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雨を待つ、という贅沢。


28歳、無職、適応障害。
それが今の私。

今日は職業訓練の見学会に行ってきた。
ハローワークの人から「学校と合わないからやめる」ことを
避けるために見学会に行くことを強く勧められたからだ。

その帰りにお寺に参拝しに行った。
無職になってから何かと神社に行ったり、お守りなどをつい買う様になった私。本当こういう時は、神に縋りたくもなる。

ちなみに神社は感謝をする場所でお願い事はお寺だそう。
なんとなく神社が近くにあることが多いのでお寺に来れたのは暫くぶり。
めちゃくちゃお願いしてきました(笑)
きちんと住所と名前も神様に伝えて。

そして例によりするするっとお守りを売っている建物へ・・・
どれにしようか選んでた時、雨に振られた人が建物に入ってきたのを見て
初めて雨が降っていることに気がついた。

ここのところ晴れ続きな上に、無職なので天気をチェックするのを忘れていた。
無職って曜日と天気どーでも良くなりませんか?(笑)

もちろん、傘を持っていない私は雨を待つことにした。
これは私の人生初のことだった。

「雨が止むまで待つ」という行為は私にとって
映画やドラマ、漫画といったフィクションの行為だった。

土砂降りだとさすがに待っても、止むまで待つなんてことはしたことない。
今日行ったお寺もすぐ近くに駅があったけど、私は小降りになってもいつもの様に走って駅に向かうことはしないで待つことにした。
なぜなら、「雨を待つ」ということが最高に贅沢な時間の使い方だと気づいたからだ。

天気アプリでいつ止むのかは分かるけど、本当にその時間に止むのかは分からない。
自然に時間を委ねて逆らわない。

仕事を辞めるまで、相手の返信が今日中に来るかどうかにもヤキモキしてた時があった。
予備のペンを用意したり、折り畳み傘も常備したり、何かと何が起こっても大丈夫なように先回りすることが生活に染み付いていた。

人生も、進学したら就職で、その次は結婚し、出産・・・何かしら人生の選択をして決めていく。決まったら次、決まったら次。
結婚・出産なんてまだ考えられなくても質問される。
これから来るだろう質問になんて答えようかと考える日々だった。

フィクションの様に、雨が降っている時間はモヤモヤと悩み、悩みがなくなると空が晴れる演出はよくあるが、「雨が降っている時間を悩む時間」なんてのは現実にどこにもなかった。

私は雨を待つまでネットで時間を潰していた。
この自然に時間を委ねるとてつもなく贅沢な瞬間を噛み締めた。

私の贅沢ってお金をかけることよりも、時間をたくさん使えることなのかもとふと気づいた。
そしてそれは私だけでなく現代人に言えることなのかも、と。

最後まで読んでいただいてありがとうございます!
贅沢な時間、使っちゃってください❤️


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