なぜ我々は簡単な謝罪を間違えてしまうのか?有名人の炎上から考える謝罪の仕方
そろそろ2024年も終わるので、今年の最後に感じたことを振り返ろうと思う。
そう思ったきっかけは、例の某医師がSNSに写真を投稿して炎上した件である。
騒動の詳細は調べてもらえばわかると思うが、簡単に言えば以下の通りだ。
・外科医の医師が解剖研修の内容をSNSに投稿
・投稿した写真に生首や献体(遺体)が写る
・各インフルエンサーが取り上げ大炎上
炎上内容としては、「ご遺体があるのに楽しそうに写真を撮るのは怖い」「人の尊厳を踏みにじっている」「そもそも研修内容をSNSに載せるのはどうなの?」など、一言で言えば”不謹慎”という内容だろう。
また、よく炎上系のネタで知られる子どもの悪ふざけや、若者の悪ノリではなく、現役の医師が行ったという意外性も拡散された理由の1つだと思う。
細かい言及はしないが、僕が気になった点は例の某医師が謝罪した件である。
【説明】献体写真をSNSに投稿、美容外科医が謝罪「全てモザイクをかけていたつもりで」https://t.co/jzr4KN4rOt
— ライブドアニュース (@livedoornews) December 23, 2024
黒田あいみ氏は「ご遺体は全てモザイクをかけていたつもり」だったとし「人としての倫理観が欠如した投稿をしてしまったことについて心からお詫び申し上げます」と謝罪した。 pic.twitter.com/7eCPDvg974
医師の方は、このように言っている。
写真に写ってしまったご遺体は全てモザイクをかけていたつもりでおりましたが一部出来ていないところがありました(投稿元のInstagramは削除されているよう)
この謝罪内容を見て、多くの方が感じたこと。
「いや、問題はそこじゃねえだろ。」
あなたも感じたかもしれない。この炎上の核は、”ご遺体がある中で集合写真を撮る精神性”についてであって、モザイク云々じゃないと。
だからXでは謝罪内容がさらに炎上を生んでしまった。
謝罪が原因で炎上が火に油を注いだ件は他にも
フワちゃんの件を覚えているだろうか?
お笑い芸人の”やす子”氏に誹謗中傷をしたとして炎上し、活動休止にまでなった出来事だ。
この騒動が起きてしばらく経った後、フワちゃんはXに謝罪文を投稿した。
先日のわたしの投稿について
— フワちゃん FUWA (@fuwa876) August 8, 2024
やす子さんへのお詫びと、皆様へのご報告です。 pic.twitter.com/0Gi13sEwkG
よく有名人が炎上した際に使う手段である”アカウント乗っ取り”や”裏アカ”ではないとハッキリ言い放ち、文章中で何度も謝罪している。
「しっかり謝れてえらい」といった肯定的なコメントがちらほら見かけられたが、やはり謝罪文きっかけで、さらなる炎上につながってしまった。
問題の部分は、謝罪文の中盤あたりにある以下の内容だ。
投稿当時、私はアンチコメントについて話していて、 偶然目にしたやす子さんの投稿に、「これにアンチコメントがつくなら。」 といった趣旨で、本件の投稿の内容を記載し、その場にいた方に表示した画面を見せたところ、操作を誤って実際に投稿してしまいました。
炎上のきっかけになる要点をまとめると、
・私には悪意がなかった
・操作ミスだった
このような言い訳のように聞こえる文章が目立つ。つまり、読み手には自己保身のように思えてしまうわけだ。
謝罪する側は「なぜ出来事が起きたのか」という背景情報を伝えたいと思ったかもしれないが、一般人からすると「そこじゃないんだよなぁ」と感じてしまう。
最近は、ドラクエの某有名YouTuber(個人的によく見ていた人だったからショック)や、神田沙也加さんの元恋人の人(今回の趣旨とは違うが…)など、他にも多くの有名人が謝罪したにも関わらず、さらに炎上している。
あなたは有名人の謝罪についてどう思っただろうか?
「有名人はどこか自分たちとはズレている」「自分とは遠い世界だからどうでもいい」「他人の炎上はやっぱり面白い」など、たくさんの意見があるだろう。
ただ我々も彼らを馬鹿にできないかもしれない
ここからが本題である。
有名人の謝罪文を見て、「なんでこんな過ちを犯すんだろう?」「サイコパスなのかな?」と、つい批判的に思ってしまう。
僕も基本的にそう思っていた。ただ、謝り方を間違えるのは、そんなに珍しいことではない。というか、誰でも一度はしたことあるだろう。
もちろん、世間に向けて大々的に謝るなんてことはないが、個人間や仕事でなら思い当たる節があるはずだ。
例えば、僕はよく彼女を怒らせてしまう。
半年ほど前、僕は仕事の案件が重なって、毎月のように体調を悪くしていた。それは、彼女と会う機会が1ヶ月に1回はなくなるということだ。
そこで僕は彼女に謝った。「本当に会えなくて申し訳ない」と。
ただ、彼女は「そこじゃねえんだよ。」と言ってはないが、思ったのだ。
彼女からすると、大丈夫だとか自己管理どうなってんだとか、心配や呆れの感情が大きかった。
これも個人間ではあるが、謝ってる内容が的外れである例の一つだろう。
客観的に見れば、彼女側の意見が最もだと思う。ただ、当事者になったとたん、全くわからなくなるのだ。
これは本当、どれだけ考えても全くわからん。どうすればいいんだろ?
まぁ個人的な悩みは置いておくとして、僕たちは有名人と同じように、日々間違った謝り方をしているかもしれない。
では、どうすれば間違った謝り方をせずに済むのだろうか?
そんな方法があるのなら、僕だって知りたい。てか教えてくれ。
現実的に考えれば、他人に相談するのが1番なんだろうな。当事者になったらわからないのなら、信頼できる第三者とか自分とは別の生き方をしている友人に聞いてみるしかない。
医師であるなら医療業界以外の人に、芸能人なら一般人に。
日露戦争で連合艦隊司令長官として活躍した東郷平八郎は、「勝って兜の緒を締めよ。」と言った。
これは戦いに勝ったときこそ油断せずに気を引き締めて、その後も取り組むことが大切であるということわざだ。
最近では戦う機会がない方も多いかもしれないが、油断してしまうことは多い。
僕も有名人の謝罪からの炎上騒動を見て、「自分だったらこんな間違いはしないな笑」と油断している。
その次の日とかに、謝り方を間違えて彼女を怒らせてしまうのだ。
僕たちは芸能人の謝罪文を見て、兜の緒を締める必要があるかもしれない。