クマさんと私
気づけば本日のおすすめ品の黒板を読んでいた。
お刺身5点盛り、真いかの刺身、あじのなめろう・・・
近所の居酒屋。なんで私ここにいるんだっけ?
後ろの壁からピントを戻すと私の向かいにはクマさんがいた。
「休みの日はだいたい昼まで寝てて、起きたらコンビニ行って飯食って・・・」
「友達と遊んだりしないの?」
「こっち来てからは職場の人以外の知り合いはいないしなぁ。たまに飲みに行くくらい。」
クマさんはバイト先の出入り業者の人。クマさんぽいからクマさん。
業者の人って愛想がありそうで目が笑ってなかったり、ぶっきらぼうだったり、ちょっと怖かったり。
学生バイトの私は忙しく働いてる大人に対して少しおっかなびっくり接してたけど、若いクマさんはいつも優し気で接しやすかった。
それで、私はバレンタインデーに小さなクマのチョコを渡した。
そしてホワイトデーに小さなクッキーをくれた。
私の彼はこの春から就職して遠い都市に行ってしまった。2つ上で、精神的にはもっと年上に感じる彼。子供っぽい私は彼にすっかり依存していた。
遠くへ行ってしまうことが決まってから私は毎日泣いて彼にあたってしまった。彼は私をなだめてこう言った。
「これから先、何十年も一緒にいるうちのほんの何年かでしょ。」
私はその甘い言葉にまた依存したまま、学校へ行き、就活し、バイトに行き、予定のない日はさびしさを埋めるため誰かと遊んだ。
友達と遊んでいる分にはよかった。楽しくてさびしさも紛れるし、就活のストレス発散にもなった。
でも、今日はダメだ。
クマさんと話してても全然心がはずまない。
良い人だけど、そういうんじゃない。
そんなことはじめからわかってた。チョコを渡す前から。
私は何をしようとしていたんだろう。何を期待していたんだろう。
今のこの流れている時間はなんなのだろう。
否定するように黒板のメニューを読む。
さびしさが増していく。
「なんか、今日はいつもと違うね。眉毛がハの字になってるよ。気分でも悪い?」
「あ、ごめんごめん。お酒弱くてさ。ちょっと酔いがまわった。・・・地元の友達って高校の友達?」
「小、中の友達だね。高校の時の友達はあんまりいないかなぁ」
私はクマさんのことを知らなさすぎる。
このさびしい時間をこのままにしないように、黒板を読みたい衝動をかき消すようにテンションを上げて会話を続けた。
「彼氏とかいる感じ?」
「うーん。どうかな。」
後ろめたい気持ちからごまかした。
「なんか悩んでる感じ?俺も悩んでる感じ。」
「そうなの?!彼女いるの?地元?」
「そうそう。そんなに遠くもないけど遠距離恋愛ってやつ?」
「そうなんだ。」
お互い悩んでるからなんなんだ。
彼女は遠くにいるからちがう女とふたりで飲んでも大丈夫なのか。
急に嫌気がさす。自分にもクマさんにも。
バカだな私は。
「人生ってさ、電車に乗り遅れないようにスッと乗らないといけないときがあるよね。」
「なにそれ?どういう意味?」
何が言いたいのかわからず、その後に続く言葉を待つ。
しばらく沈黙の後、急にうちのバイト先の子達の話になった。
クマさんは私と同じ年だった。
だから接しやすかったんだな。社会人だから大人っぽく見えるけど。
きっと他のバイトの子達もそうなのだろう。
クマさんは他の子達のことをいろいろ聞きたがった。共通の話題で私も話していて楽だったから少し盛り上がった。
それ以上の盛り上がりもなく一次会でお開きとなった。
私はその日初めて自分の気持ちに向き合った気がした。
一人で向き合おうとして向き合ったわけではなく、目の前のクマさんとの会話をBGMにして。
今までクマさんに抱いていた好感、遠距離の彼を好きだと思っていた気持ち、さびしいと思っていた気持ち。
なんか、何一つ本物じゃない気がして自分に嫌気がさした。
結局、私は私がかわいいだけなんだ。
でも、彼のことは本当に好きだ。多分。
その日から、私は少しがんばるようになった。
本当に働きたいと思う業種にしぼって就活しはじめた。友達と遊ばない日は勉強した。
バイトもがんばってお金を貯めて、彼に会いたくなったら会いに行った。
あの居酒屋から2年が経ち、私は彼と同じ会社に就職し、地元より少し都心の会社の寮で一人暮らしをしていた。
狙ったわけではないけど、もともと同じ業界に興味があるもの同士がバイト先で知り合ったのだから同じ会社に入っても不思議はない。
彼とは相変わらず遠距離だったけど、仕事内容もわかるし、悩みも共有できるし、本当に私はラッキーで幸せだった。
地元を出たといっても近いのでしょっちゅう帰っては友達と遊んでいた。
そんなある日、クマさんとバイト仲間の子が結婚したと聞いた。
付き合って3カ月でできちゃった結婚。
その子にも高校から付き合ってた彼氏がいたけど。クマさんの地元の彼女はどうしたんだろう。聞きたいことは山ほどある。
クマさんと私は、あの日同じだったんだよね?
クマさんと私は、あの空間で全然違うこと考えてた?
なに?電車って?意味わかんないけど。
クマさんは電車に乗ったってこと?
もうその真実を聞くこともないけど。
私は退屈な時、壁の文字を読んでしまう。
それを認識したあの日のことは少し苦い思い出。