。
『人に迷惑を掛けない』という大スローガンと、善意の神話に取り憑かれた ‘道徳’ 社会は、いつまで回り続けられるのだろう。
阿武町の町政は、そして彼の人生は、これからも続く。
'23/10/17 最終更新