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何故ダンスのプロになったか?

20年以上ダンスを職業にして生活しております。
何故私がプロになったか?何故なろうと思ったか?を語りたいと思います。

18歳でダンスを始め22歳で大学を卒業し、就活をして就職してサラリーマンになりました。

それでもダンスは続けていてコンテストにチャレンジし続けていました。
何故か?それはジャパンダンスディライトにどうして出たかったから。

ジャパンに出るまではダンス辞めれないだろ?って思っていました。

もう鼻フガフガですよ。今で言えば芸人がM-1目指して本気で人生賭ける。みたいな感じですね。フガフガです。

ただ私の就職した会社は今で言うブラック企業。朝6.7時から夜9.10時までが普通の仕事でした。

それでもダンスを頑張ってた。ジャパン出場の為に。

朝早く起きてバイクで通勤。夜まで仕事。そのまま練習へGO。夜中まで練習して帰宅。2〜3時間だけ寝る。
これを2年続けましたね。

練習終わりバイク運転中に居眠りして車に轢かれたり、転倒したり、(バイク運転中に寝てたんですよ。何回も…よく生きてましたね)車で練習行った時、練習終わり居眠りしてタクシーに追突、ガードレールに激突etc

知らぬ間に保険のブラックリストに載ってました。

それでも毎日練習行ってました。それも全てジャパン出場したいが為!

そして就職して2年目にジャパン出場が決定!無茶苦茶嬉しくて飛び跳ねてた記憶あります。

ジャパンの練習も頑張ってました。
仕事終わって練習行って踊って、帰って仮眠してまた仕事…

あまりにも眠くて練習中にメンバーの許可を得て、車で寝かせてもらった時、人生で始めて金縛りにあった事も今ではいい思い出。
金縛りは疲れがマックスになったら掛かるって事を自分の体を使って実証しました。
これにて金縛り論争は終焉です。

そしてギリギリの練習を乗り越え迎えたジャパン当日。浮かれてましたね〜とうとう夢叶ったんや〜と

その日一日中浮かれまくってました。

もうトップダンサー気取りですよ。周りと喋って和気藹々。メンバーと話して大笑い。最高に楽しかったです。人生最良の日だ。と思ってました。

なんや?なんや?全然プロになる道なんて全然見えてこないぞ。おい!ドミニク。どうなってるんだ。そうお思いでしょう。

そうです。私も見えてませんでした。

実は私、このジャパンを最後にダンスを辞める!て宣言しておりました。

仕事に専念してその道で頑張る!と決めてました。
ジャパンダンスディライト主催のマシーン原田さんにも、これを最後にダンス辞めて仕事に専念する旨を伝えていました。

原田さんからは
「おー!そんなんなや?えーやん、えーやん、その方が良いよ。ダンスでやって行こう!なんて今は難しすぎるから、それで正解やわ!偉いなぁドミ!」

と褒めてもらってました。

ほら、皆さん。私が何故プロの道に進んだか余計分からなくなってきたでしょう。

まぁお聞きください。

とうとう私のラストステージ。ジャパンのステージで踊る瞬間が来ました。

一世一代の晴れ舞台。見納めくださいドミニクラストダンス。くらいの気持ちでしたね。

メンバーと一緒に袖で待つ時も緊張なんてするはずもない。これで最後やからしっかり楽しんで燃え尽きようってなモンですよ。

ステージに立つ。

"あぁこれで最後か"

音楽が流れ始めた瞬間。
"あれ?なんや?いきなり無茶苦茶緊張しだしたぞ"

踊り出します。

"あれ?なんかおかしい、いつもみたいに踊りに集中出来ない。あれ?"

あ!振り間違えた。あ!また間違えた!やばい!あ!また間違えた!
うわぁ〜次の振りなんやった?
あれ?あれ?

…3分の振りの半分くらい飛びました。




頭ん中真っ白です。

その後はもう茫然ですよ!ずーと!ずーと!ずーと!ボウがゼンです。ずーとボウがゼンでジがシツでした。茫然自失ってやつです。

人生ラストステージと決めてたステージで、人生最良の日だと思っていた3分のステージでやらかしてしまったこの気分。

誰とも会いたくない。誰とも話したくない。

逃げるように家に帰りました。

帰りのバイクでずっと目を閉じたろか?と思ってました。

いまだにそのステージの夢たま〜に見ます。
恐ろしい思い出です。

そして次の日は普通に仕事でしたが、会社に行き辞表提出です。

はい、仕事辞めました。

ジャパンを最後にダンスを辞めて仕事に専念する!はずが1日経ったら逆に仕事辞めてました。

理由はこうです。

「このままジャパンの借り返さないで死ねない。絶対ジャパン優勝する。人生どうなっても構わない、俺の人生これに賭ける。」

って言って仕事辞めました。

今から思ったらアホの極地ですが、その時の私が喰らった傷はそれでしか癒せないほど深い傷でした。

そこから長い長い旅が始まります。

朝9時から夕方5時までの鉄工所で鉄筋運ぶ仕事をしながら稼いだ金を全て音響機器とレコードに当ててジャパンに向けてのみ頑張って鉄筋運びまくりました。

ジャパン取れたら死んでもいい!

って本気で思ってました。だからその先の人生なんて全く考えてなかった。これマジで。

ジャパンに向けて何もかも投げうってやりました。数年。

それてジャパンvol.6優勝!!!

あ〜〜!やっと借り返せた〜!!

って思ってほっ!としていたら色んな仕事が舞い込んできて、気がついたら仕事がダンスになってました。

そうなんです。自分からプロになる!なんて1ミリも思ってなかったのにプロのダンサーになってただけの人なんです。わたし。

人生なんてどうなるなるか?なんて誰にも分からない。

今のコロナ禍もこれからの自分の生活にどういう影響を及ぼすかなんて分からない。

でも一旦自分の人生どうなってもいい。って思って人生捨てた人間なかなか強いですよ。

今の人生ご褒美ですからね。ただの。

生きてるだけで丸儲け。by明石家さんま師匠

これからも楽しんく踊って、そして真剣に考えて、自分のダンス追求していきます。


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