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心臓の奥が痛え(11/2zineフェス吉祥寺)

・寒さに少し早く目が覚めて、布団の埃が少し気持ち悪くて、コンビニで暖かいほうじ茶を買った。


気づけばもうすぐ25が終わる。白くて冷たい空を見るとpk shampooを聴きたくなる。病気だ。書いたエッセイには温もりよりも乾燥した熱伝導の悪い肌感にしてしまったなと思う。まだ誰にも読んでもらっていない。誰かに読んでもらってから校正と編集をするべきだった。何かをするべきだったとか、しないほうが良かったとか、そういう後悔を、25を超えると人はしなくなる。いい年こいて、諦めをつけるのが上手くなる。なぜこのタイミングでエッセイを書こうと思ったのか。「お前は転職して正社員をやりながら、バンド活動も初めたくせに、おまけにエッセイなんて書くのか、生き急いでいるのか」と。あながち間違いではない。酷く疲れた1年だった。生き急いでいる。しかし急いで生きなければならない。いや、全ては急がなければならない。感じたことの鮮度が落ちてしまうのだ。大切にしたいものの大切さが失われてしまうのだ。あの時のあいつの心の声が錆びていってしまうのだ。

コロナで負った傷、治らなくて包帯を巻いている場所、適応障害、死んだように過ごしたあの時間、何かをしようとしすぎて何もできなかったあの時間。それを一度パッケージしなくてはならなかった。振り返るには、これからだと、遅すぎる。25歳という区切りは、青さをおかしく濁らせないまま観測するための締め切りで、そのどうしようもない血みどろな青さを、そのままに残さなければならい。というか愛さなければならない。東京という街はキショい奴が多すぎる。中央線沿いが好きとか言って高尾駅に降りたことない奴が多すぎる。バスロータリーに咲く高い桜の、吐いた喜怒哀楽を、誰が連れて行ってやれるのだ。館ヶ丘団地の憂鬱を、寂れた外壁を、東京にある山々を、誰が連れて行ってくれるのだ。トンネルを潜り抜ける。またお前は街を忘れる。知らない奴と目が合う。全員まともじゃない。このまともじゃなさに、あの青さは連れて行くわけにいかない。25歳までに、私はこの青さを、濁った目に晒さず、腐乱臭で発酵させず、言い訳など1つも残さず、たくさんの遺留品とともに原型をとどめたまま(あなたは即身仏と言うだろう)、青いフォルダに圧縮して、インターネットよりも濃いブルーとなって、存在させなければならない。

自分でも少し何を言っているかわからなくなってきた。つまりは25まで生きた人間の、一つの真実だ。これからはもっと、家に帰りたい。



ZINEフェス吉祥寺 (2024.11.2)に出展します。

日記エッセイを書きました。今思うに、25歳までに出力できる誠実の全てみたいな内容です。

井の頭公園に掲げたシュークリームが目印

「灯台は照すあいてを(Annoying shine from lighthouse)」というタイトルです。70ページくらい。700円くらいにしようと思います。
ぜひお手にどうぞ。

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