「死んだ」と「亡くなった」
誰かが命を落としたときの表現として「死んだ」と「亡くなった」がある。
他人のことを語るときに「死んだ」という表現は失礼だとか敬意がないと捉えられる向きがあるが、
私は ‘死んだという表現’ =絶対に失礼だとは思わない。
両者を比較してみると、関係性の遠近が意味の相違を生み出していることに気がつく。
「死んだ」は、どちらかというと自分と関係性が近い人に対して使う。
一方で「亡くなった」は、そこまで関係性の近さを想起させない表現だ。
基本的に、それほど関係性が築かれていない・近くない状態で過度に親しげな表現を使うと、人はそれを失礼だと捉えるようになっている。
他人に対して「死んだ」という表現を使うのが失礼だと感じられるのも、その関係性の遠近からきているのだと思う。
だから、家族や親類・友人・同僚などの関係性がそこにない限り、一般的に無難に使われるのは「亡くなった」が多い。
とはいえ、やはり言葉は生き物。
「亡くなった」はたしかに丁寧だけど、どこか他人行儀な響きを感じることもある。
例えば、過去に大きな自然災害があった現場で
たくさんの人がここで死んだんだよ
と語る人がいたとき、私は失礼な表現だとはあまり思わない。
むしろ、ああこの人はその死を自分に近いこととして捉えているなあと感じる。
ぞんざいに扱っている ⇔ 自分ごとや大切なこととして捉えている
その境界線は曖昧で、「ケースバイケース」というありきたりな言葉でしか片づけられないのがもどかしいが、
死んだ
という言葉にはどこか美しささえあるのではないか。
ふとそんなことを思った。
'21/11/20 最終更新