大場、愛してると言ってくれ。
大場なな、愛してると言ってくれ。それだけで生きていけそうだから。
一度でいいから言ってくれ。4年間思い続けたから。
ここでは私がずっと見続けている眩しい大場ななの幻覚の話をします。
大場の前の運命。
大場に出会ったのはスタァライトのアニメ放送が終わっていた10月の終わりのことだったと思う。
Twitterのフォロワーに「3話まででいいから観ろ!」と熱烈に勧められ、「絶対スタァライトされねえから!!」と意気揚々と観始めた。
1話を観た感想は率直に言うと「なんだこれ」
なんで女の子達が戦うの?キリンってなに?練習場への入り方、何の入退室要領?
一個も理解できなかった。私自身、演劇や音楽に疎いのもあったがそれ以上にこのアニメの急転直下についていけなかったのだ。
「これ、面白いのか…?」そう思った。今から考えると大バカである。フォロワーに言われた3話まで観ろという言葉を思い出し、そこまでは観ようと思った。そして3話で大場の前の運命に会う。
天堂真矢。
衝撃だった。私はかぶりつきで誇りのレヴューを観た。これが魅了されるということか。歌も、レヴューも全てが美しい。何度も観て、何度も聴いた。
真矢様のポジション・ゼロを真似したことがあるのは私だけじゃないだろう。
真矢様、真矢様と小さい子供のようにはしゃいだ。
この瞬間がスタァライトにハマったときだった。
このとき私はまだ学生で、スタァライトを観るのは通学電車と決めていた。行き帰りだけで見ようと。
そんなのは簡単に破られた。行き帰りの2話ずつでは足りない。そのままのめり込んだ。
「オイ、キリン!その最前列よこせ」何度思ったか。
そんな私の背中を押して、塔から突き落としたのは大場ななだった。
そして、大場に出会う。
記憶を消してもう一度スタァライトを観ても、私はきっと大場を好きになる。
実際記憶があってもう一度観ても好きになったのだから好きになるに決まってる。再放送の話です。
7話「大場なな」、これを観るまで大場に対して何の感情も抱いてなかった。観てから次の日にもう一度観た。とにかく観た。この子の顔を、声を焼き付けたかった。
もう一度を願う気持ちは痛いほどわかった。手放してきたもの、隣にいてくれたかもしれないもの、自分が選ばなかった進路、離れ離れになった同級生。
社会人になった今見れば、なんだそんなもんかよと言いたくもなる小さなものだった。でも、思い出すと少し息がしやすくなるもの。それがまた手に入るならきっと、私はもう一度を選ぶと思う。停滞と言われても。
だから、9話はボロボロと泣いてしまった。分かりもしない未来より、幸せな過去のがいいに決まっている。そうじゃなければ誰もタイムマシンなんて願わないはずだ。そんなに未来のがいいのか?他の人は。
就活も近づいていた私にとって、再演を続ける大場は非常に眩しかったし羨ましかったのだ。
就活が始まった。就活の移動時には常にThe Star Knowsを聴きながら移動した。純那ちゃんに勇気をもらっていた。ここは大場じゃなかった。
慣れないリクルートスーツ。よくわからん面接シート。全くやってこなかった範囲の勉強…。
その頃の私は1日のサイクルが
1.就活対策
2.大学のジムで無心に筋トレ
3.スタァライトを見て大場を摂取
となっており、大場ななは自分の中で不可欠な存在として確かに就活を共に過ごした。
第一志望の合否発表前夜に眠れず、スタァライト7〜9話を延々とループし夜明けを待った。ちなみに後日このことを友人に話したら精神的自傷と言われた。
社会と大場と私。
就活の後も卒論が修羅場になるが乗り越え、ついに私は社会の荒波に放り出された。
ブラック通り越して漆黒。覚悟はしていたがとんでもないとこに入っちまった。そんな私を支えていたのはゴールデンウィークのスタァライト総集編、通称ロロロの公開であった。
そこに現れたコロナ禍再び。公開延期。ついでに私の連休延期。
世界に見捨てられたのかと思い、人目も憚らず咽び泣いた。成人が声上げて泣くのはなかなか見苦しいと思う。周りの同期はドン引きしながらも励ましてくれた。
これを乗り越えて訪れた連休。夢見たロロロ。
あえて一言で言おう。大画面の大場、顔が良過ぎる。しばらくの間大場を幻覚でしか摂取していなかった私は致死量の大場を浴びた。
その後私はクソみたいな研修を終え新たな部署へ配属された。詳細は話せないが私生活面で壊滅的な打撃を受け、誰が見てもわかるほど落ち込んで過ごした。地の底を這うように生活していた私の前に再び現れたのが大場だった。
今思えば、就活だろうがなんだろうが、私が本当に泣いてる時に夢で慰めてくれるのはいつも大場だった。大場に会うと少しだけ息がしやすくなるのだ。
理不尽に上司に怒られようが、クソみたいな同期がミスをなすりつけようが、クソ新卒を殴りたくなろうが、私を宥めたり、慰めたりして手を出さないようにしてくれたのは職場の先輩であり、気の合う同期であり、大場だった。
誰にでも心の中に、寝る前に思い出すと息をしやすくしてくれるような人がいると思う。
それが、友人なのか恋人なのか親なのかは人それぞれだと思う。私の場合、それが大場なのだ。
劇場版ァライトの話を少ししよう。私は初めて有給を使った。観終わってからトイレに駆け込み、大声で泣いた。とにかく泣いた。
2回目も泣いた。泣いた。私の胸の中には、大場が先に行けそうでよかったという気持ちと、私を置いて行くなという気持ちが入り混じった。
大場、どうして永遠になってくれないの。
フォロワーの「大場ななでさえ永遠の舞台から歩き出したというのに君は」という言葉が刺さって抜けない。何を先に行ってんだ、大場なな。おれとここ(地獄)で踊ろうぜ。
これからの大場と私。
大場との社会人生活は概ね順調になってきた。相変わらず大場が私を宥めすかし、まだ真っ当な社会生活を送れていると思う。
職場の皆さん、私がブチギレないのは大場のおかげです。
ところで皆さんは大場の指輪は買いましたか?
私はもちろん買いました。
実を言うと私はグッズを買うときは常に大場と真矢様のを一緒に買っていた。大場オンリーで買ったのはこれだけだ。添い遂げたくて仕方ない。
一時期、私が大場のことをまだばななと呼んでた頃、実家にコストコのでかバナナが常備されるようになった。その時プロテインもバナナ味だったから毎日一回はバナナを摂取していた。幸せだった。
黒柴もバナナ柄の首輪をしていた。
私の靴や服、アクセサリーなども大場のような黄色いもので埋め尽くされている。
友人は去年の誕生日にバナナのピアスをくれた。
このピアスで2月のオケコンは参戦した。これからもイベントにはつけていきたい。
上の写真で、初めて行った現地は#2再演と書いてある。しかし、最も運命を感じたのは2019年11月3日、スタァライトの3rdライブ。なんと私の誕生日に行われた公演であった。
最高の誕生日になったことは言うまでもない。そしてここで完璧に大場に愛を誓ったとも言える。
横アリで行われた3rdライブは本当によかった。小泉萌香さんともめちゃくちゃ目が合ったはずだ。
ずっと大場に泣いていたら公演終了後、隣の席の人が「ばななちゃん推しですよね?」とブシロブースの特典(だったと思う。違ったらすいません)をくださった。私は思わず大声でありがとうございます!と言った。この場を借りて改めてお礼を言わせていただきます。その節はありがとうございました。たしか真矢様推しの方だったかと思います。
長々として、それでいてまとまらない文章になってしまったが、大場と過ごしてきた日々を思い出すままに書いているのでご容赦願いたい。
言うなればこれは大場へのラブレターだ。
また何度だってスタァライトを観るよ。私がこれを観る限り、スタァライトは今年も春アニメだし夏アニメだし、秋アニメだし冬アニメだ。
ななさん、ずっとあなたのことが好きなんだ。
これからも私と生きてほしい。会えなくなるのは辛いから、ずっと心の中にいてほしい。そしたらまた思い出の中で会えるから。
大場ななを通して初めて中の人が好きになりました。ゆるゆる追ってます。
劇場版ァライト1周年になりそうなので今までの思いの丈を書きました。
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