さよならを両手で
写真を印刷して切り抜いて紙のノートに貼ってコメント書いてたのを、DXします。
役に立たない人になろう。
はい、オードリー・タンに感化されました。
顔が似てる。似てないと言われたけどわたしはガストの看板を見ても自分の顔(の比率)だと感じます。
考えてることをもっと話したくなった。
研究テーマ
私の研究テーマは大体こんなものです
1、なぜ創作活動が苦しいのか
(制作に向かう時の様々な障害)
2、感覚器官と空間
3、作品以前の存在
こういうのをこまかく分けると12個くらいになって、12曲になって、SINGIN ON THE MOONに収録されています。
1、なぜ創作活動が苦しいのか
(制作に向かう時の様々な障害)
何故?わたしの”制作”は涙無しには進まない。苦しい。だったらやめときゃいいのに、やらないのも苦しい。八方塞がり。自己実現と承認欲求とあとどんな四字熟語がありますか。無駄なこだわりや過去の栄光は捨てよう。
ぽんぽこぽんぽこ自分の世界観で絵を描ける人になれなかった。ドラマや映画を見てると(先の展開が)恥ずかしくて恐ろしくて叫んで止めてしまう人です。大好きなファンタジー世界もあるんだけどな。誰かの心が傷付く予感とか、つらい。
傷付くのがこわい。生徒にいじめられると思ったから、教員免許を取らなかった。
小さい犬がよく吠えるように、目上の人に対してズケズケ言う人になったのかもしれない。
接客業をやったおかげで人に慣れてトークスキルは上がったけど、このままじゃ口だけになると思って辞めた。
オードリー・タンはその痛みを心のマッサージと言っていた。痛い施術のあとは音楽を聴いてお茶を飲んでリラックスする。そして冷静に対応する。すごい。
どうやらわたしは作品が何か作用することを求めている。パフォーマティブな作品であってほしい。
わたしはこんなに苦しいんです!と言いたいのではない!!ということです。わがままでもない。
多かれ少なかれ、みんな感じているんじゃないかと思って。創作って、目に見えるわかりやすい事ばかりじゃないでしょう。
苦しみの原因は、制度とか慣習とか、お金とか、周りの目とか、立場とか、しらんけど。比べたり混乱してるのは自分。
どんなにコンセプトやなんや考えたって、共通の経験が無いと通じないから、少しでもその場で経験させるパフォーマティブな作品が必要なんじゃないか?戦争やめろと言うために戦争を経験させる必要はないよ。少しの経験から想像する。
事例
・ステージ
堂々と上がった場所。みんなで作るもの。作品の下には必ず何かありますよね、演じてませんか?演じてみました。
・SINGIN ON THE MOON
制作意図はここに有るけど隠してるよっていうやり方。繰り返し違う形でも再生できるように考えた。それなら進んでいけそうでしょ。実際展示された作品に意味が有るようにも無いようにも見えるトリックみたいなところはズルいけど、自分を守る手段としてむしろみんな使って下さいと思います。
ほんとに、それらしいこと考えて全部言わなきゃいけない作品、作家、しんどい。
説明責任、あることはあるでしょう。お金を頂くなら誠実に、ということも。そういう話よりはもっと身近な、SNSの使い方とか、就職するときの建前と本音と自己実現のプレッシャーみたいな、そんな話に繋げたい。
2、感覚器官と空間
主に視覚と聴覚、両手(腕)
手を意識するようになったのは、死ぬことを考え始めた10代から。自分がまだこの身体で生きていることを手のひらを見て確認するっていう厨二病だったのかもしれない。それから、手が左右にあって私があって、これを使うのは面白いなという感覚を得た。手が無いことも想像して、目が見えないことも想像して、それでもある器官を総動員して感覚すること自体がめっちゃクリエイティブだなと思う。
つくることは、よく見ることです。なんて言ったこともあるけど、見るって目だけじゃないからなー!という、生命の讃歌…?
これは研究テーマというか価値観かもしれん。
産みの苦しみ😣を乗り越えるヒント?
事例
・パラレルポート
自分の感覚システムってこんなかんじ?に頭を突っ込んでみる
・まっすぐな目
両手で引っ張って結んで、不思議だなと思いながらひたむきに編み続けて着地しないレポート提出。覗き込む隙間でもあり、視線でもある。『知覚の現象学』も意識していたので、当時の鷲田学長に見て頂けたのは嬉しく、緊張したね。ほぼ何も言われなかったけどね。
3、作品以前の存在
最初の2つも作品ができる前のことです。
見つけるとか、遭遇するものかもしれない。
事例
・それは捨てられた犬か、逃げ出した犬か
タイトルA lost dog and the exhibitionだったけど、そういうことが言いたかった。作品に主体性がある??とはいえオリジナルなものは基本的には作者とその場所に従属するものである。だからこそ切り離され、目の前に現れたとき、あっ、と注目して、写真を撮ったり飼い主を探したりしてしまう存在(犬)。
ただ迷子犬を探したり描いたりすればいいってもんじゃなかった。パフォーマティブでなければ、証明できない。それにしては雑念が多すぎるのがわたしだった。
・海中写真は野生生物との出会いなんです
今後のこと
元旦だからなあ。頑張って考えてみよう
フィクションよりノンフィクションで。
主体性の話は無理しすぎかもせん。
作ることへのハードルが上がり続けているのをなんとかしなきゃいけないのね
自分に期待しなさすぎても無になるし
まずどうやって生きるんだか分かりません。
拾った犬を育てるみたいなことをしたいね。
犬だ!あ、わたしが育てます!
今まで「育ててくれる人いませんか、、?」って人任せしようとしがち。みんなはみんなで手一杯。余裕を持ちたい。
説明するために作るんじゃないよ。
穴を掘ることが芸術でもない。
説明できない生き方しよ。