ボクラノミライ
2020年になりました。めでたい。
さて、これを書いている1月6日はキリスト教の公現祭というお祭りの日。
キリスト意識に突き動かされたのか、なんとなく自分の中にずっとあった「未来」像について、シェアしてみたいと思います。
これからどんな未来が展開していくのか、どんな世界になっていくのか。
無限の可能性があり、人それぞれ体験することも異なるかとは思います。
自分の場合は、こうなる、と感じています。
人類の意識が大きく変わる
今までもずっと、人類の歴史は人類意識の変化の歴史だったわけですが(宇宙の唯一普遍的な真理は変化することなので、当然といえば当然なのですが)。
人類意識が大きく変化すると感じています。
その予兆を感じている人は、既に多いと思います。
いよいよ変化があらわになる段階に入ると予感しています。
そもそも人類意識のOSにはバグがあるのです。
人類の歴史はOSのバグによる不具合に翻弄されてきた歴史とも言えます。
人類意識の変化は、OSのバグ修正、或いはOSのバージョンアップみたいなものです。
自分の内的感覚では、いよいよバージョンアップ、という感じがしています。
コンピュータの歴史に喩えると、"アップルコンピュータの登場"くらいのインパクトのある変革が起こるのではないかとかんじています。
ものごとの起きかたが変わる
ものごとの起きかたは、意識のありように、その基盤があります。
意識が変化することで、必然的にものごとの起きかたが変わります。
今までの因果律は通用しなくなっていくでしょう。
人類は自分自身が自然な生きものであり、同時に創造的な存在であることを思い出し、その生をたのしむでしょう。
科学の常識が変わる
人類意識が変化するということは、ありとあらゆるものごとの常識が変わるということです。
当然、科学の常識も変わります。
科学という概念そのもの、その位置づけが変化していくでしょう。
今の人びとが常識としていた科学的なものの見方や物事への理解のベースに、ある種の誤解が作用していたことが明らかになるでしょう。
科学という営みが、集合意識に存在する因果律のパターンの発見と、それを基盤とした創造的行為であるということに、人びとが自覚的になるのではないかとかんじています。
それとともに、人類の科学への盲信的な態度(と、その陰陽の対としての宗教への盲信的な態度)が緩和していくのではないかとかんじています。
科学の常識が変わると、必然的に医学の常識も変わります。
人体というエネルギーシステムへの理解が大きく変わるでしょう。
病気という概念がなくなるかもしれないし、病院もなくなるかもしれない。
人体の変化に対する異なるアプローチが出てくるんじゃないでしょうか。
人間の身体に起こることも変わるかもしれないとかんじています。
今まで人間ならそうなるのが当たり前と思われていたことが、当たり前ではなくなるのではないかと。
「老化」とか。
あと、生殖系のことは変わる感じがしています。
お金が変わる
既にいま現在、キャッシュレス化が進み、お金は「物」から「物と目に見えないエネルギーの中間ぐらいの存在」に変化してきています。
個人的には、お金という概念を必要としなくなる方向へと移行していくのではないかとかんじています。
今まで人類がお金に投影してきたものごとも、どんどん変化していくでしょう。
お金は、この地上で人類が体験する感情やドラマのための設定、或いは小道具として存在してきたに過ぎないと自分は理解しています。
どんどん空気みたいになっていくんじゃないですかね。
なんとなくですけど。
すべては自分個人の戯言ですが
これらすべてのことは、自分個人が勝手にかんじていることです。
本当に「そうなる」かどうかはわからない。
でも、何年も前から、こうなるんじゃないかという予感の中にいて、それは年々強くなっています。
どんな世界になっていくんでしょうね。
それを創り出していくのは、自分自身でもあります。
この大きな変化の時期をたのしみながら、瞬間瞬間を生きていきます。
みなさんは、どんな未来を「ソウゾウ(想像/創造」しますか?