人生初めての妊娠、からの繋留流産

タイトルの通りの事がつい最近我が身に降りかかった。
流産確定から手術までの間、悲しいという感情と同じ位これからどうなるの・何をするのという不安が大きく、日常生活でかなり消耗していた気がする。
私の経験談が誰かの不安を少しでも和らげる事ができたら良いなと思うので、一つの例として残しておきたいと思う。

●妊娠発覚から流産手術までの時系列
4/18→妊娠検査薬陽性
4/27→婦人科にて子宮内での妊娠を確認、ここではお産は出来ないのでと近所の総合病院を紹介される
5/1→紹介された総合病院にて心拍確認(6w)
5/22→赤ちゃんが7w位の大きさのまま心拍が止まってしまっている繋留流産と診断、手術日を6/2に決定
5/29→やっぱり心拍が止まっている、予定通り入院・手術をしましょうということになる
6/1→入院
6/2→手術、退院

繋留流産の診断から手術までの時間が空いたので途中一回診察を受けたけれど、1週間以内に手術ができる場合この診察は無さそうな雰囲気だった。
私は仕事の都合上どうしても手術まで少し期間が空いてしまった為、その間自然流産して仕事中股から流血なんて事が起きやしないか出勤の日は気が気じゃなかった。

●入院から手術の流れ
6/1の15:30に入院手続きをし、7人部屋に通される(利用者は私含め3人)。
別室で看護師さんから入院中の説明を受けた後はパジャマに着替え、ボーっとする。
18時に夕食が運ばれて、18:30に手術の前処置があると言われ急いで食事をし、18:30時間通りに処置室にて子宮口を広げる前処置(ラミナリア)を開始、痛くて処置中脂汗をかいた。処置自体は5分程で終了し、部屋に戻る。
生理痛の様な鈍痛があり、2時間程横になってじっとした後寝る準備をして22時に消灯。

6/2、手術当日。朝食は抜き、飲水も11時まで。10:30頃ブドウ糖の点滴を受け、13:30に麻酔を効きやすくする為の筋肉注射をし、14時に処置室に連れて行かれる。
麻酔をされ、眠いなと思った瞬間カチャカチャと処置が始まり痛くてビックリして少し暴れた気がするも、気付いたらストレッチャーから病室のベッドに移される瞬間だった。そこから再び落ちる。

麻酔が切れかかって朦朧と目を覚ました時、横向きでうずくまる体制で寝ていた。時計を見たら15:15頃だった。
この時なぜか、生理痛で保健室で寝ている気分になったのだけど、少しして「あ、違った。守られてた学生時代じゃなくて、私は守る立場の母親だったんだった。でも赤ちゃんを出して母親でも無くなっちゃったんだった。」と現実に戻り、もの凄い喪失感に襲われて涙が止まらなくなった。

何度か看護師さんが様子を見に来てくれて、腹痛も少し収まって来たので起き上がって退院とこれから飲む薬の説明を受ける。
着替える時、手術中着ていたパジャマ上の腰部分にベットリ血が付いていてああ、本当に手術したんだなと再確認した。
ふらつきも収まり、夫に迎えに来てもらい退院したのは16:20頃。
前日18時から絶食だった為、帰宅後夫の握ったおにぎりが食べたくてリクエストして作ってもらった。
こんなに喪失感が強いのに、しっかりお腹は空いて美味しく食べられるんだから人間は強い。

...とこんな感じで手術が終わり、その後若干血のカスの様なものが出ているけれどさほど出血もなく、痛みもなく、順調に回復している感じがする。でも念のため極力横になって養生している。
死んでしまった赤ちゃんを出すための処置はどれも痛かったけれど、終わってみると身体は嘘みたいに今まで通りだ。

妊娠発覚から手術まで1カ月位の間、色んなことを考えた。
コロナで里帰り出産が出来ない場合どうしよう。仕事は向こう5年くらいどういう風にしていこう。保育園どうしよう。
でもこれは全て無事に生まれる前提の話で、流産という可能性はほぼ考えていなかった。
実際には全ての妊娠の15%は流産という事だし、言わないだけで経験者はすごく多いと実感している。
私も、親にも言う前だったけれど、いつか話せる日が来るかどうかまだ分からない。
夫の小さい頃の写真を見て、ああ、こんな子供を抱っこしたかったなと思っては今も涙が出る。
初期の流産は食い止めようがないと分かっていても、妊娠が分かると女性は嫌でも母親にシフトするので悲しみは強烈だ。
この強烈な悲しみを体験することになってしまった女性の、未知が故の恐怖が少しでも薄れたらいいなと思う。
本当はこんな悲しみは誰にも体験して欲しくないけれども。





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